言いたいこと
見つけた。
「Good morning!!!!」
僕は先輩を精一杯睨み付けた。
『はーい、千原。千原でーす』
朝から気が抜けた。
でも、これは気が抜けたと言うより、ほっとしたかもしれない。
「七瀬です。あの、千原さん。今日、僕は――」
『って、ことでお留守だからー、メッセージはぁ……イチ、ニのサン!どーぞー!!!!』
「…………留守……でん?」
………………紛らわしいよ。
本当は千原さんに直接言いたかったが、しょうがないか。
「あの、今日なんですが、急な用事ができて――」
『用事って何?』
あれ?
「え…………えっと……?」
千原さんの留守電メッセージは僕が喋ることも予想済みなのか!
凄いと言うか、時間の無駄……じゃありません?
僕より不思議な人だ。いやもう、我ながら。
『はい、ぴー。メッセージ録音しゅーりょー!』
「あ…………」
正直、このテンションは辛い。
「後でもう1回電話しないと……」
何も伝えられずに1分毎に10円ずつ取られたのは痛手だけど。しょうがない。
『ああ!ちょっと、可愛いけどストップ!』
あ、まだ録音終了してないのか。
それにしても、上手い具合に返事が帰ってくる。どこまで会話が続くか、切らずにもうちょっと話そうかな。
『それで?七瀬君、3分遅刻中だよー?どんな言い訳をするのかな?』
一体いつから千原さんに僕の3分遅刻が予測されていたんだ!?
「僕、今、風切空港に来ていて」
『!!元チーフと旅行だね!?二人とも同時ズル休みとはそう言うことだったってこと!?』
どういう返事ですか!
「違います!」
何で僕が先輩と旅行しなくちゃいけないんだ。
「僕は高橋さんと決着を付けるために――」
『決着!?ぼくのために別れる決意を!?』
「え?」
“千原さんのために”何だって?
『いいよいいよ!何分何時間何日遅刻しても構わないよ!』
え?本当に!?
「ありがとうございます」
よく分からないけど。
『ベッドメイクし直して待ってるからね』
つまり、客室のベッドメイクですね。仕事に生きる千原さんは雑務の鏡です。
僕の中で千原さんの株がぐっと上がった瞬間であった。
「はい。失礼します」
僕は受話器を下ろし、吹き抜けから下が見えるそこへと足を向けた。柵に掴まり、昨日から友人の蓮に調べてもらった絶好のスポットを見下ろす。
ここは、この空港の国際線利用者が皆通る場所。
だから、来る。
だから、先輩はここに来る。
そして、見つけたんだ。
「Good morning!!!!」
僕は先輩を精一杯睨み付けた。
それに、先輩の両隣にいた優一さんと陸奥さんも。
この前会った時は知らないって言ってたのに。パスポートとか何かとか絶対に今回のこと知ってたに決まってる。
そりぁあ、僕にわざわざ言う必要はないし。どこの会社にも機密事項ってのがあるし。それに、僕は先輩の元部下ってだけなんだ。
優一さんや陸奥さんみたいに、たとえその関係が「監視する側」と「監視される側」でも、付き合った期間はとても長いんだ。僕とは違う。
時間ってのは……酷く重い。
で、僕は道行く8割の視線を独占するという大業をしたのだが――
立ち止まったはずの先輩は僕を見ることもなく、歩き出した。
陸奥さんも僕を見ないようにして先輩の後を追う。
優一さんだけは僕を見上げて………………………………無視した。
「え…………なんで……」
何それ。……なんだよそれ!
この場でスルーするのはあり得ないだろ!!!!恥ずかしすぎるじゃん!!!!
