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安らぎを

 困ったことになった。


「くそぉ……馬鹿隼人(はやと)……」


 首にキスマークを勝手に付けるな。ってんだ!




 トイレに寄って手を洗った後、顔を上げた僕の首筋にあったのは2つのキスマーク。

 おいおい!

 耳朶から5センチぐらい下、右側に並んで2つ。

「何してんの?」

「え?あ……ま、まあね……」

 同級生から離れてそさくさとトイレを出る僕。

 首を手で押さえて出る僕の後ろ姿はどんな風に見えていただろうか。

 うう……。

 何もかも、隼人の馬鹿のせいだ!


『気持ちい?』

『き……聞くな!』

『お、可愛いお誘いしちゃって。他の人にそんな顔しないでね』

 どんな顔だ!

『あっ……はや……』

『さく、愛してるよ』

 馬鹿野郎!今言うな!

『はや……隼人……隼人っ』

 僕は僕で隼人の頭を抱いたんだ。

 愛してる。

 愛してるから、今更言わなくていい。


 あの時だ。

 隼人が僕の肩口を舐めた時だ。

 チクリって微かに痛みがあったんだ。

 何したんだって聞く前に隼人が僕を強く求め、僕は言葉を発するどころじゃなくなって、僕はただ空気を欲して喘いでいた。


 と、原因を追及している暇はない。


 これからプールの授業なんだぞ!




「どうしよう……」

 僕は教室の隅の影みたいな存在だが、僕の心臓がもつかどうかという問題が……。

 自意識過剰なとこが多々ある僕は、首にキスマーク付けたまま青空の下に出たくない。「虫刺され?」と聞かれても、恥ずかしくて死ねる気がする。

「さく?どうかした?」

「ひっ!」

 き、きききキスマークじゃないんだよっ!!!!

 僕は無心に頭を左右に振る。

珠樹(たまき)ーっ、センセー呼んでる!早く!」

「プール無理しないでよ。何かあったら俺でも良いから言ってね」

「…………あ……」

 さっき僕の肩を叩いたのは隼人か!!

 キスマークをどうにかしろ!って伝える前に、焦ってた僕は脱衣室を駆けて出て行った隼人の背中をぼんやりと見送っていた。


 いつの間にか、たった一人の頼れる人間が行ってしまったわけだ。




 僕達の高校は1年生から3年生までずっと同じクラスだ。だから僕は他クラスの人達を全くと言っていいぐらい知らない。

 しかし、僕のいるC組は隼人のいるD組と合同授業で一緒になったりする。

 体育とか奉仕の授業とか。

 1年生時に出遅れた瞬間から僕の高校生活での孤立は決まってしまったのだか、合同授業とやらのお陰で僕と隼人の関係のキッカケができたのだから、頑張って高校に通い続けて良かった。


 入学式の日にぶっ倒れ、病院で1週間。

 1週間ぶりに登校。

 奇異の目では見られるが、友達ができることはなかった。


 有りがちなシナリオじゃないか。


 皆の嫌いな持久走はドクターストップによって見学。

『いいなぁ、アイツ』

 その“いいなぁ”に妬みを感じたのは僕だけなのか?


 学校のこと。

 家のこと。


 僕は少しずつ少しずつ内側から壊れていくのを冷めた心で感じていた。

 しかし、そんな時、僕の崩壊を止めたのは誰でもない隼人だった。


『好きです…………ううん。愛してます』


 全然知らない人だった。

 確か、奉仕の班が一緒だったぐらい。

 彼の中身はこれっぽっちも知らなかった。


 冗談だよね?


 僕が好き?

 僕を愛してる?


 頭おかしいんじゃないの?


『なら、俺を知ってほしい。そして、頭がおかしいか、君に見極めてほしい』


 冷静な対応に僕は感心した。


 だから、


 見極めてやるよ。


 珠樹隼人の頭の中を……――


『うん。沢山、俺のこと知って。俺も君をもっと知りたい』



 この時、僕は他人に干渉することの意味を知った。




 隼人が遠い。

 25メートルプールが憎い。

 隅っこに座り、教師の話を上の空に25メートル向こうのD組――隼人を盗み見る。

 顔:整ってて、表情が柔らかい。

 体:背が高い。足が長い。がっちりだけど、太くなく、肌が綺麗。

 性格:真面目なのに天然が入る。凄く優しい。

 勉学:申し分無い。

 僕の恋人は頼れる度NO.1の隼人。

 僕の恋人はモテモテな隼人。

 僕の恋人は秀才な隼人。


 だけど、僕はまだ、隼人の頭がおかしくないか見極めているんだ。



 最近の僕の見解は…………奴は変態だ。




「おい七瀬(ななせ)、次!」

「うんっ」

 今すぐ入りますよっ。

 しかし……さ、寒い。

 ドクリと、心臓が高く跳ねた。

 でも、ゆっくり入れば大丈夫。

 大丈夫だ。

「早く!」

「ま……待って…………ちょっ!?」

 背中を押されたんだ。

 軽くだったんだと思う。

 だけど、前のめりになっていた僕は簡単に体勢が崩れ……。


 どぼんっ。



 ドクン……。




「――っ!!」



 だからプールなんて嫌なんだ。

 僕の身長より大抵深いし、寒いし。

 こんなとこで発作なんか起きたら、僕に死ねと言っているようなものじゃないか。


 神様なんて、大っ嫌いだ!!!!



