偽者のヒーロー
珠樹隼人と付き合い始めたのは高1の夏。
あいつからの告白だった。
ファーストキスをあいつに奪われたのは高2の春。
確か、体育館の倉庫で。
2秒弱のそれは、驚き過ぎと、バスケでバテてて僕の息がもたなかったから。
次のステップに進んだのは高2の冬、12月24日。長い月日を過ごし、互いに飽き始めた老夫婦でも興奮するイヴにだ。
場所はあいつの家の浴槽。
電車を乗り継ぎ、彼女いない仲間の振りをして都心でデートをした。赤と緑の装飾に目を細めて遊園地で遊んだ。定番の観覧車でキスもした。そして、駅からあいつの家まで隠れて手を繋いで歩いた。
冷えた体を温めようと思いつつ、内心、付き合い始めて1年半は経ってるし、そろそろいいんじゃないの?と考えてた。
案の定、あいつは僕を風呂場に誘った。
今も思い出せるあいつの感触。
優しく抱き締めてくるあいつは凄く温かかったんだ。
そこからは雰囲気だ。
風呂を出、僕達はケーキを食べて沢山キスして一緒に寝た。
最高の日だった。
まぁ、一つ挙げるなら、ことの真っ最中にあいつの両親から旅行先より電話がかかってきたこと。お陰で軽くお預けされた。
でだ。
僕の記憶が正しければ、揺すられている男性の身代わりになった僕は敵をトリオだと勝手に思い込み、ミラクルで兄ちゃん達を倒した気でいた。
――のだが、
『危ない!!!!!!』
丁度いい感じに現れたあの人。
あーゆーのをヒーローって言うのかもしれない。
それは、本当の窮地でうまい具合に現れ、栄光を勝ち取る人。
僕みたいにヘマをしない人。
いや、僕が単にどんくさいのかも……。
それで、あの人は誰なんだろう。
てか、僕はあの人にお礼をしたっけ…………?
僕は前方に手を伸ばした。
柔らかいけど硬い、温かいそれ。
それはきっと多分、人肌。
隼人みたいな感触だ。
あいつは優男風の顔付きなのに体格はいい。
案外大胆で、隠れて必死なところがまた可愛い。
あいつに会いたい。
「はや……と……」
僕は目を開けた。
目の前には、少しだけ大人の顔になった隼人……。
ではなく、
見知らぬ男だった。
「はああ!!!!!?」
誰?こいつ。
より先に、僕と男は……。
裸で一緒に寝ていた。
パンツは!?
「…………………………ある」
体に痕はない。
どうやら、僕は間違いを犯してはいないようだ。
「間違いって……」
外国には普通にいるようだが、日本にはそうそう僕や隼人みたいなホモはいない。
男と付き合ったことのある僕は考え方を間違えたようだ。
一般人ならこの状況、きっとこの人は自分を助けてくれた恩人だと思うだろう。
だけど、先ずは服を着ないと。
僕はベッドから這い出した。
そして分かる。
このベッドは超巨大だ。
「シルクのダブルベッドじゃん」
ふかふかのベッドは僕みたいな貧乏人には程遠いもの。頭を振って、僕はベッドしかないこの部屋の唯一のドアを開けた。
開ければそこは……。
「なんだ、ただのマンションか」
凄いのはベッドだけで普通のマンションだ。
その普通のマンションですら、実家を追い出された僕には羨ましいが。
整理整頓され、静かな室内。聞こえるのは部屋の隅にある水槽のポンプの起動音だけ。
それ以外は何も。
人の話し声も車のエンジン音もしない。
静か過ぎる。
僕は光を遮るカーテンを小さく開けた。
パンツを履いているとはいえ、窓にそんな姿を晒せば公然猥褻罪だ。多分。
「……うそだろ」
カーテンを除けば、青空を遮るものは何一つなかった。
それほどにここは高かった。
訂正しよう。
ここは普通じゃない。
超高層マンション。
ここは、僕が毎朝起きる度に見ては溜め息を吐く、ここらで一番の高級マンションだ。
ほら、あんなとこにとても小さな僕のボロ宿舎がある。
一度だけここの家賃を広告で見たことがあるが、僕のとこと桁が違った。
確か、0が2つ程多かった気がする。あれ?3つかな。
兎に角、僕はこのマンションに対して言えば「いいなあ」や「ムカつく」などを通り越して溜め息を吐くことしかできないのだ。
「起きたのか」
振り向けば男がいた。
裸の男が。
大丈夫、パンツは履いている。
「僕の服を……」
僕は場違いな気がしてならない。帰りたい。
「あ……服?汚れてたから洗濯しといた」
優しいのか……?
