一難去ってまた一難
『曲がったことが許せないのは分かるよ。だけど、だからって無闇に首を突っ込んだら危ない』
と、言われたことがある。
あの事件で僕はやっとこさその意味を理解した――
はずだった。
喩え、目の前でいかにも気弱そうな男性が若い兄ちゃんにお金を揺すられていても、
「そんなことして恥ずかしくないわけ?」
なんて挑発してはいけない。
そんなことをしては逆に、
「はぁ?なに善人ぶってんの?」
ほら、こうなる。
殴られて泣き、この強気の顔が崩れる前に訂正して置こう。
僕は善人ぶってはいない。
何処からどう見たって
善人だ。
何故こうなったかって?
あの事件で少しは大人になった僕は正義だのヒーローだのはもうどうでもよくなっていた。
悪いことは悪いことなんだから、絶対にしてはいけない。だから、僕は何も言わない皆の代わりに、悪いことは悪いと言うんだ。
そんな使命感じみたものを胸に、僕は虐められているクラスメートの助けに入った。それが原因で僕は高校を中退した。そんな僕はバイトで生計を立てて勉強していた。
今の僕の夢は大学に入り、弁護士になるための勉強をすることだ。
そして、今朝。
大学に入りたいと思った僕はもっと安定した高い収入を求めて、大手ホテル会社に入社しようと面接をしに来たのだった。
でだ。
『暴力事件で高校中退、ふーん。そうなの』
聞く気なし。
『暴力事件で、高校、中退』
妙に区切りを付けて言い続ける。
ああ、無理だな。そう思ったら言われてるだけなんて許せなくなっていた。虐めをほっとけなくて何が悪い。そう、僕は善いことをして退学になったのだ。と、怒鳴り、会社を飛び出した。
我ながら餓鬼だと思うが、そんなことがあった後だったのだ。
揺すりの現場に出会したのは。
正義を振りかざすつもりはないけど、面接でのことといい、無性に腹がたった。つまり、僕は冷静な判断ができずに無謀な相手に八つ当たりをしてしまったのだ。
そして今に至る。
気弱そうな男性は僕が現れてできた隙を突いて逃げた。それによってキレ気味のヤンキーの相手は自然と僕になる。
今更だけど謝れば許してくれるだろうか。
しかし、路地の壁に追い込まれた今の僕は超が付くくらい冷静だから無意味だということぐらい一瞬で分かる。
お金を出せば……。
今時の若者は妙にプライドが高いから困る。それこそ流行らしき腰パンに対する拘りぐらいだろう。僕は一度でいいから、下手したら公然猥褻罪なのに何故腰パンを好むのか訊いてみたい。
それは置いといて、お金が欲しくて弱いもの虐めをしているのに、僕みたいな善人のお金は受け取らない。
僕のお金は眩し過ぎて君達みたいな悪人には受け取れないのかい?
と、鼻高々に言ってみたいとも思う。
「それどころじゃないだろ!」
小さな声で僕は僕に突っ込みを入れる。
そうだ。
今更謝ったって、後悔したって……。
いや、後悔はしてない。
誰一人として僕を称賛しなくとも、僕は僕のしたことに後悔なんかしない。
じゃないと、僕はあいつとの約束を破ることになる。高校を中退してから生きるためのバイトで忙しかった僕は、時間が空くようになった頃にはあいつへの連絡は気まずくなっていた。
一応、此方の住所をあいつは知っている。高校生という立場と僕との約束からあいつは簡単には東京にでられなかったはずだ。だけど、順調に行けば院にいるはずの今も来ないのは忙しいのか、はたまた、僕達の関係は既に壊れていたのか。
僕から連絡をとってもいいが……もうヤメならヤメでもいい。
だけど、約束だけは護りたいと思う。
あいつは僕の為に医者になる。
僕は絶対に後悔はしない。
それが約束。
「警察に連絡しますよ!!!!」
走馬灯のように浮かぶ記憶に僕は力を貰って叫んでいた。
が、
「どうやって連絡するのかなぁ?」
そんなの――
「携帯に……」
ない。
ポケットを探るがあるはずの月で餅をつくウサギのストラップ付き携帯がない。
何で…………!?
