The Last Question
梅雨到来!
煉葉の次男に生まれるとはどういうことか?
求められるのは品位。
与えられるのは教育。
たったそれだけだ。
相手もされず、期待もされず……優しい兄だけが俺に愛情をくれた。
俺が欲しいものは兄が両親から買って貰い、それをこっそり俺にくれた。
そして、それがバレた日には兄から貰ったものは全て捨てられ、家にすら入れてもらえずに真冬の縁側で震えていた。そうしながら、家の中から零れる光に益々心を冷やし、おとがめなしの兄が温かい白米を食べるのを想像していた。
その夜、兄は俺の為に毛布を運んできた。
『ごめん』
沢山謝って、俺をそれで包んで抱き締めて一緒に眠った。
翌日、兄は“弟想いの兄”として両親に褒められ、俺は「お前は兄に風邪をひかす気か!?」と怒鳴られた。
長男の兄は愛されて、次男の俺は愛されない。
生まれるまでの僅かな時間の差でこんなにも違う。
…………俺は何もかもを諦めた。
兄の15歳の誕生日。
兄は俺の兄でなくなった。
兄は煉葉と縁を切り、夢を追い掛けて家を出ていったからだ。
諦めた日から俺は、兄に対してわざと不愉快な態度をとっていたが、それでも以前と変わらない優しい兄に隠れて憧れていた。そんな兄が、俺に何も言わずに唐突に家を出た。
いつも俺を気遣ってくれた執事長と一緒に。
俺を置いてどこかに行ってしまった。
煉葉の長男がいなくなるとどうなるか。
欲しいものは何でも無償で与えられる。
その代価に自由が奪われる。
本来は兄のお付きとなるはずだった大野の子供が俺の世話役になった。そして、俺専用の執事が付けられた。
子供の名は大野優一。
執事の名は陸奥灯。
どちらも俺には邪魔な存在でしかなかった。
大野も陸奥も俺の監視役。
今まで無視され続けていたのに、俺が唯一の跡取りとなった瞬間、俺は理由がない外出の一切を禁止された。
この時、俺は兄を本気で恨んだ。
日付は12月7日。
結城家長女、結城雛子の誕生日パーティーの日だ。
かつ、兄の婚約者になる予定だった彼女と俺の婚約発表の日。
馬鹿らしい。
俺はパーティーの大勢の招待客に紛れて、結城家の屋敷を抜け出した。出際に俺を探していた大野と目が合って近寄って来たが、俺は捕まる前に駆け出していた。
場所はどこかの裏路地。ただなんとなく足を向けた先がそこだった。
暗くて寒い場所。
そこで彼女は泣いていた。
泥に埋もれて泣いていた。
しかし、声がなかった。涙が静かに泥に落ちていただけだった。
俺は彼女に手を差し伸べる。
彼女はぼんやりと俺を見上げ、数秒後には俺の手を払った。泥が俺の手に付く。
『Don't feel sorry for yourself!』
掠れ声なのにその気迫は何にも負けていなかった。
月明かりに晒された両手足のアザにも負けない。
『Get lost!』
叫び、俺を叩く。
何度も何度も何度も。
分かりやすい拒絶だった。
『八尋くーん!』
大野だ。
見付かったら多分、彼女が一方的に咎められる。
『Get lost!……Get lost!』
泣きながら叫ぶ少女。
このままここにいたら、罪のない彼女に悪い。だけど、放って行きたくはなかった。
結局、「あっちに行け」と泣く彼女を俺は深く抱き締めていた。
こんなことは誰が見ても変態のやることにしか見えないのだが、彼女の姿は昔の俺と深く被った。だから、恨んでいる兄の真似事をしたのだ。
『あ……うっ……』
叫び声は消え、硬直して動かなくなる彼女。
涙が俺の肩に染み込む。
『Sorry……』
俺は彼女に謝る。
あの時、兄は俺に「ごめん」と言った。だけど、謝ってるだけではまた同じ結末だ。
彼女の心は凍ったままだ。
それに彼女は「同情するな」と最初に言っている。
だから、俺は……――
『I love you.』
どこぞの二流映画かと思う。
いや、映画なんて見たことがないんだ。俺には娯楽なんて認められてない。
だからこそ、俺はあの日あの舞台を見て、自分がいかに外を知らないか……情けないのか……。
ああ、また……辛くなる。
『ごめん……いきなり……』
日本語で喋っても伝わらないか。
『Kind words can be sort and easy to speak, but their echoes are truly endless.』
『…………え?』
なんて言った?
