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四人組(2)

 パシッ……――



 平手打ち。

 そう気付くまでは時間が少し掛かった。


 頭の中で渦巻く重たくて汚いヘドロのようなものがパッと消え、その後は放心状態で無だった。そして、ゆっくりと意識が戻った時には先輩の顔が眼前にあった。

 最初、怖かった。

 あの黒がもの凄く……。

 目を逸らそうとしたら、先輩ががっしりと顔を掴んで固定してくる。

七瀬(ななせ)、俺の目を見ろ」

 見たくない。

 僕は目を瞑るしかない。

「七瀬!」

 厭だ。

 見たら……思い出してしまう。

高橋(たかはし)さん、無理させないで」

 大野(おおの)さんの声だ。でも、目が開けられないから声だけだ。

「そうですよ。お医者様も言っておられましたし、もう少しお休みさせた方が……」

 陸奥(むつ)さんの声だ。でも、目が開けられないから声だけだ。

「大野、陸奥、少し席を外してくれないか?勿論、無理はさせない。話の後で休ませる」

 あ……これは……――

「分かりました。行きましょう、大野さん」

「でも……」

「大野さん、高橋さんを信じて下さい」

「……信じてますよ」

 ばたん。

 あ…………ミスった。

 僕としては、上司命令とは言え、あっさり僕を置いて行かないで欲しい。


「七瀬、目ぇ開けろよ」

 そう、この時には僕はなんやかんやで意固地になってた気がする。

「…………」

「目、無理矢理開けんぞ?」

 そんなこと言っても、喩え変態痴漢野郎でも(これっぽっちも認めたくないけど)部下に暴力は振るえまい。万が一、それをした時はこの超凄いとかしか言えない国都を即追い出され、僕が先輩の座に立ってやる。


 ちっ……。


 そして聞こえた先輩の小さな舌打ち。散々、僕をコケにした仕返しだ。

 と、僕は忌々しい過去を忘れて無視をする振りをしながら、心中、餓鬼のようにくだらないことで先程僕をムカつくぐらい笑った先輩をこれでもかと笑っていた。


 が、いつも通り(?)僕はこの男に対してはあらゆる場面で不利だ。


「あーそうかよ」

 するりと僕の顎に掛かる先輩の冷たい手。

 あーそうだよ。

 思えばこいつには沢山言いたいことがあったんだ。

 そうモヤモヤと考えていたら、先輩の気配は堅い長椅子に寝転がる僕に覆い被さるように動いていた。

 ……?

 待てよ。

 これはまずい気がする。

 僕は変態痴漢野郎、変態痴漢野郎と考えていただけで、こいつとの二人きりがどういうことかを忘れていた。

 だってこいつ、


「キス待ちみたいだな」


 こーゆーやつだから。

 この捨て台詞を冗談だと受け取ったら、僕は絶対にこいつに犯される!その時の捨て台詞はこうだ。

 “犯され待ちみたいだな”

 考えていたらマジでありそうな気がした。これらは暴力と違ってなんとでも言い逃れできる。何より、 一般人は“男同士”なんて誰も関わり合いたくないだろう。如何にも見た目(・・・)は大人の先輩のホラを「そうですか。もうこのような問題は起こさないで下さいね」ぐらいで信じそうだ。

 “男女”は深刻で“男男”は深刻ではないと!?偏見だ!ま、僕だって、ホモのエロビデオ見るぐらいならグラビアのエロビデオの方がいい。

 いや、まだ見たことないからね。もしもの話だからね。女の人との経験をぶっ飛ばして男の人との経験で、初めてのあの時ではなくとも、エロビデオ見る暇がなく。でも、僕は見たいってわけでは…………。


 僕は一体誰に言い訳をしているんだ。


 てか、先輩をどうにかしないと!


「5……4……3……――」


 何のカウントだ!!!!


「誰もあんたとキスなんかしたいわけあるか!!!!!」


 しょうがないから僕は目を開けて叫んだ。勿論、先輩の黒の瞳をおもいっきり睨み付けて。


 あぁ、僕は先輩には不利なんだ。





「お前、どうした?」

 ですよね。

 先輩に奢って貰った缶コーヒーを啜りつつ、僕自身、叫びまくった挙げ句に気絶とか、絶対におかしい奴だ。発狂したとしか思えない。

 僕って随分と痛い子だな……。

「ま……あの……すみません。もう、あんなことはないようにします」

 何て言ってトラウマが失せたら人間苦労はしない。

「お前、どっか悪いとこあんの?」

 どっかり僕の隣に腰を下ろし、膝に肘を突いて猫背気味の先輩の表情は見えない。

 もしかして……やっぱりクビ?

