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Apéritif(2)

 その日は僕から誘った。

 寝ている隼人(はやと)の部屋に忍び込んでベッドに潜ったのだ。

 隼人は僕の頭を見付けると、ゆっくりと撫で、僕を腕に抱いて…………僕が全裸であることに気付いた。

「さく?どうして……」

 毛布を僕に掛けた隼人は体を起こす。そして、暗闇で僕の顔を探して目を凝らす。

 僕は表情を見せないようにして隼人のパジャマの裾を引いた。

「服は?」

「………………隼人……抱いて……」

 自分から言っておきながら、僕の心臓は高く鳴り出す。そして、隼人が一言も喋ってくれないことが鼓動を早めた。


 何か……答えてよ。


「さくは病み上がりでしょ?」

 返事は淡々としていた。

 隼人は僕を拒んでいる。僕にいつも優しい隼人だけど、今は本気で嫌がっているのが分かった。

 胸がチクリと痛む。

「ねぇ、さく?」

「……………………」

 僕は無言で隼人に対抗してみる。

 しかし、隼人はベッドを下りると、ドアを開け、多分、隣部屋――僕の部屋のドアも開けた。そして、戻ってきた隼人は両手を僕の背中と膝下に差し込む。

 で、持ち上げた。

 てか、お姫様抱っこだ。

「隼人!」

 まだあれやこれやの行為が始まってもいないんだ。

「さくがちゃんと眠れるまで傍にいてあげるからね」

「やだ!隼人ぉ!」

 こんなに素直な僕は他にいないのに!

「静かに。母さん達が起きるだろう?」

「じゃあ、僕の部屋でいいから!だから――」

「さく!」

 隼人が怒った。

 眉間にシワを寄せて怒っている。

 ……怖い。

「………………うう……」

 なんだか、もう嫌だ。

 嘘つきな僕と隼人が好きな僕と臆病な僕がいて、どれもが互いに噛み合わなくて嫌だ。

 むしゃくしゃしてくる。

「泣かないの」

「……だって……隼人が怒った…………」

 僕は好きな人に嫌われて泣かないでいられるほど切り替えの早い人間ではない。

 一生引き摺っていける自信がある。

 自分で言うけど、僕は面倒な性格だ。

「そりゃあ、怒ったよ。さくが言ったんだよ、この家ではそういうことはしたくないって」

「………………」

 嗚呼……やっぱり、僕は隼人には絶対に言えない。

 僕の3日間の失踪について何も聞かないでいてくれる隼人には絶対に――。



 すると、嘘つきな僕に隼人が大好きな僕が怒る。「こんなことをして、隼人が悲しむだろう!」と怒鳴るのだ。

 嘘つきな僕はそれに対して「言えば隼人が傷付くぞ」と反論をする。

 隼人が大好きな僕は何も返せず、悔しそうに押し黙った。

 そして、静かになったそこに泣き声が響く。臆病な僕が隅でしくしくと泣いているようだ。



「………………咲也(さくや)

