望み
今日は僕の恋人(♂)の自慢をしよう。
名前は珠樹隼人。
僕より身長が高い。
僕より頭がいい。
僕より優しい。
僕より礼儀正しい。
僕より……――
言い出したらキリがないか。
つまり、超カッコいい。
ちなみに、テクもある。
あ、そんなこと聞きたくないって?
じゃあ、“隼人は超カッコいい”でいいや。
「へぇ、そんなにカッコいいんですか。じゃあきっと、物凄くカッコいいんですね」
「うん……凄く……カッコいい…………え?」
ふわふわのベッドでバランスを崩しかけた体をどうにか起こした僕は唖然とした。
だだっ広く、なんか全てがきらびやかな部屋の中にいたことよりも、
昨日自己紹介してくれたティファさんがワンピースを着ていたことに驚いた。
部屋には驚かなかったのか?と訊かれれば驚いた。
ばかでかいテレビにソファー。高い天井からシャンデリアが吊るされ、キラキラな世界。
そして、僕が寝ていたのは純白のダブルベッド。
驚かないわけがない。
けれども、ティファさんが目の前で水色のワンピースをフリフリしていたことには劣った。
「え…………あの……ティファさん……」
「あ、ここ、お義父様がくださった僕の部屋です」
「あ……へぇ…………」
それも訊きたかったが、一番訊きたいのは……。
「ティファさんは……女性?」
「え?」
キョトンとし、顔を赤らめた彼女?彼?
男性だとしたら女装だ。
女性だとしたら男の僕はかなりマズイ立場だ。
女性の寝室立ち入りの変態だ。ティファさんが許しても“おとう様”に殺される。
どちらも僕は事実を知った時にどういう態度を取ればよいのか分からない。
もじもじとするティファさん。そして、口を開いた。
「……僕は女です」
これは…………ヤバくない?
よく考えればティファさんが男性だったとした時よりヤバい状況だ。
女装なら僕だってしたことがあるし。女装ってわけじゃなくて女役って僕は考えてるけど。
焦る僕を見て、彼女は慌てて付け足す。
「僕、あの、“僕”って言うのはお義父様に会うまでそれしか知らなくて……あの……紛らわしくてごめんなさい!」
いや、そうじゃなくて。
僕は僕っ子好きだし。
あれ?そしたら僕はナルシスト?
「いや、僕は女性の寝室にちゃっかり……」
「…………咲也さんは男の人が好きなのでは?」
「……………………え?」
キキマチガイカナ?
「だって……さっきからずっと隼人さんとのラブラブなお話をして…………」
寝言か!!
ヤバい。僕は一体何を語ってたんだ!?
ずっとなら隼人の自慢話だけじゃない。他になんだ!?
ねぇ、エロいことじゃないよね!?
聞きたいけど……――
絶対に聞けないだろっ!!!!
「あの、隼人さんは咲也さんの為にお医者さんになるって。咲也さんはそんな隼人さんが好きだって」
あたふたしていた僕にティファさんは教えてくれた。
「咲也さんは隼人さんが本当に好きなんですね」
僕は隼人が……――
『さく、俺は医者になるよ』
『医者?まぁ……隼人らしいっちゃあ隼人らしいけど。何の医者?眼科とか内科とか?』
『七瀬咲也の為の医者』
『は?……あ、小児科は?隼人は子供好きだし』
『俺は誰よりも何よりもさくが好き』
『………………』
『俺、さくの病気を治すよ。さくが目一杯走れるように。さくが大好きなバスケを沢山できるように』
『あ…………っと……隼人に得ないし……』
『さく、俺はさくの元気一杯の姿が見れるだけで幸せだよ。さくが昔みたいに笑ってくれれば俺は医者を目指してて満足だ』
『…………恥ずかしすぎる』
『大丈夫、さくは俺が笑わすから。医者になって俺がさくに幸せをあげるから』
「…………隼人……」
「咲也さん……」
嗚呼、涙が抑えられない。
僕は好きなんだ。
隼人が好きなんだ。
隼人に会いたい。隼人の温もりが欲しい。
「隼人……隼人……隼人っ……」
僕の幸せは隼人自身なんだ。なのにどうして僕の傍にいないんだ。心で繋がってるって、見て触れなきゃいないのと同じだよ。
