違和感
なぁ、今お前は何してる?
好きな読書?
もう寝ちゃった?
知りたいけど……――
お前の顔すら思い出せない。
「――――――っ!!!!」
痛いくらい跳ねた心臓。
ぶわりと吹き出す嫌な汗。
僕はよく考えもしないで寝た格好のまま死に物狂いで頭上を探ると、それを掴んで乱暴に蓋を開けた。
中から落ちた粒が畳に跳ねて気味の悪い音を発て、音の方に手を伸ばして粒を拾った。いや、取れるだけ掴んだ。
口に押し込み、水が目やら鼻やらに掛かるのを気にせずに、ただ口に流れた水で喉に溶け出した異物を流し込む。
そして、痛む胸元を押さえて、空気を空間から奪うように吸い込んだ。
今日も仕事―掃除だけど―を終え……本当はその後は先輩との英語の授業があった。
だけど、先輩は会議に出ていて、先輩が待ち合わせ場所のバーの奥の部屋にいなかったので、書き置きだけして僕は真っ直ぐ家に帰った。
そして、スーツを脱ぎ、従兄達からのお下がりのカーディガンとジーンズを着て、鞄を持って家を出た。
向かう先は……――
「突然どうしたの?」
「蓮……お邪魔だった?」
蓮のでも遊杏ちゃんのでも董子さんのでもない、知らない人の靴。
自ら車輪を動かして出迎えてくれた蓮の前で、僕はその誰かの靴を見下ろした。
僕の推理だと、スニーカーの柄と大きさから、成人男性。蓮の裏の仕事相手かも。だったら僕はお邪魔だ。
でも、蓮は玄関まで入れてくれたし……。
それに、僕も少しでも早く蓮に言いたいことがあったから、どうしようかと悩んでいたら、蓮が車椅子を家の中へ動かした。
「友達が遊びに来てるだけだよ。中に入って」
蓮の友達……気になる。
「高い高い旋風!」
「ひゃうわあ!」
「続いて空中大回転!」
「ひゃおおお!」
「崇弥、埃起つから室内で暴れないでよ!」
蓮が珍しく怒鳴った。
でも、怖くない。
怒っている割りにちょっと楽しそうだったから。
「崇弥洸祈。えっと……」
「ばりばりの幼なじみ」
何だか渋った蓮に、遊杏ちゃんを膝に乗せて、遊杏ちゃんが食べているクッキーを然り気無く奪う崇弥洸祈さんが補足した。
先程まで遊杏ちゃんを振り回していた彼は、可愛いようなカッコいいような無愛想なような……モテそうな顔だった。
って、何考えてんだか。
「俺は崇弥洸祈。用心棒欲しかったり、チンピラを御用改めしたかったら俺の店来て」
差し出してきた名刺には住所と電話番号、『用心屋』と『店長 崇弥洸祈』と書いてある。
店長って偉い人だよね!?
若いし、高い高いしながら随分楽しそうだし……。
「いつから不良掃除もやるようになったの?」
「精気ある若者を奮闘させ、社会復帰させたいと思って」
「君が掃除したら精気どころか、命を掃除されるんじゃない?」
「美しい命に?」
「命そのものがゴミに捨てられるんだよ」
言っちゃ悪いが、貧弱そうなのに、蓮が溜め息を吐くくらい強いらしい。
人間、見掛けじゃ計れないとはこのことか。
「話を戻して……崇弥、もと同僚で役者やってた、今はホテルで働いてる七瀬咲也」
「初めまして、崇弥さん。七瀬咲也です」
低頭で握手を求めてみる。
友達の友達って接し方に困るけど、この人は違った。
「俺、バリバリの二十歳だし、緊張しないで呼び捨てでいいよ」
二十歳だし。を理由にするってことは僕の方が年上=老けてると!?
まぁ、22だけど!
握手してくれた崇弥さん改め、洸祈君はニコニコと笑みを振り撒いた。
何だか憎めない人だった。
「薬はまだあるから大丈夫だけど……咲也、仕事で悩み事とか?」
「仕事は上手くいってる。チームの人も上司も厳しいけど、見捨てはしないし。ただ……」
「咲也、僕の部屋行こうか。崇弥、メンテナンスよろしく」
「よろしく頼まれたー。杏、トロピカルハワイアン回転やるか?」
「くぅちゃんネーミングセンスわっるぅ!」
「お前に言われたくないな!」
「早くっ!トロピカルハワイアン大回転んん!!」
少女と言えどそれなりの重さの子供を軽々とトロピカルハワイアン回転させるあたり、洸祈君は怪力の持ち主だ。
「埃……もういいよ。怪我させないでね」
「それで?」
勧められて蓮のベッドに腰掛けた僕に、部屋の隅の鳥籠の餌を加える蓮は訊いてきた。
「………………」
多分、理由は分かってる。
今更だけど、目を放せなくなってしまったこと。
「珠樹隼人のこと?」
「――!?蓮、何でフルネームで……」
知ってるのは名前だけじゃ……。
「咲也は珠樹隼人をどうしたいの?」
隼人をどうしたいか?