慣れていない本場の英語は気を抜いていたら耳を簡単に素通りする。
だけど、柔らかく俺を押し返した彼女は無表情だったが、落ちついたようだった。
次の言葉は何て言おう。
『八尋くーん、どこぉ?』
声の具合からして、少し大野が遠くなった。
『Trust me, and follow me…………名前って……』
英語なんて高校の時の授業以来だ。この場にいないのに、大野のせいで焦ってくる。
『Tiffa.』
『え!?……ティファ?』
知らない単語だ。
『My name is Tiffa.』
ちょこんと指が俺に触れかけて、その手は彼女の背中に隠れる。俺は咄嗟に手を差し出すが、彼女は彼女自身の汚れた手のひらを見て後退りした。
そんなことで怒るなら、手を払われた時に泥が付着した時点で怒ってるのにな。
『Don't worry……Tiffa.』
大丈夫だよ。
俺の手を取れ。
彼女は暫くの間、俺の手をじっと観察していた。
ぎこちなく俺の手に触れ、今度は掴む。
『……Your name, please.』
『My name is Yahiro.』
俺が名乗ると、彼女はとても小さい変化だったのだが、確実に笑った。
微笑みよりも僅かだけど。
笑うととても可愛いじゃないか、ティファ。
先輩からの手紙には――
身勝手なことばかり書かれていた。
身勝手な告白。
身勝手な謝罪。
読んで伝わってくるのは先輩の逃げだけであった。
「…………本物の偽物のヒーローじゃないですか」
なんで僕はこんな手紙を読まなきゃいけないんだよ。
そんな感想しかないんだ。
先輩の本名は煉葉八尋と言うらしい。
優一さんは「八尋君」、陸奥さんは「八尋様」。
この理由は至極簡単で、先輩はこの国都ホテルの持ち主、煉葉家の跡取り息子であり、二人は先輩が小さい時からの世話係――監視役だからだ。
煉葉家なんて全然知らなかったが、超超お金持ちらしい。
『なんで「高橋」なんて偽名使っていたんですか?』
と二人に聞けば、陸奥さんにすら固まられた。これによって、僕が自分が従事しているホテルの全権を握っているのが誰か知らなかったことが露呈した。
一番偉い人の息子が雑務のチーフだと知れたら、他の人が気まず過ぎる。僕なら頭が四六時中上がらなくて肩こりで早死にしただろう。
先輩はそういうのが嫌だったのだと思う。かつ、その名が嫌いだった。
だから「高橋八尋」と名乗った。
そして、先輩は「煉葉」の跡取りから逃げた。
それを、問答無用で面接不合格にされた僕が国都に採用されるようにする代わりに、自分は諦めて素直に煉葉の跡取りになると交換条件を出した。
因みに、跡取り=国都最高責任者。
つまり、先輩は影で国都の所有者となっていたのだ。
まだこの事実を僕は受け入れられていない。
結論から言えば、“先輩は僕も先輩自身も騙していた”ということになる。
「だけど、どうして先輩は僕を国都に入れてくれたんですか?」
先輩が自由を捨てる代わりに僕を入れたその理由が分からない。
なぜ、僕なのだ?
先輩は偽物のヒーローとして僕を助けただけ。たったそれだけだろう?
もし、あの最低最悪なキスから推測して、万が一……万が一、一目惚れだか恋の病で自分の自由を捨てたと言うのなら、先輩は酔狂な変態でしかない。
「それは……八尋君は咲也のことを――」
「七瀬さん、八尋様はそのことについては何も仰られておりませんでした」
聞きたければ先輩に聞きなさい。ということですよね、陸奥さん。
身も心も紳士の陸奥さんが優一さんの言葉をわざと遮ったのだから、そういうことだろう。
「あとこれ。最後の宿題のお返し」
英語の宿題だ。優一さんから手渡される。
「それじゃあ、着替えたら第三倉庫に行くんだよ」
二人は控室に僕を置いて部屋を出た。
僕の手には新しい制服と紙束。
制服と鞄を机に置いて、僕はそれを恐る恐る開いた。
いや、恐怖とは言い難い。
隼人のことだけで十分なのに、宿題を渡された時に心に微かに生まれた空虚感に痛みを感じていたのだ。
なんでこんなことで。
確かに色々ショックで整理がついてないけど……なんか、今の僕は変だ。
自分のことなのに、自分の感情のことなのに、分からない。
紙束はめくっても、いつも通りの赤ペンしかなく、修正修正修正だらけ。
と、
Never give up.You can do it.
Q:上記を訳せ。
最後のページにはこんな言葉が書かれていた。まあまあきれいな字で小さく。
「はは……何言ってんですか、先輩」
こんな問題は簡単過ぎるよ。
『諦めるな。お前ならできる』
「やっぱり先輩は………………………………身勝手だ」
別の連載ですが「啼く鳥」の番外編、「ヤンデレな彼氏」と「走れ」と「シ―スカイ熱帯水族館」を短編として投稿しました。本当は「啼く鳥2」の6月1日の投稿で報告予定でしたが、忘れてました(-_-;)/(+_+;)\(-_-;)
お暇でしたらお読みください☆ミ(/ ̄^ ̄)/