ポンポンと、僕の隣にベッドに腰掛けたティファさんが僕の背中を撫でた。小さくて温かい手のひら。
「大丈夫ですよ、咲也さん」
何が大丈夫だと言うのだ。
僕は今隼人が何処にいるのかすら知らない。もう実家から出ているかもしれない。
隼人が大学生になったのかも。
隼人が医学を学んでいるのかも。
隼人が僕を思ってくれているのかも。
昔の写真すらなくて、隼人って指し示すものを何一つ持っていない。
隼人に繋がるのは記憶だけ。
乱雑に積まれた残酷な記憶だけ。
「隼人さんはあなたの為の医者になります。絶対に」
“絶対”ってありはしないけど、ティファさんが言うと、ちょっとだけ希望が湧いた。
湧いたというより放しかけた希望を掴み直したんだ。
「これ、支給されるスーツです。だから、遠慮なく。昨日まで着ていたスーツは少し汚れていたので、お義父様がクリーニングに」
「泊めてくれたり、本当にありがとう」
一通り泣いて疲れた僕をこれまた大理石のバスルームに連れてったティファさんは、ぼーっとしながら体を洗った僕にぴちっと糊の掛かったワイシャツと綺麗なスーツを手渡してきた。
「それじゃあ、僕は午前中は外に出掛けて午後にはバーにいますので」
「え?僕を置いてっていいの?」
腰にバスタオルの半裸状態の僕は慌てて浴室から出る。
「オートロックですから、安心してください。でも、合鍵がないのでお義父様に言ってくださればいつでもどうぞ」
爽やかなティファさんは肩から鞄を提げて片手に黒い長方形の形をしたケース。
「それ……」
「トランペットです。土曜日は教会に場所を借りて、皆と演奏するんです」
「皆?」
「『WLJ』」
「ダブリューエルジェー?」
「『We love jazz.』です」
それぐらいなら日本人の僕でも分かる。
『私達はジャズを愛している』
素直で率直で気持ちがいい名前だ。
「いつか僕が聞きに行ってもいい?」
「いつでもどうぞ。その教会の近所の子供達も聞きに来たりしますから遠慮なさらずに」
「うん」
「行ってきます」
「…………行ってらっしゃい」
この言葉は久し振りだ。
“行ってらっしゃい”
隼人が僕を送り出す言葉。僕はいつだって“行ってきます”だったから。
「何してるんですか?」
先輩だ。
ティファさんの言葉に甘えて休むわけには行かないんだ。と、結局はきっぱりすっかりクビを貰いに行こうと苦しい思いでスーツを着た。そして、ドアを開ければ先輩が仁王立ち。
一体いつからだ?
「道案内してやる」
なんて上から目線だ!
「い、いいです。それよりも僕に言うことあるんじゃないですか?」
先に僕はクビって言えよ。言われたら駆け足で出てってやる。スーツは後で宅配するとして……。
「薬なら俺が預かってる」
は?
思えばクリーニング行きになったらしいスーツのポケットの中だったんだ。
「ほら、飯食べた後じゃなきゃ薬飲んじゃいけないんだろ?」
「僕はお腹空いてな……――」
ぐぅ…………。
あ…………。
「ぐ……グラタン?」
僕は苦し紛れに言ってみるが、
「………………」
先輩は無言。
そして、僕は先輩に抱き上げられていた。
「ちょお!!!?」
先輩はせっせと僕を勝手に運ぶ。
「誰かに見られる!」
「なら、朝食を食べるか?」
………………。
お腹空いてるなんて絶対に認めないけど、
「自分で歩きます!」
って僕は叫んだ。
「ヤバい……美味しい……」
「昨日の残りだが、うちのシェフは一流の中の一流だからな」
「三つ星以上?凄い!うわ、幸せだ」
「少しはペース落とせ」
僕はガツガツと僕と先輩以外誰もいない小部屋で先輩がどこからか運んできたトレーの料理に食らい付いていたが、先輩が僕から皿を取ってコップを差し出してくる。
「喉詰まるぞ」
美味しすぎてちょっと無理してたと言えば無理していた。
僕は水の入ったコップを受け取って喉を潤す。思えば水も昨日のお昼ご飯から飲んでない。
喉がカラカラだ。
水を貪りながら視界を游がすと、じっと僕を見詰める先輩と目があった。
意識すると気まずいな。
気付かなかったことにするか?