 隼人は僕を隼人のベッドに下ろしてくれた。

 そして、口付けをしてくる。でも、それは触れるだけのキスだ。

 唇を離した隼人は僕の前髪を左右に分けて額を出させた。

 そして、逃げ場のない僕の目と隼人の目が合う。「どうして?」と目が訴えているように感じた。

「さく。いい子だよね?」

 耳に触れる隼人の手が温かい。

 でも、その手には乗らないぞ。

「…………僕はいい子じゃない……」

「ううん。さくはいい子だよ。優しくっていつも他の皆のこと考えてる」

 それは違う。



 臆病な僕はいつも他人を気にしている。

 物音一つすれば縮こまる。

 そこに嘘つきな僕が登場する。

 相手に合わせてペチャクチャペチャクチャ。

 他の“僕”が呆れた顔で見ている。

 それでもペチャクチャペチャクチャ。

 臆病な僕がまた泣き出した。



「だから、自分に優しくしてあげられない。自分を二の次二の次にして、いつまでも自分に優しくしてあげる番が来ない」

 隼人は人の目を見て話す。真摯な眼差しというやつだ。

 それが……今、ぶれた。

 そして、僕の視界は本当に何も見えなくなる。

「隼人……?」

 隼人が僕の頭を抱いたのだ。

 パジャマ越しに隼人の温もりが頬に伝わる。

「さく、心が痛い時は、自分に優しくしていいんだよ。誰かのことを考える必要なんてない。心は心臓だから。さくの心臓は誰よりも何よりも大切にしてあげて」

 よしよしと僕の背中を撫でた隼人は夜中の2時にくさい台詞を連発した。

 しかし、夜中の2時という時間的効果なのか、隼人の言葉は僕の胸によく響く。

 お陰様で、牙を抜かれた獣のように嘘つきな僕が静かになった。

 臆病な僕はまだしゃっくりをあげているが。

「さく、今日はさくがさくに優しくしてあげる日だよ。だから、先ずは自分にどうしてあげたい?」

 誰かに何かをしてもらうのは……慣れていない。それが自分に優しくしてもらうということでもだ。

「眠れないならココアを淹れようか?凝っているなら肩を揉もうか?それとも、飽きるぐらい寝る?さくの大好きなバスケしに行く?」

「外寒い……暗いし」

「そうだね」

「別にココアは要らない」

「うん。分かった」

「………………隼人……抱っこ」

「いいよ」

 毛布がはだけるのにも構わず手を伸ばした僕に、隼人は毛布を巻き直すと、本当に抱っこしてくれた。

 重くないのかな……重いの我慢してくれてるのかな。

「一つ自分に優しく出来たね」

 ぽんぽんと背中をそっと叩かれ、テレビによく映る母親に抱かれる赤子の感覚はこのことかと思う。

 隼人には胸がないけどね。

 でも、僕はこの逞しい胸板の方が楽になれる気がする。

 僕って変な趣味してるな……。

「隼人……ごめん」

「ん?」

「色々ごめん。夜な夜な起こしてごめん」

「うん」

「夜な夜な騒いでごめん」

「うん」

「夜な夜な抱っこさせてごめん。僕、重いよね」

「んー……ううん。俺はいい運動になるから」

 今のその気遣いはいらなかったかも。重いって素直に言ってくれればいいのに。

「隼人、今日は今から隼人と一緒に好きなだけ眠りたい」

「いいよ」

 僕をベッド寝かせた隼人は僕を壁際にする。そして、隣に隼人が寝転がる。

 壁と隼人に挟まれた僕。

 これはつまり、僕が落ちないようにしているのか。

 まるで隼人は恋人を守って車道側を歩く紳士だ。

 因みに、恋人ってのは僕のこと。

 肘を立てた隼人はそこに頭を乗せ、愛に満ちた目で僕を見詰める。僕も頑張って見詰め返すけど……恥ずかしいや。


「あのさ……隼人………………」

 僕はアノコトを切り出そうと思った。

「うん……なぁに?」

 言うならきっと、出来るだけ早い方がいい。

 遅くなってからだと、どうして早く言ってくれなかったのかと、嫌われる気がする。

 というより、隼人は広い心の持ち主だけど、程好い束縛力もある。

 だから、今回のことは早く言ってしまった方がいい。そうじゃないと、確実に嫌われる気がする。

 それでも、僕は目が覚めた時ではなくて、僕も隼人も眠たい今に言おうとしている。

 つまり、僕は怖いんだ。

 僕は被害者だと思っているけれど、本当はアノコトは墓場まで持っていきたい。

 言えば、隼人はお前は悪くないと慰めてくれるかもしれないけど、嫌われない可能性がないわけではない。だったら、眠気のせいで直ぐに忘れてくれれば……。

 最初から言わなければいい。ってのもあるけど、それは僕の隼人への気持ちが絶対に許さない。言わないと、永遠に後悔し続けるだろう。

「さく?」

「!」

 言おう言おうと頭の中で反芻するが、その瞬間になると、ドキリとした。

 でも…………言うんだ!

「隼人……僕は昨日までの3日間――」

「さく、そのことは俺から言わせて」

「……え!?」

 そのことって何のこと?

 そのことはアノコトだろうけど、隼人の“そのこと”ってアノコトなわけないよね?僕、一言もアノコトについては言ってない。

「さくが駅で寝ちゃって、母さんの車で家に運んだけど、雨でびしょ濡れだったさくにシャワー掛けたの俺だよ」

 隼人は僕の裸を見たってこと?

 今は跡も目立ってないけど、その時はまだ……。

「隼人、僕は……」

「さくは伯父さんと仲直りしに行った。さくのお母さんの代わりに」

 そうだ。

 僕が偶々僕の家に居た時に掛かってきた電話に出たら、母の兄、つまり伯父さんからだった。

 伯父さんは母と仲直りしたいと言ってきた。

 僕は母は暫く帰らないからと断ったが、伯父さんはしつこかった。せめて、渡したいものもがあるからそれだけでも貰って欲しいと。

 伯父さんを無視して、家に押し掛けられて面倒事になるのは嫌だったので、僕が貰うだけはするということになった。


 ……………………が、


 伯父さんは最低な奴だった。

「さくは悪くない……俺はさくのこと分かるから」

 伯父さんは僕をダシに母からお金を貰おうという手筈だったらしい。

 わざわざ僕に渡したいものを伯父さんの住むアパートまで取りに来させた伯父さんは僕を監禁した。最初は優しくもてなしてくれたのに、いつまで経っても何も渡してくれず、嫌になって帰ろうとしたら腕を強く掴まれたのだ。