「履歴書見てないんですか?」

 治療法の発見されてないものだが、抑える薬は蓮がくれるし、効き目がある。それに、蓮に会うその昔はマジで死ぬかもが一度あったきりでそれきりだ。とある女の人にあってから本当に楽に…この話は後にしよう。

 医者は入院を進めたけど、その時には僕の家は父は失踪、母はヒステリーと夜遊びで家庭崩壊していたから、隼人(はやと)に付き添われながら入院しますなど言えなかった。家には貯金も差出人不明の多分父であろう送金もあったけど、母が毎週僕に与える1万円以外は使っていた。それに、父似の僕を嫌う母が僕の為に莫大な入院費を出すわけも食費を引いた僕のお小遣いで足りるわけもなく、まぁ、入院は無理だった。

 ここで同情は要らない。

 僕に取って、僕より不幸だったのは、そういう大人になりたくないと誓った母の方なのだから。僕には隼人が、隼人の両親がいた。

 じゃあ、母は?

 それに、僕みたいな過去の持ち主なんて何万といる。家庭はなく、不治の病。それが不幸なんじゃなくて、本当に不幸なのは心を温めてくれるものがないものだ。

 僕はほぼ毎日、世界の戦争のニュースを見る。テレビの中の銃撃戦。悲しいのは破壊される街ではなくて、破壊される家の中で突然死を迎える、僕とは全く関係のない人達だ。

 長くなったね。

 ただ僕は、僕は隼人に生きる命を貰い、僕はここで生きている。僕は不幸じゃないから同情もいらない。

 そう言いたかっただけなんだ。

「そうだな。履歴書だな……」

 上司になるなら見とけよ。と、思った。でも、チーフっていう上司の中でも上司でお偉い様だから部下とかはどうでもいいのかも。てか、絶対にこいつはめんどくさがりだ。

「心臓が少しだけ弱いだけです。それに…さっきのはそれとは関係ないですし」

 さっきのは『僕が押し付けた正義で人を傷付けた』という、正義を掲げる自分にとって都合が悪いから忘れていた過去が蘇り、それに動揺しただけだ。

「なら、良かった」

 良かった?正直、厄介者はクビかと思ってた。

 案外、先輩は変な人だ。

 でも……まぁ……――




 どういたしまして。



 と、僕は大人として、先輩に頭を撫でられながら心の中でなら呟かないこともないかな。





「咲也ぁ!」

 一度、僕は昼休みの間ずっと無理矢理眠らされ、起きた時には大野さんが医務室に転がり込んで来てハグされた。

「お……大野さん……」

優一(ゆういち)だ、咲也っ!」

 そんなに凄い形相で正されても……優一さん。

「七瀬さん、ご気分が悪い時は遠慮なくおっしゃってください」

 陸奥さんのこれは聞くからに命令だな。と、僕は理解した。迷惑は掛けられないと口を閉じていたら、逆に迷惑になる。これも隼人に教えられた。

 でも、迷惑になればなるほど、僕がクビになる可能性も高くなる。

 これがパラドックスなのか……。

「すみません」

「いえ。ご無事で何よりです。ところで高橋さん、午後はどういう予定でしょうか?」

「午後か。一応、今日はこの建物の案内だった気もしない」

 気もしない。って、随分頼りないチーフだ。

「明日から仕事に入るからな。七瀬、来れるか?」

もう眠りまくった気がする。今、動かないと体が機能停止しそうだ。

「行けます。迷子は厭ですし」

 こいつに引き摺られるのはもうこりごりで……。

「あ……」

「七瀬?どうした?」

 ふと思い出される薬の存在。そうだ、落としたままなんだ。でも、迷惑は掛けられない。ただでさえ…僕は皆の足手まといなんだ。

「いえ……大丈夫です」

 後で探そう。

 急なことがない限り、発作は勝手には起きない。そうだ、建物を見るだけで仕事には入らないんだ。大丈夫。

「案内途中に迷子になるなよ?案内の意味ねぇし」

 先輩はさらりとムカつくことを言う。

「大丈夫。その時は俺が見付けますよ」

 優一さんは笑顔で僕の頭を撫でた。

 何で皆、撫でるんだろう。

