均衡 (4)
愁君が小さなため息をついている横で、私は帰りの車の中で怒られることを覚悟した。
確かに、今のやりとりはまずかったと思う。『何?』に対して『何が?』って答えるべきだった!!…でも、葵が近づいてきた段階でジュースを買いに行くんだってわかっちゃったんだもん。今となってはもう遅いけど…
寛貴達はどんな顔をして私を見ているのだろう?怖くてボタンを縫いつけているシャツから目を離せずにいると、頭の上から能天気な声が響いた。
「梨桜ちゃ~ん、オレもボタンがとれそうなんだ。つけてくれる?」
拓弥君はそう言って、袖口を目の前に出した。
相変わらずの軽い口調に拍子抜けしてしまった。さっきの葵とのやりとりを聞いて、何も思わなかったの?
拓弥君て…鈍いの?
「うん、いいよ。つけてあげる」
そう言うと、拓弥君が私の目の前に腕を伸ばしてきた。
この状態で縫えっていう事?
「え?拓弥君、このままで縫うの?」
「そう。このままつけて?」
「大橋ってやっぱ、バカだな」
私の隣で愁君が呆れていた。
「梨桜、針が刺さってもいいぞ。気にするな」
酷いことを言っている寛貴を見ると、机に頬杖をついて愁君と同じように呆れた顔をして私達を見ていた。
「寛貴!オレを何だと思ってんだよ」
すぐ近くに拓弥君の顔があって凄くやりにくい。
「手のかかるバカだろ」
寛貴、酷い。拓弥君には容赦ないんだね…。
拓弥君は寛貴に向かって文句を言っている。それを受けて寛貴は余裕の笑みを浮かべていた。これでもこの二人って仲がいいんだよね?
「拓弥君、動かないで。ホントに針が刺さるよ?」
ボタンを縫い付けていると、葵が戻ってきて机の上にジュースを置いた。
「これ、着ていいのか?」
ボタンをつけ終えたシャツを掴んで私に聞き、私は葵を見ずに答えた。
「うん。家に帰ったら他のボタンも確認した方がいいと思うよ」
私が確認するんだけどね…一緒に買ったシャツもチェックしておこう。
ボタンをつけ終わり、プツンと糸を切ってボタンを留めてあげた。
「はい、できた」
針をしまっていると、携帯が震えた。
「梨桜ちゃん、御礼にケーキ奢るよ」
拓弥君がいつもの軽い調子で言い出し、私は携帯を見ながら軽く流した。
「ボタンつけたくらいで御礼なんていらないよ」
メールを読んで携帯をパチンと閉じた。
『このパーカー捜してたんだぞ!犯人はお前だったんだな』
葵ってば、貸してねって言ったのに忘れてるんだ。
「梨桜ちゃ~ん。デートしよ?」
その言葉に振り返ると、目の前に拓弥君の顔があった。
近すぎるでしょ、その距離。
「デートしよ」
ソーイングセットを拓弥君の目の前に持ち上げてニッコリと笑った。
「その口も縫い付けてあげようか?」
一瞬、拓弥君の口角が上がったのを見逃さなかった。
何を企んで軽く見せているのかわからないけど、その気もないくせに女の子を誘うような事ばかり言わないでよね?
「梨桜ちゃん、怖いよ!」
すぐにチャラ男に戻った拓弥君にある意味感心してしまう。
呆れていると、また私の携帯が震えた。
着信画面を見ると、アドレス帳に登録されていないアドレスからのメールだった。
届いたメールを開くと、短い文章が入っていた。
『どうして何も言わないで東京に行った?』