触れる唇 (5) side:悠
「…」
周囲を睨み付ければ、目を泳がせながら目を反らす男達。
ここで熟睡できるのが信じられない。
「ったく…」
後ろから半ば諦めたような呟きが聞こえた。
オレも寛貴さんも、何回ガン飛ばしたか分からねぇ…上級生相手に良くやる、と我ながら思うけれど、オレが座っている後ろの席では、眠り姫が寛貴さんの肩に凭れて、無防備な顔で眠りこけているから仕方がない。
「幸せそうな顔しちゃって…酔い止めの薬を飲ませたのは間違いだったな」
オレの隣で後ろを覗き込んでいる拓弥さん。オレも後ろを見ると、やっぱり眠り姫は眠っている。
「見んな」
ひでー!バスの中なんだから仕方ないのに…
「別にいいだろ、減るもんじゃない」
「…ん」
バスが揺れて薄く目を開けた。
トロン、と眠そうな目で自分が凭れていた隣を見上げてフワリ笑っていた。
「……寛貴だ」
寝ぼけてんのか?
「おはよ」
凶器の笑顔で微笑んで、ドリンクホルダーに入っていたペットボトルを指差していた。
「これ、飲んでいい?」
空調が効いて乾燥したバスで寝ていたから声が掠れている。
寛貴さんが飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルの蓋を外して手渡してやると、喉をコクリと鳴らしながら飲んでいた。
「ありがと」
腕を前に伸ばして小さく伸びをして辺りを見回していた
「梨桜ちゃん、起きたか」
拓弥さんに手を振って「おはよ」と笑っている。寝起きはいつにもましてマイペースだな…
「食べる?」
「うーん…今はいい。拓弥君、ありがと」
差し出されたお菓子を見て首を横に振りながら言うと、その声はまだ少し掠れていた
「熟睡しちゃった」
「呆れるくらい寝てたな」
「酔い止め飲むと寝ちゃうんだよ」
いや、飲まなくてもいつも寝てるよな…
「うわぁ…初めて来た」
水族館の大きな水槽に目を見開いて感心している。
「梨桜ちゃん、ペンギン見ない?」
笠原に誘われて水槽の前でペンギンを眺めている。
「可愛い!」
「梨桜ちゃん、先に行っちゃうよ?」
笠原と小橋から声をかけられてもペンギンの前から動かない梨桜ちゃん。
「笠原、先に行ってもいいぞ。この分だとまだ動かないだろ」
寛貴さんに言われて笠原と小橋はペコリと頭を下げた。
「じゃあ、藤島先輩、お願いします」
「ペンギンすげーな。梨桜ちゃんの心を鷲掴みだな」
拓弥さんが笑っている。
幼稚園児に交じってペンギンの前から動かない…飛べない鳥のどこがそんなに可愛いワケ?
「おい…」
拓弥さんが低い声で寛貴さんを呼んだ。拓弥さんが顎で示す方を見ると、修学旅行らしい高校生が入口から入って来ていた。
小さく舌打ちした寛貴さんは梨桜ちゃんに歩み寄り何かを言っていた。
名残惜しそうにペンギンの前から離れる梨桜ちゃん。
拓弥さんは二人を見届けると修学旅行生の群れを凝視していた。
もしかしてこの高校生が…あの、札幌の?
「あー!拓弥君!」
猫撫で声が聞こえてきて気色悪い。
そう思い振り返ると制服を着た女が手を振りながら駆け寄って来た。
「拓弥君、カッコイイからすぐ分かったよ」
「そぉ?由利ちゃん、今日も可愛いね」
ブッと吹き出しそうになった。目の前に居るこの男は誰だ!?
久しぶりに見たけど…相変わらずタラシ全開!流石だな
「やだぁ、拓弥君!冗談ばっかり!」
オレこういう女、無理!
「冗談じゃないよ。制服の集団の中でもすぐに分かった」
そう言うと、女は頬に手を当てて腰をくねらせている。
マジで無理なんだけど…
拓弥さんてすげーな、と変なところに感心していると拓弥さんと同じクラスの男達が近づいて来た。
「拓弥さん」
「何だ?」
声をかけられたことにホッとしているのが見て取れておかしかった。拓弥さん、もしかして無理してる?
「姫を見ませんでした?」
コイツは梨桜ちゃんが嫌がっても『姫』と呼ぶ。
親しみを込めて呼んでるらしいけど『逆効果だぞ』そう教えてやった方がいいのかな…
「梨桜ちゃんなら寛貴と一緒だ。何か用か?」
女が眉根を寄せて険しい顔をしている。
一瞬で変わった顔に、どういう作りをしているんだろうと不思議になってマジマジと見ていたら、キッと睨まれて慌てて目を逸らしてしまった。
女って、怖い…
「ねぇ、姫って誰?」
「姫は梨桜ちゃんの事だよ。コイツら嫌がっても彼女の事をそう呼ぶんだ」
ニッコリと笑った拓弥さんに、女は表情を元に戻したけれど不服そうにこっちを見ている。
寛貴さんの命令で梨桜ちゃんからこの女を遠ざけてんのに意識を向けさせてどうすんだよ…
コイツら、後でシメテやる。そう思って女と拓弥さんのやり取りを見守った。
「拓弥君、梨桜は私の事何か言ってた?」
上目遣いに見上げる仕草にゾクッとした。これは間違いなく嫌悪の方の震えだ。
「んー…ごめん、オレが由利ちゃんと一緒に居たかったから梨桜ちゃんには伝えてない」
突然、満面の笑みになる女…
やっぱりオレもうダメ、耐えられない。
拓弥さんにこの場を任せてサボろうと体の向きを変えたら、いきなり首根っこを掴まれた。
「なにすんだよ!」
苦しいだろ!離せ!!
拓弥さんを見ると、完全に据わった眼をオレに向けて薄く笑った。
「いい度胸じゃねぇか。オレを置いて行くなんて…」
ギロリと睨まれて思わず引き攣ってしまった。
結構無理してたんだ。流石!なんて思ってごめん…
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