笑顔の追跡について
雑務新人を卒業した僕は、先輩の家で怒鳴り散らして以来、先輩に会っていない。優一さんや陸奥さんとは時々、外で会うが、先輩については先輩が忙しくて会ってないと言うばかり。
確かに、あれから1週間経った今日も新雑務チーフは、先輩が雑務を辞めた時から連日連夜の会議だ。
「千原さん、先輩……えっと、最近、元高橋さんに会ったりしましたか?」
「元チーフ?んー……会ってないなぁ……」
現在、マスターである僕の先生的存在は千原さんであり、見ていた限り、彼は何やら先輩と親密な中であった。
だから、先輩と会ったりしなかったかなと思ったが……。
「そうですか……連絡があったので第8倉庫の在庫確認してきます」
「分かったよー。――あ、七瀬君!」
僕は相変わらずの収穫の無さに肩が重くなるのを感じながら、倉庫へ向かおうとした。
「何ですか?」
千原さんは先輩と違って全然厳しくないし、僕はまだ1度も怒られたことがない。その千原さんに呼び止められた。
控え室は広い国都に合わせて無数にあるので、この控え室にも千原さんと僕だけだ。
千原さんは飲み掛けのペットボトルをテーブルに置く。
微かに茶色がかった髪。耳を隠すぐらいのそれを揺らし、淡い灰色の瞳で僕を見詰めながら、彼は近付いて来た。表情はどちらかと言えば真剣そうで、これは初めて見た千原さんの新しい表情だ。
トンッ……――
癖で1メートルは空けようとジリジリと後退していたら、壁に背中が触れた時に角に追いやられていた。
何故?
何で僕は千原さんに囲い込み作戦みたいなことされてるんだ?
「えっ……と、千原さん……」
僕には仕事があって、倉庫に行かないと行けないんですが。
まさか、これがお怒りの体勢とか!?昼ドラとかで見るあの泥沼な場面!?
『あんた、邪魔なのよ』
『な、なんのことですか……』
前者は千原さんの代わり。後者は僕の代わり。この体勢でねちねちと心を抉ってくるとか!?
こういうのを“エグい”と言うに違いない!
しかし、こうなると千原さんと僕が取り合うのは“先輩”?
………………千原さん、脳内とは言え、オカマさんのように登場させてすみません。
「七瀬君に言いたいことがあるんだ」
あ、やっぱり「あんた、邪魔なのよ」って方向に行っちゃいますか!?
僕は色んなことを覚悟した。
が、
「七瀬君、ネクタイ曲がってるよ」
千原さんはにこっと笑うと、僕のネクタイを直し出す。
………………千原さん、本当にすみません。
「よし、完璧!七瀬君、今日もバッチリ可愛いよ」
千原さんは“バッチリ可愛い”が口癖だと思う。昨日も言われたし。
「ありがとうございます」
僕は千原さんに頭を下げ(近いから90度にはならなかったが)、倉庫へ……あれ?
千原さんが囲い込み作戦を止めてくれない。
「あの…………まだ何か?」
「今、二人は倦怠期なんだよね?元チーフには敵わないと思ってたけど、ぼく、これからは七瀬君にアタックしてくから。だから、よろしくね」
「え?」
何で突然、そんなに早口になるんですか?
よく聞き取れなかったんですが……。
なんか、大変重要かつ重大なことを言っていた気がする。仕事上の重要重大ではなく、私的な方の重要重大だ。
仕事のことなら千原さんはゆっくりと正確に話す。
というより、“倦怠期”と“アタック”と言っていた。
………………千原さんは結局、何と言ったんだ?
「じゃ、頑張って。七瀬君」
「え…………あ……」
千原さんは控え室を出て行った。
「――ということがあったのですが……」
「本希ったら…………七瀬君、高橋さ……煉葉さんを信じて待つのよ。大丈夫、本希の魔の手から助けてくれるわ」
魔の手って…………何か、その助言の意味が分からないのですが。
本希さん――つまり、千原本希さんと長い付き合いらしい受付嬢のお姉さんは眉をひそめた。
「でも、私も煉葉さんはここ最近、見てないわ」
「そう……ですか」
覚悟して会議では確実に会っているであろうチーフに訪ねるか……。だけど、「私的理由で……」と言えば一喝される気がする。
その前に、「私的理由って何だ」と、僕が僕に聞きたい。本当に、どうして僕は先輩について訊ねまくっているのだろう。
「ティティーちゃんに聞いたらいいんじゃない?」
「ティファちゃん?」
「煉葉さんはティファちゃんのお義父様でしょ?」
…………え、そうなの!?
