上の空
週末、慧君は京都に行ってしまった。
東京駅のホームまで見送りに行って、そこでまた泣いてしまい、葵は呆れていた。
慧君が京都に行ってしまってから、葵の様子が少し変。
本人は、普通に過ごしているつもりみたいだけど、私の目を甘く見ないでほしい。
何かを考えている。
悩んでる。
日曜、私達は隣の県まで買い物に来ていた。
ゆっくり洋服を見たかったから、『郊外のショッピングモールに行きたい』と強請ったら、あっさりと連れてきてくれた。
「行きたいところがあるんだけど、一緒に行ってくれる?」
目の前に座る葵は、長い睫毛を伏せてコーヒーを飲んでいる。
「どこ?」
今だって、私の話を聞いているようで聞いていない。
いつもなら『行先きを聞いてから考える』とか言うくせに‥
大体、葵がカフェでコーヒーを飲むこと自体が珍しい。
女の子の熱い視線を『うざい』『気持ち悪い』と言って入りたがらないくせに‥
今だってお店にいる女の子の視線を一身に浴びているのに、文句ひとつ言わないで私の話に頷きながらコーヒーを飲んでいる。
「うん‥反対しない?」
「ああ、言ってみろよ」
不自然だっていう事が分からないのだろうか?私の事には物凄く敏感なくせに、自分の事は無頓着というか、鈍いというか‥
「水着買って一緒にプールに行こう?」
そう言うと頷いた。
ほら、聞いてない。
「ああ。いいんじゃな…・あ?今なんて言った?」
反応が遅いよ、いつもなら『水着』って言っただけで反応するじゃない。
何をそんなに考え込んでいるの?
「葵」
「なんだよ」
「薄情者」
「は?」
私には言えないの?
「最近、変だよ。自覚してないの?」
私から目を逸らしてテーブルに置いてあった伝票を掴んで立ち上がった。
「行くぞ」
慌てて葵を追いかけた。
「葵、待って!」
レジで会計を済ませた葵は一人で先に歩いて行ってしまい、私は一生懸命追いかけた。
普段は『走るな、ゆっくり歩け』って口うるさいくせに、今日は早足で追いかけないとついていけない速さで歩いて行く。
人込みを縫うように先を歩いて行く葵の背中を見失わないように必死に追いかけたけれど、葵との差はどんどん開いてしまった。
「待ってよ‥」
葵を見失ってしまった。
人込みの中にいても葵を見つける自信はあるけど、今、この人込みの中で葵を見つけることは出来なかった。
人込みを抜けて、ベンチに座り携帯を開いた。
『落ち着いたら迎えに来て。ベンチで待ってるから』途中まで文章を入力していると、隣にドサリと誰かが座った。
「悪い‥」
「話してくれたら許してあげる」
携帯を閉じて、バッグに入れながら言うと、隣からため息が聞こえた。
「話してくれないなら一人で帰る」
「…戻れって言われた」
戻れ?
「誰に?何に戻るの」
「東堂 葵」
ああ、そう言う事か。
きっと、慧君が葵に言ったんだ‥秋になるとママが亡くなって1年が経つ。
「葵はどうしたいの?」
「わからない。今更とも思う」
私は両手を伸ばすと葵の頬に触れて、綺麗な顔を自分の方に向けた。
いつも真っ直ぐに私を見る瞳が揺れている。
「私は、葵の好きにしたらいいと思う」
きっと、東堂 葵から宮野 葵になった時に葵は凄く戸惑ったと思う。それと同じ思いをするのは辛いと思う。
「梨桜ならどうする?」
私なら、生まれた時の名前に戻りたいと思う。でも、今葵にそれを言うのは躊躇われた。
「悩むと思う。時間をかけて考えて?葵の望むようにすればいいと思うよ。私の事よりも、自分がどうしたいか、それを考えて」
そう言うと、いつも葵が私にするように頭をクシャクシャと撫でてあげた。
「いつも葵は自分よりも私を優先させてくれるよね?でもこれは葵の気持ちを優先させて考えてね?絶対だよ」
葵の顔を覗き込んで言うと、葵は小さく頷いた。
「ね、今日は私がぎゅーってしてあげようか」
そう言うと、頬を摘ままれた。
「調子に乗るなよ」
口調は怒ってるけど、いつもよりも優しく摘まんでいる。
照れなくてもいいのに。
ウチに帰ったらぎゅーってしてあげる。