物憂い (5)
「真っ直ぐになったね」
スタイリストと鏡越しに目が合い、ニッコリと笑った。スタイリストが鋏を動かすたびに髪の毛がパラパラと床に落ちていく。
「前髪はどうする?額を見せるのも可愛いと思うわよ」
鏡に映る自分を見ながら、少し考えた。今の長さは邪魔だと思うけど、顔を隠すためには長い方が都合が良いんだよね。
「前髪は、少しだけ切ってください」
「少し?この位かな?」
スタイリストの言う長さで頷くと、前髪に鋏が入れられた。
「できた。可愛いわよ」
「ありがとう」
顔を動かすたびにサラサラと揺れる髪の毛が面白くて楽しくて、何度も横を向いたりしているとお店のスタッフに笑われた。
会計を済ませてお店を出ようとすると、葵から電話がかかってきた。
「なぁに?」
『梨桜、まだ終わらないのか?』
どうしたんだろう?声が強張っている。
少し不思議に思いながら、美容室から出るところだと説明すると、お店の傍に何があるか聞いてきた。
「う~ん…カフェと雑貨屋さんがあるよ」
『そこで待ってろ』
夕飯のおかずを買いに行こうと思っていたのに、命令口調で言われて、反論しようと口を開きかけたら
『いいからカフェで待ってろ、わかったな?』
まだ何も言っていないのに、不服に感じたことが伝わってしまった。
「うん、わかった」
強い口調で言われて、つい返事をしてしまった。
何かあったんだろうか?
疑問に思いながら美容室の隣にあるカフェに入ると、携帯が鳴った。
今度は誰?
そう思いながら画面を見て、やはり何かあったんじゃないかと思わずにいられなかった。
「もしもし」
『今どこにいる?』
「カフェにいるよ」
苛立った声で電話を掛けてきた寛貴に正直に答えてしまった。さっきの葵といい、電話を掛けてきている寛貴といい、絶対何かあったんだ。
「どうしたの?」
何かあったとしても葵は教えてくれない。でも、寛貴なら教えてくれるかもしれないと思って聞いたら、溜息をつかれてしまった。
『なんで家に居ないんだよ…』
なんでって…そんなに呆れたように言わなくてもいいじゃない!?
さっきから、なんなのよ!
『今すぐタクシーに乗って家に帰れ』
寛貴にも命令する強い口調で言われた。
「理由は?」
『いいから言うとおりにしろ。できないなら迎えに行って家まで連れ帰るぞ』
この男達は理由も言わないで人に命令ばっかり…私が大人しく言うことを聞くと思わないで欲しい。
当人なのに何も教えてもらえずに、ただ言われる通りに動かなければいけないなんて納得がいかない。
「さっき、葵からも電話が来たの。何かあったんでしょう?どうして私に教えてくれないの?」
『宮野に何を言われた?』
葵の名前を出すと、寛貴の声がさらに固くなったような気がした。
「似たような事だよ。ねぇ寛貴、何があったの?」
電話の向こうで誰かと話をしている寛貴は私の問いかけに答えてくれなかった。もう一度「寛貴、教えて」と聞いたけれど『落ち着いたら教える。それより早くカフェを出ろ』とはぐらかされてしまった。
「寛貴、教えて。教えてくれないなら帰らない」
『―――梨桜、今すぐに家に帰ってくれ』
聞いている方が切なくなってしまうような掠れた声で言われて、返事ができなかった。寛貴が心配している。それだけは痛いくらいに伝わった。
『聞いてるのか?返事をしろ』
「うん、今日は帰るから心配しないで」
もうすぐ葵がここに迎えに来る事を思い出して、寛貴が心配しなくても良いように返事をした。
『家に着いたら連絡しろ。いいな?』
制服を着崩した男の子と女の子のグループが視界の隅に入った。あまり良い感じがしないグループだな…そう思いながら寛貴に返事をした。
「うん。じゃあね」
電話を切ると視線を感じたけれど、気づかないふりをして紅茶を飲んだ。
「ねぇ、あれ紫苑の制服じゃない?」
「ほんとだ~、紫苑の女子を見るのってレアじゃねぇ?」
会話が聞こえてきて私は溜息をついた。
「ねぇ、紫苑だよね?」
声をかけられた人に目を向けて、気づかれないようにもう一度溜息をついた。
“派手”そんな雰囲気のグループだった。間近で見ても、良い感じがしないという印象は変わらなかった。
やっかいだな…葵、早く来てくれないかな。
「やっぱ朱雀に入ってんの?」
紫苑=朱雀 東青=青龍 このイメージって無くならないんだな。
この人に返事をしたくないな。そう思ったけれど、絡まれたくなかったから一言で返した。
「入ってません」
派手な化粧をした女の子が私を見た。その化粧に思わず目が釘付けになってしまった。
化粧直し、した方がいいんじゃない?そのマスカラのつけ方、汚すぎるよ…
「何で?あそこの総長って、超かっこいいデショ」
顔でチームに入るの?それが基準だったら、代々顔が良くないと総長は務まらなくて大変じゃない?
くだらない。――早く、私の前から消えてくれないかな。
「やっぱり朱雀の幹部ってかっこいい?彼女とかいるの?」
その問いには答えずに、また紅茶を飲んだ。
煩い…。せっかく気分転換をしてきたばかりなのに、また苛立ちが募ってきた。
「青龍の総長もかっこいいよ、私なら青龍の幹部に近付きたいな。だってそうしたら、すっごいじゃない?」
もう一人、化粧の濃い女の子がチームの幹部に近付いた際のメリットを並べ立て始めた。
なんて不愉快な発言なんだろう…それしか考えられないの?葵の事も、寛貴の事も顔だけで判断しないで欲しい。
不愉快だと思う私の方が変なのだろうか?
「ちょっと、どけてもらえる?私帰るから」
これ以上ここにいる事が耐えられなくて席から立つと、男は顔を近づけてきて煙草臭さに思わず顔をしかめた。
「あんたさぁ、アレじゃねぇの?」
アレ?アレってなに?
私の顔をジロジロと見る男を見返していると、男はニヤリと笑った。