悪夢の原因は隼人で……。
「ちょうどいい人材がいるから、調べてもらおうか?」
蓮に頼んだら、きっと蓮はその人脈で隼人の過去も現在も詳しく調べてくれる。
「調べ…………」
「咲也?」
調べる必要があるのか?
確かに、悪夢は隼人のことばかりだ。けれど、僕は、終わりなら終わりでいいと……そう思っていたはずだ。
終わり……なんじゃないのか?
それに、もし調べて真実を知ったら………………――
「……ごめん。調べなくていい」
「謝らないで。咲也は謝らなくていいことまで謝ってる。それって損だし、身体に悪いよ」
「そう……かな」
「うん。それに、使うなら“ごめん”じゃなくて“ありがとう”を使いなよ」
「ありがとう、蓮。調べなくていいよ」
いつの間にか僕の隣に腰掛けた蓮がポンポンと僕の背中を優しく叩いた。
ヤバい。涙が出そう。
だけど、僕はそれをぐっと堪えた。
「分かったよ。でも、少しでも気になることがあったら遠慮なく言って。一人で抱え込まないでよ。咲也は友達なんだから」
いつの日かと同じ、頬へのキス。
僕達の友情への祝福。
だから、大切な友達の蓮に僕もお返しをした。
ムードとかはなく、へたっぴだけど、蓮の頬にキスを……。
「咲也……」
また名前を呼ばれた。
真っ直ぐ僕を見詰める蓮。
さっきとは違う意味で背筋を厭な汗が流れる。
やっぱり、男にキスするのはありでも、されるのは駄目……とか?
がっしりと蓮は僕の肩を掴み、顔をすぐ近くに寄せる。
迫力満天で怖い。
「咲也がそれすると洒落にならない。無闇にやっちゃいけないよ」
「え?」
よく分からないが、僕は一眠りすると言った蓮を部屋に置いて階段を降りた。
一応、声を掛けておこうとリビングに入れば、遊杏ちゃんが眠っていた。
洸祈君の膝で。
意外だった。
遊杏ちゃんはなんやかんやで必要以上には近付かない子だと思っていた。
思慮深いと言うより、ある程度までは興味を示して、それ以上はない……そんな感じだ。
はしゃぐが、はしゃぐだけ。
遊ぶが、遊ぶだけ。
その遊杏ちゃんを膝で眠らす洸祈君。
やっぱり、ロリコンぽいのも含めて、ただ者じゃない。
「二之宮は?」
「二之宮……あ、蓮?蓮なら少し休むって、部屋に。僕、用事済んだから帰ります」
遊杏ちゃんの頬に触れ、洸祈君は僕を見上げた。
と、同時に僕は頭を下げて帰ろうと洸祈君に背中を向けた。
「お使いから猫探し、万屋まがいの用心屋だよ~」
微妙なメロディーは屋台のおっちゃんみたいだった。
「洸祈君?」
思わず振り返れば、洸祈君がじっと僕を見ていた。
面と向かって見合うのは僕は苦手だ。
僕は視線を逸らしかけて、
「探し物、ない?」
あるよね?といった意味が隠っているように感じる言い方。
「何か探してたりしない?」
何を言う気だろう。
苦手とかではなく……怖い。
「成功報酬で探そうか?」
何を探すと言うのだ。
僕は探して欲しいものなど……。
「え……あ……その……」
僕がどもると、洸祈君は不思議に目を細めて笑った。
「大切なものなくして焦ってるように見えたから。気にしないでよ。ま、何か人手が欲しかったら用心屋に~」
ひらひらと手を振る彼。
僕は少し早足で蓮の家を出ていた。
何かが足りない。
ふと、そんな気がした。
変なもの発見。
僕の部屋の前に黒い何かがある。
それも、案外でかい。
幼児サイズの卵……みたいな。
僕の部屋の前だし、多分、僕に全く無関係ではない荷物。
宛先もないし、僕が勝手に開けるわけにはいかないけど、玉手箱って気になる。
いや、盗むとかじゃなくて、中身の所有に興味はなくて、中身の確認だけが無性にしたいんだ。開けちゃ駄目と言われて開けないのは、性欲すら断ち切った賢者ぐらいだ。
あくまで性欲は目安だ。
こんな一言で「ヘンタイ!」とかはやめて欲しい。
節電を通り越した年中消灯された―まず、全ての電球がソケットから外されている―僕ら貧乏人宿の玄関前で黒卵は沈黙している。
僕は目を凝らして恐る恐る黒卵に近付いた。
では!
つんつん。
反応なし…………………………!?
「え!!!?」
黒卵から腕が生えた!?
かと思いきや、黒卵に僕は鞄諸とも抱き付かれ……――
「マジで無理ぃいい!!!!」
僕は失神しました。
そうそう、僕ら運命貧乏体こと、『ガーデンシティ』という名前だけは無駄に金持ちな雰囲気の僕らの宿は、それはそれは昔、玄関前の照明は点いていたそうだ。
バブルだそうだ。
今では頭の毛髪様の殆どが家出した大家さんも、リッチだったんだって。
けれど、弾けて消えちゃっても、一個ぐらい明かり点けといて欲しい。
変なもの出ちゃうじゃん!
このキモイお化けとか!!!!