「もしかして、知らなかった?あら、忘れて……とも言えないわよね」
お姉さんは悪戯がバレた少女のように肩を竦めた。
「でも、ここの人達のほとんどは知ってるわ」
僕は知らなかった。
“おとう様”の存在は知っていていても、まさか、先輩だなんて。
いやまて、良く考えれば、ティファちゃんの言う“おとう様”の条件に先輩は全て当てはまっている。
だから、ティファちゃんがおとう様の誕生日プレゼントに買った桜の便箋が、先輩からの手紙に使われていたのか。
納得と言えば、納得。
だけど、
「ティファちゃんは先輩の娘……?」
先輩って既婚者だったの!?
先輩の部屋とか、整理整頓のできる男の独り暮らしって感じしかなかったし、ティファちゃんは一人でホテルに住んでるし。
ティファちゃんは自己紹介でティファ・ノールズって言っていた。“煉葉”とか漢字とか全くないんだけど。
「義理の娘よ」
義理……ティファちゃんはお義父様にとても感謝していた。お義父様の誕生日プレゼントに必死に悩んでいた。
ティファちゃんは先輩に救われたんだ。
僕が隼人に救われたように。
先輩に会えて良かったね、ティファちゃん。
「ティティーちゃんなら今日も7階のバーにいると思う。18時ぐらいなら訪ねても問題ないだろうから、それくらいに煉葉さんのことを訊きに行ったらいいんじゃない?」
「そうします。ありがとうございました」
「いえいえ。本希への苦情からチェックイン、チェックアウト、周辺の観光案内、ごく小さな悩み事まで全力で解決するわ」
にこり。
やっぱり、お姉さんの笑顔は癒される。胸の内が温かくなる。
国都に来た人はこの笑顔に迎えられ、この笑顔に見送られて帰るのだ。
最初は絶えない笑顔にびくびくしていたが、お姉さんは普段から笑える人であっただけだと、それなりに親しくなって分かった。
それに対し、僕は笑うという行為が苦手だ。
それがバレていたから劇場で役者をしていた時は、オーナーは笑顔の多い役を僕に任せたことはなかった。
自然に笑顔を出せる先輩役者で友の蓮に笑うコツを訊けば、表情筋の説明を延々とされた後、「咲也は本物の笑顔できる。オーナーが君に任せる役はそういう本物の笑顔が大切な役なんだ。作り笑いが癖になった者には務まらない役さ」と言われた。褒められたのは分かった。
だけど、作り笑いでは競争社会で生きていけない。
劇場では“本物の笑顔”が重宝されても、社会では“作り笑い”こそが大事なのだ。笑顔がコントロールできることが求められるのだ。
蓮には悪いけど、僕は暇な時に作り笑いの練習をしている。
だって、僕が今いるのは劇場ではなく、国都ホテルなんだから。“気持ち悪いくらいの笑顔”が必要なんだ。
なのに、無理だ。
顔がひきつるし、鏡の中の僕は笑顔ではなく、凄くイヤそうにしている。ある意味、気持ち悪い笑顔だ。
それに、作り笑いは顔にも心にも仮面を被せるみたいで息苦しい。
あんなに笑えるお姉さんが羨ましい。
『俺、あなたを笑顔にしたいな』
“あなた”と言うのは親しい中でこそ、その効果を発揮する気がする。
僕にはそうだった。
名前を呼んでくれるのとはまた違う。
僕の場合、“あなた”と呼ばれると、僕に対する狂おしいほどの愛情を感じてくるのだ。
…………なんか恥ずかしい。
でも、隼人は僕を笑顔にしたいと何度も言っていた。だから、隼人の為を思って、一度、河川敷の散歩中に無理矢理だけど笑顔を見せてみた。
そしたら、
『さく!それやめてよ!』
と、直ぐ様真剣な表情で怒られた。
隼人が怒ることは珍しくて、僕は隼人の為にやったつもりで……僕は恐くて悲しくて泣き出してしまった。
止められない涙。
無理した頬は震え、益々情けない気分になった。
ぐずってしまった僕に隼人は「どうして作り笑いしたの?」って優しく訊いてきた。だから、僕は隼人の僕を笑顔にしたいというお願いを叶えたかったことを、途切れ途切れに泣きながら伝えた。
『俺はさくに無理して笑って欲しいんじゃないよ。俺は、さくが嬉しい時や楽しい時に見せる笑顔にしてあげたいんだ』
「俺はさくの本物の笑顔が見たいんだよ」と、笑う隼人の笑顔は眩しくて、僕は橋の下で人目がないのをいいことに、隼人にぎゅうぎゅうとくっついていた。
「本物の……笑顔……」
僕は本物の笑顔を今もできるのだろうか。
「お待たせしました、咲也さん」
ドレスだ。
ティファちゃんは黒のドレス姿で現れた。
「…………ティファ……ちゃん?」
拳大の真紅のバラのコサージュが脇腹辺りに付いているだけのシンプルなドレスだが……美人だ。
「あの……似合ってませんか?」
そんなことあるわけがない!