「……それ!!」
一人の男の手には僕の携帯が握られていた。
「返せ!」
「携帯がなきゃ連絡できないな。どうすんの?」
それよりもだ。
「何すんだよ!」
あろうことか人の携帯を投げ捨てた。そんな邪険に扱うな。僕は男達を睨む。
あの携帯にいくら掛かるのか教えてやりたい。
僕は可哀想な携帯を守るために手を伸ばした。
「いっ!!」
踏まれた。骨が軋む音がした気がした。
泣くものかと唇を噛むが、涙は僕の意思に反して湧き出す。
「こいつ、泣いてんぜ」
僕はけらけらと笑われる。
「泣いて……ない!」
「だってさ」
下品な笑い声。
火の付いた煙草を消すように僕の手を踏みつける。
僕はもう片手で足を退かそうと力を込めるがビクともしない。
最悪だ。
面接でのことも今も。
『明日は面接だろう?今日はもういいよ。早く帰ってお休み。いなくなっちゃうのは寂しいけど、応援してるよ』
何処へ行っても履歴書を見るだけで人間性を決め付けられる。
だけど、オーナーだけは違った。良くしてくれたオーナーの入れる温かいコーヒーが飲みたい。
ガシャン。
不吉な音がした。
「これで何もできないな」
僕の目の前で携帯が踏みつけられて壊されていく。
光った画面に映ったのはあいつと僕の写真。
幸せだった時の写真。
たった1枚しかない僕達の写真。
それが音もなく消えた。
ぶちっ。
血管が切れた気がする。
否、キレた。
「この馬鹿野郎!!!!!!て言うか、お前達は馬よりも鹿よりも下だ!ミジンコ以下だ!!!!」
人は窮地に陥ると秘めた力を発揮すると言うが、本当だった。
僕は全身で一人の男に体当たりした。渾身の一撃は効いた。
男は倒れる。
ついでに僕もバランスを崩して倒れる。
いい感じのクッションになった男の急所に肘を突いて顔を上げた僕の目に二人目が映った。
「野郎!」
そして、僕を野郎と叫ぶ野郎2人目は――
勝手に投げ出されていた僕の足に躓き、壁に額を打ち付けて倒れた。
何だか分からないが、あと一人だ。
「なめやがって!!」
僕はなめてなんかいない。そっちが僕をなめたんだ。
きた。
チンピラの拳が迫る。
だけど、僕は怖くない。
きっと神様は僕の味方だからだ。
だから、大丈夫。
「成敗だ!」
叫んだ僕は前に拳を突き出していた。
反射的に瞑った目をそっと開ければ、
ばたり。
男の顎にクリーンヒットしていた。ノックアウト。
…………………………………マジだ。
沸々と沸き上がる喜び。
「………………………勝った」
正義が悪に勝った。
今日は最高だ。
しかし、
「危ない!!!!!!」
誰?
「てめえ!よくもやってくれたなあ!!!!!!」
黒い影は鉄パイプを振りかざしていた。
普段あまり動かさない僕の手足は先程の乱闘で悲鳴をあげていて全く動かない。
『喧嘩に捲き込まれ、死亡』と、最近、よく聞くニュースに僕の名前が小さく乗って終わるんだ。
厭だな。
だけど、謝るもんか。
だって、
やっぱり、あいつとの約束を破りたくないんだ。
「………………隼人………………」
僕はあいつの後ろ姿を見た気がした。
あの時のように助けてくれたその姿を。
それは強い力で男を殴り飛ばした。
男は喚いて走り去る。
ほんの一瞬の出来事だった。
「大丈夫かよ!」
そして、僕を介抱するその人の腕の中で、元のひ弱な人間に戻った僕は貧血で完全に意識を失ったのだった。
これが、僕、七瀬咲也の不幸な1日。