「あ、ありがとうございます」

 謝ると、再びこの構図だ。

 先輩が僕をじっと見ている。

「な……何ですか?」

 尋ねれば、先輩は僕から目を逸らし、その時、誰かの携帯のバイブ音が聞こえた。僕ではないのは確かだ。

 だって、不良に壊されたし。弁償してくれなかったし、本当にあいつらむかつく。

「あ、俺か」

 暫く周囲を見回してから、自分だと気づいた先輩は黒の携帯をポケットから取り出すと、発信者を確認してから出た。何だか、ますます頼りない奴だ。仮にも僕を助けた本物の振りができる偽者のヒーローのくせに。

千原(ちはら)、何しでかした?」

 真っ先に聞くのは失敗について。まるで、最初から分かっていたかのような。

「あー……消えた?」

 事実、電話の主は失敗したようだ。

「泣くな。今から行くから」

 もう片手で今では珍しいポケベルを取り出すと、千原さんとやらに指示を出しながら器用に素早く指を動かす。僕がやったら、絶対に攣るな。

「大野、後頼んだわ」

「へ?」

 電話を切ったかと思うと、先輩は後頭部を掻いて立ち上がった。まぁ、下っ端は使い物にならないが、どうやら、僕達は放置されるらしい。

「俺、案内なんて無理ですよ?」

「嘘つけ。地図持ってんだし、迷子にならなきゃいい。七瀬みたいにな」

 一言余計だ!

「そうだ、くれぐれも表で騒ぐなよ。お客に会ったら、軽く頭下げてとか思うなよ。止まって、90度きっかり頭下げろ。常識な。やってくんなきゃ俺の面子丸つぶれだし」

八尋(やひろ)、あれ、マジなのかよ!』

 ドアの向こうから聞こえるのは先輩の知り合いだろう。八尋……か。

「ああ、マジだ。なんで母親が見てないんかな。あ、そうだ」

「?」

「金髪碧眼でツインテールの6歳女児、ベルちゃんを見たら保護してくれ」

 ベルちゃん?もしや、先輩に掛かってきた携帯の内容って……――

 それだけ言って、先輩は指先を立てて曲げると、ウインクをして去った。

 なんだよそれ。

「咲也と同じ迷子かもしんないな」

 それ、冗談じゃないですよ、優一さん。かもじゃなくて、

「迷子ですよ、大野さん」

 陸奥さんは長椅子に座る僕の手を引くと、乱れた髪を撫でてくれる。これはこれで、未だに経験したことがないけど、おじいちゃんと孫?それって、僕は餓鬼ではないか?

「七瀬さんがお昼を食べ終わったら行きましょうか」

「そうですね」

「あ、昼はいいです」

 なんかお腹空いてないし。

 すると、二人は僕の顔をこっちが恥ずかしくなるぐらいじっと見てくる。一体、僕は何をしたというのだ!?

「育ち盛りが無理はいけないぞ」

 と、優一さん。

「やっぱりまだ体調が……」

 と、陸奥さん。

「え!?あ、大丈夫ですよ。ほら、お腹が空きすぎると、時間が経った時には全然食欲がないという、あれです」

 優一さんは「俺はいつでも食欲があるけどな」と言い、陸奥さんは「私はいつも時間通りですから」と言った。二人ともやっぱり大人だ。僕の言葉に首を傾げながらも、僕が大丈夫だと繰り返せば安心してくれた。


 それにしても……――


「行くか」

「行きましょうか」


 優一さんと陸奥さん、二人は休憩所の扉を開けた。僕も続こうとした。

 しかし、続けなかった。


 僕の前で閉まる細かな彫刻の入った扉。


 閉まった。

 扉が閉まった。


「泣くなよ……弱虫な僕」

 早く開けないと二人が変に思う。



「七瀬咲也、お前は幸せ者だよ」



 だから、早く止まれよ。

 泣いていたら前に進めないだろ。


『咲也?』

『七瀬さん?』


 僕は前に進んで変わらなきゃいけない。


 それに、



 見えなくても隼人は僕の傍にいるはずだから。


「今行きます」

 僕は扉を開けた。

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