「凄く綺麗だよ!」
僕が興奮気味に声を荒げれば、ティファちゃんは微かに顔を赤くして頭を下げてきた。
「ありがとうございます」
あ、後ろに髪を縛っているゴムは小さな紫のバラが2つ付いたゴムだ。
……美人で綺麗で可愛い。
お姉さんのアドバイスに従って、僕はティファちゃんに会いにバーに行った。
そしたら、19時から海外の有名な俳優や女優が来るとかで、忙しくしていた。今日は帰ろうかと思えば、ティファちゃんはわざわざ僕の為に時間を作ってくれた。
でも、一応、衣装だけは先に替えておくと言うことで、僕はバーの隅っこでティファちゃんを待っていた。
「こちらこそ、忙しいのにありがとう」
「いいえ。咲也さんは僕にとって、とても大切な人ですから。お義父様にとっても」
「お義父様……煉葉八尋さん」
「はい。僕のお義父様は煉葉八尋と言います。咲也さんの上司でした」
「優一さんと陸奥さんのことは?」
「咲也さんと初めて会った時、優一君と灯さんとも初対面でした。ですが、僕は二人がお義父様と親しいことは知っていました」
「僕が国都の新人となったことは?」
「お義父様が役員の方々を押し切って咲也さんを採用させました」
嗚呼、ティファちゃんは全てを知っていた。優一さんも陸奥さんも。
僕だけが何も知らなかった。
僕だけが……。
「咲也さん、誤解はしないでください」
「誤解?」
誤解ってどんな誤解だ?
僕だけが何も知らずにミラクルだなんだと思っていた。しかし、採用された理由を知れば、僕は先輩の助けで採用されていた。それも、先輩は僕一人の為だけに大きな犠牲を払っている。
僕は国都で変わるつもりでいた。
それは隼人と対等になる為だった。
隼人は僕の光であり、僕は隼人の光になりたかった。
でも、僕はこの国都にいることで既に先輩に守られていた。
…………一体全体、どの口が“国都で変わる”だよ。
悔しくて情けなくて悲しくて……すごく辛い。
こんなことなら、最初から国都に採用されない方が良かった。
僕は最近、そんなことばかり考えているんだ。
だけど、先輩が折角、僕に国都でのチャンスを与えてくれた。そう考えると、先輩がしてくれたことを否定している自分に嫌気がさす。
「咲也さん、お義父様は決して、曖昧な理由からあなたをここに引き入れたのではありません。理由があります」
「理由……?」
理由って、“国都”以外で僕と先輩を繋ぐものなんてないはずだ。あえて挙げるなら、初めて先輩と出 会った揺すりの現場だ。
あの時の先輩は本物のヒーローみたいで、かっこよかった。
翌日には前言撤回したが。
「僕も詳しい理由は分かりません。でも、お義父様は“あなた”を選んだのです。他の誰かではなく、“七瀬咲也”さんを選んだのです。それだけは分かってください」
泣きそうな顔で精一杯の笑顔。
本物の笑顔……だ。
「先輩は僕を選んだ……」
他の誰でもない僕を選んだ。
「…………僕、先輩に理由を訊かないといけない気がする」
訊かないとちゃんと前に進めない気がする。
隼人と別れた時みたいに。
「僕、先輩に理由を訊かないと!」
訊かないと、一生後悔してしまう気がする。
「お義父様は明日、ロスへ……」
ロスって、ロサンゼルス?
ロサンゼルスってアメリカのどっかだよね?
「最高責任者を現統括主任の鳳さんにして、お義父様はロスで仕事を…………」
「え!?」
チーフ止めて、国都ホテル最高責任者になって、それを他人に任せて自分は海外?
何だよ、それ!
「ティファちゃん、先輩は今どこにいる!?」
「え……あ……ごめんなさい。今日は会長さんとお食事ってことしか知らなくて」
……………………先輩は明日には海外に行って、もう僕は先輩に会えないってこと?
そんなの勝手過ぎる。
「ティファちゃん、時間作ってくれてありがとう。じゃあ、僕は行くね」
「あ、咲也さん、どこへ!?」
「家に帰るんだよ」
「へ?……えっと、お仕事お疲れ様です。また明日」
ティファちゃんは僕の返事にやや困惑しつつも、頷いて僕を見送ってくれた。
だから僕も、
「お仕事頑張って!」
とだけ返した。
“また明日”は言わない。
だって、今先ほど、僕には明日に重要な用事ができたからだ。
だからまずは、早く帰って寝ないと。
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