「あの、昨日は本当にありがとうございました……そのお世話になりました。帰ります」
優しいのは分かった。
だからもう帰る。
服を探して周りを見渡す。
「服は……」
「まだ乾いてない」
僕より背の高い彼は欠伸をしてから言う。
「濡れててもいいですから。ほら、そちらにも悪いですし……助けていただいたのにこれ以上は…」
僕は言いつつあいつの言葉を思い出す。
『さく……お願いだから……もう……あんなことは……。いい?さくは……俺のものだから』
あいつとの関係は今もかは分からない。だけど、何となく、あいつの言葉に従おうとしてしまう。
あいつが僕はあいつのものと言うのなら僕はあいつのものだ。
「別にいい」
「へ?」
「俺は別にお前にここにいてもいい」
「いえ、帰ります。僕、バイトがあるんで」
僕は洗面所らしき場を見付け、洗濯機を開けた。
服を掴み、少し寒いが着ていく。
「乾かした方がいい。なんなら俺が送るから」
何だかしつこくないか?
「大丈夫ですから」
不覚にも僕はその正義の男に対して怖くなってきていた。
ソファーに掛けられた上着と鞄をひっ掴み、感謝しながら玄関へと向かう。
「寒いだろ?風邪引くぞ」
普段はおおらかな僕も流石に苛ついた。
「いいですって!助けてくれたことには本当に感謝しています!だけど、本当にありがとうございました!!だから、帰らせてください!!」
しつこいと男でも女でも嫌われるぞ!
ぐいっ。
僕は腕を引かれていた。
「何っ!?」
………………………………………………………………んっ。
唇に確かな感触。
春のあの日のあの時と同じだ。
続く人肌の温かさ。
一体何?
理解するのに苦労した。
男は僕の腰を引き寄せ、唇を重ねていた。
男の黒髪が僕の額を撫でる。
今何秒経った?
それよりだ。
僕達は何をしている?
『さく……お前は俺だけのものだから』
僕は隼人だけのもの。
そして、今、僕はこの男と……。
春のあの日のあの時の初めての……。
キス。
「やめてください!!!!!!!!」
有り得ない。
有り得ない有り得ない有り得ない!
何故、僕が僕を助けてくれたこの男とキスしなきゃならない。
僕は男を突き飛ばしていた。
男はフラりと俯いて後退る。
溢れそうになる涙を拭いて僕はドアを開けた。
しかし、
「待て」
「まだ何か―」
それは僕の面接の資料。
面接官の言動にムカついてぐちゃぐちゃに握り締めた資料。慌てたから鞄から落ちたようだ。
それを見詰める男の手から奪うと、鞄に突っ込む。
「感謝はしました……」
僕は今度こそマンションを飛び出した。
全速力で階段を駆け下り、一階へと降りる前にバテ、僕はその場で叫ぶ。
「ちくしょう!!!!!!!」
叫ばないとやっていけない。
濡れた服が風で冷たくなる寒さと……。
何より、隼人以外の人間とキスしたことに叫ばないとやっていけない。
ちくしょう!
あんな奴、ヒーローなわけあるか!
キスの味が残る唇を撫でる。
「何やってんだよ……俺」
腕に収まる彼はやっぱり変わっていなくて……。
見ているだけだったのに……。
すぐ傍に彼が……。
「なな……せ……さく……や」
嫌われたよな。