水底に沈む…(5)
私の着替えが届くまでの間、何故か寛貴と拓弥君に「メガネをかけろ」と言われて、変装用のメガネをかけた。
学校が終わって、いつも通りに迎えに来てくれた桜庭さんはドアを開けてくれた。
「どうしたんですか?梨桜さん、乗って下さい」
不思議そうに私を見る桜庭さんを見上げて、強張った笑みを向けた。
私を見た葵が一瞬にして顔を強張らせ、眉をひそめて怖い顔をして私を見ている。
私、まだ何も言っていないのにどうしてこんなに一瞬にして不機嫌になるの?
このまま踵を返して電車で帰ろうかなぁ‥
私が電車で帰ろうか、車に乗ろうかと迷っていると
「梨桜ちゃん。まさかこのまま駅に戻ろうとか思ってないよね?」
わざわざ助手席から降りた愁君に笑顔を向けられて、心の中で泣きながら車に乗り込んだ。
「何があった?」
運転をしている桜庭さんに申し訳ないくらいに車内は最悪な空気が漂っている。
「あのね‥」
「どうして朝と髪型が違うんだ?」
そこか、そこですか。
「梨桜ちゃん、前髪を上げちゃダメだよ。それにその荷物は何?」
寛貴から借りたTシャツを洗って返そうと思って持ち帰ってきた荷物を愁君に指摘されてしまった。
愁君、目ざといよ!?お局さまみたいだよ!!
「なんだこれ」
葵に紙袋を取り上げられてしまった。
「メンズサイズのTシャツとジャージ‥おまえ、学校で何をしてきた?」
「‥えっと‥生徒会のメンバーに素顔がバレた」
恐る恐る言いながら葵を見上げると更に不機嫌になってしまった。
「おまえは‥オレに監禁されたいのか?」
真顔で言う葵が怖くて首を横に振った。
「そんなのやだっ」
「梨桜ちゃん、葵に監禁されるか、男装してウチの高校に転校するのとどっちがいい?」
不機嫌な顔をしたまま凄む葵と対照的に、王子様スマイルでとんでもなく恐ろしいことを言う愁君。
「梨桜、早く選べ。っつーかおまえ、男の恰好して転校して来い。それが一番手っ取り早くて楽だ」
「そんなの無理に決まってるでしょ!?」
私が半泣きで言うと、愁君がニッコリと笑った。
「オレ達が納得できるように、最初から説明してくれる?内容によっては本当に転校してきてもらうからね?」
二人とも怖いよ…
黒い王子様に半ば脅されながら、チームハウスで水泳の時間に起こった事の顛末を話すと葵は天井を仰ぎ見たまま動かなくなってしまった。
「葵、人命救助だよ?」
「…‥」
「あそこで飛び込まなかったら、先生がどうなっていたか分からないよ?」
「…わかってる」
顔がバレてしまったものは仕方がない!生徒会以外ではメガネをかけ続けるし。
寛貴も何も言わなかったし、葵が考えているような影響は出ないんじゃない?
気持ちを切り替えている私とは対照的に動かない葵。
「でもさ、梨桜ちゃんの素顔を見られちゃったんだよね?藤島に何か言われた?」
「無茶はするなって言われただけ。あと、寛貴と拓弥君に生徒会室以外ではメガネを外すなって言われた」
「はぁ!?」
急に葵が復活した。
「藤島がそんなことを言い出したの?」
「うん」
さっき、隣のクラスにいる葵が助けた朱雀のメンバー飛澤章吾の存在を思い出した。
彼は葵と一緒にいるときに会い、私の素顔を知っている。だからメガネは必要なんだよね。寛貴達がメガネをかけろと言ってくれて良かったのかもしれない。
「梨桜」
葵に呼ばれて、顔を向けるとまだ難しい顔をしている葵がいた。
「なに?」
「何回も言うけど、わかってるな?」
「わかってるよ『朱雀のメンバーにはなるな』でしょ?でも、私は青龍のメンバーになっているつもりもないからね?」
私が言うと、葵と愁君の眉が顰められた。
そんな怖い顔したって駄目だからね、私はチームには入らない。
本当はこうやって学校帰りにたまり場に出入りすることだってチームの人達は良く思っていないかもしれない。
私は部外者だから遠慮するべきだと思ってる。
――――
――――
休み時間に悠君に宿題のノートを写させてあげていると、悠君が泣き言を言って来た。
「梨桜ちゃん、試験の範囲広すぎだよな!?」
「そぉ?こんなもんじゃない?」
さすが進学校だけあって試験が多い。それに期末試験も控えている。
「あのぉ、東堂さん」
隣のクラスの女子生徒が教室の外から私を呼んだ。
私がプールに飛び込んで先生を助けてから、女子が声を掛けてくることが多くなった。男子生徒からは聞えよがしな陰口を聞くことはなくなったけれど、やっぱり私を遠巻きに見ている。
「なに?」
廊下に出ると、隣の1組の子だった。彼女は確か、小橋 恵美ちゃん
「明日は調理実習でしょう?一緒に準備をしない?」
その申し出に笑みが浮かんだ。
「うん。誘ってくれてありがとう」
「この前の実習で東堂さんが作ったお料理美味しそうだったよね。お料理が趣味なの?」
「私が家族の食事を作っているの。趣味まではいかないけど、料理をつくるの好きだよ」
女子が少ないこの学校の調理実習は少し変わっている。
担当教諭の他にサポートの先生がつくのだけれど、人数が少なすぎるから手の込んだ料理を作っても良いことになっている。
「お料理を教えてくれる?」
「うん」
小橋さんは「放課後に一緒に行こうね」と言い教室に帰って行った。
「何の話?」
悠君がノートを書き写しながら聞いてきた。
「明日の調理実習の準備を一緒にする約束」
「ふぅん、明日は何を作るの?」
「明日のテーマは根菜料理なの」
業務用オーブンがセットされている調理台を一人一台使える。
テーマと予算を言われて、自分で献立を考えて先生の許可が出ればそれを作ってよい。
作るときは先生と助手の人がサポートしてくれる。
「根菜ってなんだ?」
そこから説明するの?
「根菜はごぼうとか、じゃがいもだよ。明日はじゃがいも餅とごぼうのサラダとかぶと手羽肉のスペアリブ」
根菜類について、ものすごく大雑把な説明をしてから明日の献立を言うと、悠君は私をじ~っと見る。
「どうしたの?」
「美味そうだな。いいな」
いいな。そう言いながら私をじっと見る。
訴えているその眼につい、
「食べる?」
そう言うと、ぱぁっと明るく笑った。か、かわいい…
「いいのか!?」
「美味しいかどうかはわからないよ?」
「梨桜ちゃんが作るなら美味いって!」
その根拠はどこからくるんだ?
首を捻りながら悠君を見ると、ニコニコしながら私を見ていた。