いや、バッチリ合ったし。
「…………先輩、見ないでください」
「“先輩”?」
あ、やばっ。
「………………高橋さん、見ないでください」
「…………“高橋さん”つまんないから“先輩”がいい」
なんだよ。
なら、先にそう言えよ(ムリだけど)。
「先輩、見ないでください!」
「嗚呼、嫌だ」
ウザいな。
「もう食べ終わったのか?」
「ま、まだ!全部食べます!」
「食細そうなのに無理するな」
「それこそ嫌だ!」
こんな高級料理はもう食べられなくなる。クビになるくらいなら、ムカついた面接官の為にも食べきってやるんだ。
それに……――
「七瀬、また明日も食べれる」
「違います……折角、作って頂いたものだから」
小さい頃から“ご飯代”でずっとコンビニ弁当を食べていた。中学、高校とそんな生活を続けていたら、隼人にそのことがバレて隼人宅に連行された。そして、隼人に延々と健康についてのお説教をされ、隼人の母親の手料理を食べさせられた。
『ハンバーグ……美味しい』
『うん。俺のも食べていいよ』
『い、いい。でも、ホントに……美味しいです』
『あなた、美味しいって』
『ああ。お前の料理は世界一だよ、時帆』
『穂さんったら、もうっ』
『母さんも父さんもじゃれないでよ』
『じゃれる?隼人のおませさん』
『じゃれるじゃない、愛のスキンシップだ』
『父さんっ!』
あれ以来、ハンバーグが一番好きな料理になった。それに隼人の性格が母親と父親を足して2で割った性格だと知った。
「残すなんて勿体ないから」
人の想いを残すなんて……――
「それでお前が体調崩したら迷惑だ」
僕のご飯を先輩は勝手に胃に収めた。ものの数秒だった。
「…………はっ!?僕の!」
「俺だってまだ朝は食べてない」
「食べ物の恨みは恐いんですからね!」
「お前が倒れてしまうよりはマシだ」
………………なんだよ。真面目に返すなよ。
なんか勢いが削がれた。
「なぁ、昨日のことは……――」
「あ、昨日は寝ちゃってすみません。いつの間にかティファさんのお部屋に。思えば、ティファさんのおとう様にもお礼を言いたいけれど……誰か分かりますか?」
「ティファのおとう様……嗚呼……気にしなくていい」
「はい?」
気にするだろ、普通。
「お礼なら十分貰っている」
意味不明。ま、先輩に訊くよりティファさんに直接訊けばいいだけだ。
「それよりも薬飲め。いくつだ?」
「2つ」
「じゃ、2つな。ほら」
何が“ほら”だ。と、考えている間に口に入れられた。そして、直ぐ様甘さが舌を刺激する。
席を立ち、向かいから僕の隣に移動した先輩は僕の顔を少し後ろに倒してコップを傾けた。冷えた水が甘味を流す。
これじゃあまるで、僕は餓鬼じゃないか。
「や、やめてください!」
僕は水で薬を飲み下した後で言った。コップを払い、強引なはずの先輩はそれですっと席を立って部屋から消える。
あまりにもあっさりとしていた。
怒った……?
「何だよ……」
馴れ馴れしいのは先輩じゃないか。僕はコミュニケーションとかスキンシップとか苦手なのに。
薬の瓶がテーブルに無造作に置かれていた。
「八尋君、いいわけ?」
「八尋君はやめろ」
「七瀬咲也はクビ。今朝の会議で決まった。いつ伝えんの?」
「………………」
「お前さぁ、なんでそこまで七瀬咲也に拘るわけ?過保護だろ。スキとかにしたってやり過ぎだ。それを七瀬咲也が喜ぶのか?」
「七瀬は……」
「奥でペーパーの仕事に雇うとかにしてやれよ。あれはヤバい。治療法もないのに薬だけじゃあ、マジでぽっくり……――」
「黙れ。俺はお前のそういう無神経なとこが嫌いだ」
「率直に言えばいいのか?七瀬咲也に死なれちゃあ困るんだよ。なんでよりにもよってここなんだよ。せめて二条とか三条にしろよ。なんで国都なんだよ」
「………………やめろ」
「あいつに居られたら迷惑なんだよ!」
「大野!!!!」
ガタッ……――
「っ!!」
「次何か言ってみろ、俺は従兄だろうが付き人だろうが許さない」
「お前のしていることは全部自己満足なんだよ!」
「自己満足だっていい。七瀬は変わる。ここで変わるんだ。七瀬の変わるきっかけにすらなれないなら、ここはそこまでだったって話だ。俺がここにいる意味はない」
「お前っ……裏切んのかよ!」
「裏切る?裏切ったのはどっちだ?」
「八尋……それは……」
「お前はそうだったな。“大野”だからな。逆らわないんだよな」
「……っ……」
「仕事に戻れ。今のお前は国都の新人雑務、大野優一だろ?俺は言い付け通り家で大人しくしてるさ」
「……………………八尋!」
「ん?」
「俺は……新人の優一としては……咲也が好きだ。でも……」
「いい。俺はあいつに助けられた。だから今度は俺はあいつを笑わせたい。自己満足になろうとも、国都を全ての人が笑顔になる場所にしたいだけだ。俺が目指すのはそんな国都で、気に食わないなら俺をクビにしろ」
「俺は伝えるだけだ。だけど、俺はそんな国都ならお前と一緒に目指したい」
「ああ、ありがとうな」