咲也(さくや)!!!!」



 もがき、涙目で青空を睨んだ時、あいつの声がした。


 ――隼人。


 僕の名前を呼ぶんだ。


 助けて。

 助けて、隼人。


 薄れる意識の中で、僕は必死に隼人に手を伸ばした。






「咲也君!」

 ぎゅってされた。

 頭を沢山撫でられた。

「咲也!」

 ぎゅってされた。

 頭を沢山撫でられた。

「おばさん……おじさん……」

 目を覚ました僕を二人は本当に嬉しそうに見下ろしていた。

「心配したのよ……良かった」

「大丈夫か?どこか痛いとかないか?」

 今日は雑草抜かなきゃって言ってたのに、僕の為に来てくれたんだ。

 血が通っていない偽物の家族だけど、おばさんもおじさんも僕の為に……。

「大丈夫……です」

「今日は家でゆっくり休みましょう?隼人が咲也君の荷物取ってきてくれてるの」

 休まなくてもいいから、早く隼人の顔を見たい。

「あ、あの……僕、溺れたことだけは覚えてて……」

 一体、あの後どうなったんだろう。

「あなたの異変に気付いた隼人があなたのことを助けて、保健室まで運んでくれたの。保健室の人はあなたが気絶してるだけだって言ってね。それでも心配した隼人が私達に連絡してきてくれたの」

 嗚呼……優しくて賢くて……隼人はいい奴だ。

 僕は水着姿にタオルを巻かれた状態で、近くにプールバックも置かれていたから、トイレで着替えることにした。



 他の皆は授業で、廊下は静かだ。

 個室に入り、蓋をした便器に袋を乗せ、いつも以上に気持ち悪い水着を脱いで着替える。

「あーあ……」

 プール2日目にしてこれはないだろ。

「ドン引きだよ」

 いや、引かれるほど親しくないか。

 ちゃっちゃと着替え、僕は体からする塩酸の臭いを嗅いだ。

 早くシャワー浴びたいな。

「さくー?」

 あ、隼人の声だ。

「隼人!」

 僕は濡れた水着を袋に荒く押し込み、トイレを出た。すると、ドアの真ん前にいた隼人にすぐ抱き締められた。

「ふあっ」

「良かった。さくが無事で本当に」

 生乾きの頭をわしゃわしゃ撫でられる。

「隼人……助けてくれてありがとう」

 隼人がいなかったら冗談抜きで死んでいたかもしれない。

「うん。家に帰ろっか」

 隼人は僕の手からプールバックを取った。

 そして、そんな隼人の背中には通学時に背負っている機能重視のリュックだ。

「え?隼人、そのリュック……」

「ん?俺も帰るよ?」

「『帰る』?」

 授業は?

 隼人も帰っちゃっていいの?

 まだ3時間目だし。

「溺れた恋人を彼氏が介抱しないでどうするの?」

「学校で言うな!」

「授業中だから大丈夫」

 それでも、学校の中でというのが恥ずかしいのだ。

「それに何より、家族をほっとけない」

「………………」

 恥ずかしい。

 恥ずかしい恥ずかしい。

 そのままエロに持ってっとけばいいのに、返事に詰まるじゃないか。

 顔が上げられない……。


「さく、校門前で待ってるよ」


 僕のリュックも肩に担いで隼人は行ってしまった。




「止まれ……止まれよ……」

 泣き虫な僕。

 昔は流せるだけ涙を流したが、隼人に出会ってから涙を堪えるようになった。

 男で、高校生で……餓鬼じゃないんだから。

 泣くことは女々しいのだと。

 冷めた家庭で、冷めた人間関係で、僕は普通を全然知らなかったんだ。

 僕の隣には誰もいなかったから。


 僕はどうせ髪も濡れているしと、手洗いの蛇口を強く捻り、掬った水を顔に掛けた。


 止まれ。

 泣くな、七瀬咲也!


 ただただ水で目尻を冷やす。


 そして、顔を上げた時、鏡から僕の首筋に赤い斑点が2つ見えた。濡れた指でワイシャツの襟を引っ張って空気に晒す。


 そしたら、



「絶対、保健室の先生に見られたよ……」

 馬鹿野郎。馬鹿隼人。




 笑いが込み上げた。







「笑ってる」

「笑ってるね」

 真緒(まお)が彼の肩に両手を乗せて微笑む寝顔を覗き込む。

 美井(みい)が真緒の頭にしがみついて彼の寝顔を見下ろす。

「どんな夢見てるんだろうね」

「寝ながら笑うなんて、変なマリアちゃんだ」

「起こしちゃっていい?」

「起こしちゃう?」

 くりくりした4つの瞳が悪戯に輝いた。

「起こしちゃ駄目だよ」

 (れん)が彼らの後ろの座席で開いた窓から外を見ながら言う。真緒と美井は蓮の言葉に、素直に眠る彼から離れた。

「蓮さん、歌って」

「歌って歌って」

 蓮と真緒と美井、宮代(みやしろ)と運転手の石榴(ざくろ)以外は全員、寝息をたてている。

「でも、皆寝ちゃってるし」

 打ち上げというより、遊び尽くした劇団員達はぐっすりだ。

「蓮君、構いませんよ。私も聞きたいです」

 大型ワゴンの助手席から宮代が許可する。

「オーナーがいいなら」

「やった!」

「ウンディーネの歌だ!」

「こら、煩くしちゃ駄目だって」

「はーい」

「はーい」

 姉弟は頷いて背凭れに顎を乗せて目を閉じた。蓮は二人の頭を撫でるとゆっくりと深呼吸する。




「今宵も仲間たちに安らかな眠りを」




 蓮の歌声が窓から夜闇へと響いた。

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