「『スルーハラスメントですか?』ってんだよ!」
僕は1階へと降りるエスカレーターへと走った。そして、僕は良心を微かに痛めながら人を押し退けて階下へと駆け下りる。
「ちょっと、何!?」
「ごめんなさい!」
謝罪もそこそこに僕は一段飛ばしでエスカレーターを降りた。運動神経ゼロの僕はこの時だけスポーツマンのようだった(自称ですがね)。
「うわっ!……っと!」
危ない危ない。気を抜くとすぐ駄目人間に戻ってしまう(自称ですがね)。
降りればそこは人ごみ。2階以上の人の量。
少し……頭がくらくらする。
「っ……やば……」
地と足の感覚がなくなり、目に見える全てが回転し出す。眩暈だ。
僕は思わず壁に手を突いてしゃがんでいた。そうしないと倒れそうだったから。
「はぁっ…………っぅ……気持ち悪い……」
寝不足が祟ったみたいだ。僕は目を瞑って少しでも吐き気に耐える。「ねぇ、あの人……」などと聞こえるが、急いでいるから皆通り過ぎて行く。
先輩も優一さんも陸奥さんも。
僕を見ない振りしてどっかへ行く。
だから、僕も見ない振りして縮こまる。
そうだよ。時間は重いんだから。
だから人はいろんなことを忘却できるんだ。
嗚呼…………全てを忘れたい。
「勝手にいなく……なるなよ……」
僕の言う台詞じゃないけれど。……これが今の僕の願いなんだ。
「君、大丈夫?」
肩に誰かの手が乗せられた。僕を心配する心優しい人の手のひらなんだ。
なのに…………忘れられない記憶が蘇る。
『大丈夫?』
その声も優しかったのに。その手のひらも優しかったのに。
『放せ!放して!』
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!
「嫌だ!!!!」
僕は肩の手を払い、立ち上がろうとして目の前が真っ暗になる。無様にまたしゃがんでしまう。
「君、落ち着いて!」
落ち着けるものか。
再び僕の手首を掴む手が恐ろしい。あの時も布で塞がれた視界は真っ暗で……。
「放して!放してください!」
「なんだこいつ。警備に連絡するか」
僕は手首を捻られ、背後から抱き捕まえられる。
『放さない』
フラッシッバックするのは変えられない過去。苦痛と後悔と……。
「僕に触るな!!!!」
「君!」
「僕に構うな!!!!」
「触らないから一度警備に来なさい!」
違うからほっといてって言ってるだろ!!!!
「七瀬を放してください。お願いします。そいつは俺の部下です」
逃げようともがいた僕を違う腕が捕えた。そして、僕は強く強く抱き締められる。
怖いはずなのに……至る所の痛みが和らぎ、違う苦痛が喉を突く。
泣きそうだ。
「……あ……ぅ……」
………………………………先輩。
「七瀬、落ち着け。ゆっくりと呼吸をするんだ」
足から力の抜けた僕を先輩は抱っこし、背中を撫でる。
「あ……あのっ…………せんぱ……」
「喋るな。まずは落ち着くんだ」
「あの、彼は――」
「俺の部下です。俺に緊急の用があって焦ってしまったそうです」
僕を守る様に空港の職員から僕を離す。
「ですが、一応、話を……」
「俺がお相手しますから」
「私もお相手しますよ。ですから、七瀬さんを休まさせてください」
薄れる視界の中で、優一さんと陸奥さんがリアル90度をしていた。
忘れたい。
何もかも忘れたいんだ。
全てを忘れて何も考えずに生きていきたい。
苦しい思い出も悲しい思い出も。
楽しかった思い出も。
全部要らないから、もう僕を惑わせないでよ。
日射しが僕の顔に降り注いでいた。
眩しい。
しかし、鉛のように重くなった四肢が動かせなくて遮れない。まるで拷問みたいだな。
いや、目を瞑ればいいのか。
カチャ……。
扉の開く音がした。だが、誰が何の目的で開けたのかは、見れないから分からない。
カタンと固い板に物を置くような音や、シュッと布と布が擦れるような音もする。
眩しくて何も見えないし、耳だけでは命綱なしでロッククライミングしてるような気分だ。
言っとくけど、僕はロッククライミングをしたことはないからね。あくまでも“ような”だよ。
多分、僕はベッドかソファーかそんな感じのものの上に寝かされている。今までの記憶の断片としては、僕は休憩か落ち着かせる意味で寝かされていたのだろう。
「気分、どうだ?」
あ、この声は先輩だ。
「ん?……険しい顔をしているが、気分が悪いのか?」
眩しいんだよ!