 そして、伯父さんは僕は母にとてもよく似ていると言って……。

 伯父さんは良くできた妹の母に嫉妬していた。それも、狂おしいぐらいの愛情と一緒に……。

「さく、言おうとしてくれた気持ちだけで十分だよ。だから、もう思い出さないで。もうあんなことは…………いい?さくは俺のものだから」

 隼人は僕に被さると、僕の首筋を強く吸った。

 そして、隼人のものである証が付く。

 僕は誰のものでもない――隼人だけのものだ。

「……ぅ……ごめん……ごめん……」

「謝らないで。さっきさくが抱いてって言った時、さくの気持ちは分かってた。でも、俺はさくの体調の方が大事だと思ったから。俺の方こそ、ごめん」

「隼人が……僕の為になら……僕は嬉しい」

「ありがとう」

 隼人はにこっと笑みを溢した。それが、僕の癒しになる。

「うん。ありがとう……隼人」

 安心したら眠くなるのが現金な僕だ。

 隼人は僕のことを怒っていない。

 本当に最高のパートナーだ。



 伯父さんは意識の朦朧としていた僕の傍で電話に向かって口論していた。

 『実の兄に少し分けてくれたっていいだろ!』とか『こっちにはお前の息子がいるぞ!』とか……もしかして、電話の相手はお母さん?とか思って、僕にも代わって欲しかったけど、僕は全身の倦怠感に動けないでいた。

 そして、眠っていた僕を叩き起こした伯父さんは僕にぐちゃぐちゃの服を着せてマンションから放り出した。『警察呼びやがった、あの馬鹿』とかぶつくさ言った伯父さんは『早く帰れ!』と僕に怒鳴り散らしたのだ。

 で、気持ち悪くなった僕は駅の公園に駆け込み、吐いて気絶し、(しろ)さんに助けられた。

 その時、夢を見た。

 多分、母の夢。


 もしかしたら警察を呼んだのは母で、迎えには来てくれなかったけど、それでも僕のことを思ってくれたんじゃないかって。

 そう思ったから、あの時、僕は母の夢を見たのかもしれない。

 内容は覚えてないけど、必死に母を呼んでいた。

 諦めずに必死に……。


 僕は……お母さんをまだ待っていたいんだ。

 まだ会いたいと思っているんだ。





「お母さん……」

「さく、笑ってるね。お母さんに会えたの?言いたいこと言えた?」

 自分にもっと優しくしてあげて。

「さくはいい子。さくはいい子だよ……」

 さくが泣くのは見たくない。

 俺はさくが笑っている姿が一番好きだ。

 だから、さくから笑顔を奪うものは許せない。

 だから、さくのお父さんもお母さんも、俺には許せない。

 だけど、さくに笑顔をあげたのは紛れもないさくの両親だ。

 それに今もお母さんの夢を見て笑っている。

「さく……咲也…………ごめんね」

 俺にはさくの痛みはちゃんとは理解できない。

 俺には優しい両親がいて、愛情を沢山貰って生きてきた。

 さくが伯父さんに会いに行ってくると言った時、さくのことを考えてくれる身内がいるんだと嬉しかった。なのに……。

 勿論、さくにはさくを可愛がってくれる従兄達がいる。さくの父親が死んだ時、病み掛けていた母親のこともあって、さくに一緒に従兄達と暮らさないかと言ってくれた父方の親戚もいる。

 だけど、さくは父親の死で家庭が崩壊するであろうことも承知で母親と暮らし続けることを決めた。

 さくは母親が好きだ。だからと言うのもあるが、なにより、母親を一人にはしたくなかったのかもしれない。

 さくは母親と暮らすことを決めた理由までは言わなかったが、きっとそうだ。

 決め付けはよくないけれど、さくの性格は大体分かる。

 他人に優しくて、先ずは他人優先で動く。それに、困っている人を見掛けたらほっとけないタイプだ。

 だから、自分に優しくできない。

 優しくする前に他人の問題を抱え込む。

 目を逸らしたくても逸らせない性分だ。

 かつ、引き摺る。忘れることができない。

 色んなことを引き摺って、重たくても進もうとする。妥協ができない。

 そのため、今回のことも忘れることができないだろう。俺が忘れてと言っても、何かある度に思い出す。


 せめて……さくが思い出すことが、少しでも幸せに満ちていればいいと思う。

 そしていつか、大好きな両親との思い出も幸せに満ち溢れてくれればいいと思うのだ。


「隼人、毛布。お前は咲也のを借りなさい」

「父さん」

 父が開いたドアに凭れて俺を見ていた。腕にさくの毛布と枕を抱えている。

 そして、起き上がろうとした俺を止めると、俺の頭の下に枕を敷き、毛布を掛けた。

「騒がしくしてごめん。もしかして、母さんのことも起こした……」

「俺も時帆(しほ)も咲也のことが心配だったんだ。お前が解決してくれたみたいで良かった」

 父に頭を撫でられたのは久し振りだ。

 少し照れるかもしれない。

「枕と毛布ありがとう」

「こちらこそありがとうな」

 微笑んだ父は咲也の頭も撫でると、部屋を出てこうとした。


 しかし、


「咲也の部屋にパジャマやらパンツやらが脱ぎ散らかしてあったが……」

「え…………!」

「服を着ているだろうな?」

 …………………………。

「汗かいたから着替えたんだと思うよ。お陰で少しはすっきりしたみたい」

「ならいいんだが。こんな寒い時期に裸で寝ていたらお腹を壊すからな」

「そうだね」

「おやすみ」

「おやすみ、父さん」



 寝る前にさくに服を着せてあげないと。

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