「七瀬?」
カツンと靴音が鳴り、そして、やっと先輩が影を作ってくれた。
「大丈夫なのか?」
逆光で今度は先輩の顔が見えないが、僕は目を開ける。
「…………眩しい……」
それだけ伝えて僕は睡魔に身を委ねた。
が、
「何だって?」
先輩は席を立ち、
“ぴかー”と……目がぁ!!!!
「太陽……まぶ……眩し…………」
「太陽が何?」
眩しいんだって言ってんだろ!
「いい天気だからもっと見たいのか?」
先輩に“バ○ス”は効きますかね。
「眩しい……っ」
耳を僕に近付けた先輩に僕は吐息が掛かるのを構わずに必死に囁いた。
「眩しい?…………あ、そうだな」
先輩は立ち上がると、太陽を遮ったりしなかったりしながら、カーテンを閉めてくれた。
やっと、世界が見える。
「ここは……どこですか?」
「俺の家だ」
…………あのダブルベッドですかね、ここは。
「僕……先輩に言いたいこと……あって、空港に…………」
で、倒れて、先輩に助けられた。
「ほら、飲め」
起き上がれないと判断したのか、抱き抱えるようにして僕の体を起こしてくれると、スプーン1杯に白い牛乳みたいなのをコップから掬って口に近付けてくる。まだまだ話は終わってないのだが、仄かに湯気を出すそれは、水に飢えた人間の前に現れた砂漠の中のオアシスのように光っていた。
喉……乾いてたんだ。
遠慮なく先輩に凭れたまま僕はスプーンに口を付ける。僕が飲みやすいようにスプーンの傾きを微調整してくれる先輩。
その温めた牛乳はとても美味しかった。
「もう1杯飲むか?」
僕は頭を上下に少しだけ振る。
「分かった」
僕の肩を抱く先輩。
それにしても、空港でも、先輩が抱き締めるのは全く怖くなかったな。
どうしてだろう。と、思いつつ僕は先輩から2杯目を貰った。
そして、ベッドに寝かされた僕は今度こそ先輩に言いたいことを言おうとしたが、「もう1回眠ってから聞く」と言われてしまった。もう十分眠ったと反論しようとしたが、先輩はちゃっちゃと食器を持って部屋を出ていった。
そしたら、静かになったそこで、僕は睡魔に襲われて眠っていた。
起きたら、「あんたは勝手過ぎる」と言ってやるのだと考えながら……。
「八尋君、咲也は?」
「何も食べられそうになかったから、飲み物だけ与えて寝かした」
「…………はぁ……。俺、咲也に酷いことした。俺……咲也を無視したんだ。無視しなかったら、あんな辛い思いをさせなかったかもしれないのに。……もう顔合わせられない」
「…………俺がお前達に命令した。だから、お前達は七瀬を無視した。全ての原因は俺だ。お前達が気に病むことじゃない」
「でも……八尋君は――」
「俺が決めたことだ。七瀬が回復するまで俺が世話する」
「八尋君がそう言うなら……」
「俺は七瀬と決着を付ける」
「それって……!!」
「俺は全てをあいつに言う。何もかも……全てを……」
「八尋君…………ごめん」
「だから、お前が謝ることじゃ――」
「ごめん!八尋君に悪役押し付けてる!」
「別に慣れている」
「だからだよ……八尋君、慣れているなんて、とても悲しいよ」
「……すまない」
「ううん。俺、陸奥さんのとこまで車回してくる。どうなったかは今夜中に連絡するから」
「ああ。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。八尋君」




