【22】
「私の両親は理解の上、娘のお世話も引き受けてくれたんですけど。夫には猛反対され、仕事をやめるよう言われました。『手芸がやりたきゃ家でやれ』と。でも私は絶対にやめたくなかったんです。特に手芸教室は」
「何か事情が?」
「詩織は生前『手芸を大勢の人に広めて人気コンテンツにしたい』と言っていたんです。その気持ちを大切にしたくて、私にできることを少しでもやりたくて――と夫に話したんですけど、理解を得られませんでした。夫は『死んだ友達と生まれたばかりの娘、どっちが大事なんだ。娘に決まってるだろ』と……。私にとっては比較できる対象じゃないと訴えたら『頭おかしい』と吐き捨てられました」
「そんな酷い言い方……」
「もちろん娘のことは誰より愛しく大切に想ってるけど、だからと言って詩織が娘より下だなんて順序を付けたくないんです。夫の発言は詩織の存在を全否定している気がして、愛情が冷めてしまいました。結局私の方から離婚を切り出して……彼はあっさりOK。一瞬たりとも引き止められなかった。彼も冷めてしまったんでしょうね」
そう語る那奈さんの顔色は暗い。
離婚した今も様々な葛藤を抱えているのだろう。
他人にはどうすることもできない問題だが――。
「少なくとも私は那奈さんの選択を支持します。揺るぎない信念を持って仕事を続けると決めたなら自信を持ってください。勝手な意見で申し訳ないですが」
「……ありがとうございます。娘のために胸を張っていようと思います」
今後もし、何か異常があったら相談させてもらう。そしてもし、那奈さんに気になることが出てきたら相談に乗る。互いに協力し合っていきましょうということで本件に関する話は終わった。
今度こそ本当に調査終了だ。
万が一、また何かトラブルが起きたとしても、まずは那奈さんに相談することができる。これほど心強い味方が現れたのは初めてだ。
「あとは春斗くんだね。訊きたいことがあるって言ってたけど声は届かないから。私が代弁するよ」
『じゃあ俺の代わりに訊いてください。……「人間と幽霊が触れ合うための方法はありませんか」って』
春斗くんの手が私の腕に伸びてくる。
すり抜けてしまっている彼の指。
この手に触れることができるのなら――。
春斗くんの力強い眼差しを受け、小さく頷いた。同じ質問を那奈さんに投げ掛ける。彼女は戸惑った様子だったが、やがて席を立ち、ノートとペンを持ち出して座り直した。
「私は霊を見たことがなく、この方法が本当に通用するのか分かりません。期待させるだけで終わってしまうかもしれない。それでも構いませんか?」
「教えてください」
「分かりました。霊に触れるための言霊――《霊魂界》に掲載されていた方法は今でも覚えています。当時『霊に触りたい』と願い、毎日のように試していたので」
那奈さんが書いてくれたノートのページを受け取ると、感謝の気持ちを伝えお暇させてもらった。帰宅途中の車内で話題になったのはもちろん那奈さんのことだ。
コンクールで入賞した【詩織】という浴衣をぜひ拝見したいと思っていたが、それは展示物として学校に寄付したらしい。現物の代わりに写真を見せてもらったところ、ピンク色の小花が散りばめられた可愛い浴衣だった。表彰式の動画は当時、ディスクに焼いて詩織ちゃんの位牌へ届けたという。
離婚の話をするときは暗かった那奈さんも、詩織ちゃんとの思い出話や、赤ちゃんを抱くときは幸せそうに笑っていた。私には結婚のことなど分からないし想像もできないが、那奈さんの判断は間違っていなかった――そう思いたい。
『あとは病院だけですね』
「手首のこと? あれから一度も痛んでないもん、たぶん大丈夫」
『〝たぶん〟じゃ駄目ですよ。ちゃんと報告しないと那奈さんだって心配します』
「分かってる、今度の休日に受診するよ。それより今は……那奈さんに教えてもらったこと、帰ったら早速試してみなくちゃ」
人間が幽霊に触れるための方法。
用意するものは黒いマジック一本だけという簡素なものだった。
帰宅後、春斗くんには隣の部屋へ移動してもらい、テーブルに那奈さんのメモを広げた。それを見ながら、黒いペンを自らの身体に滑らせていく。
作業を終え、自分を姿見に映した。
長袖長ズボンのルームウェアから覗く手足、そして首元は、真っ黒な漢字の列で埋め尽くされている。服に隠れているが、心臓付近にも五十字の漢字を羅列した。鏡を見ながら書いたため歪んでいるが、那奈さんのメモと相違ないか何度も確認済みだ。
壁をノックし、春斗くんを呼び寄せる。
私の姿を見た彼は目を瞬かせた。
『さすがに目立ちますね、それは』
「うん。今は長袖だから隠れてるけど、文字が二の腕まで浸食してるし……子供時代の那奈さんがこの姿でお出掛けしてたなら、周りから変な子だと思われても仕方ないね」
『俺が言ったのは文字のことだけじゃなくて。凛花さんの身体全体です』
「……どこかおかしい?」
『え? 凛花さんには見えないんですか? 身体の輪郭部分がぼんやり光ってるの』
もう一度、姿見で自分の姿を確認する。春斗くんの言う〝光〟は全く感じられず、普段の自分と変わりない。
『幽霊の俺にだけ見えるということは、期待してもいいんじゃないですかね。この方法』
「じゃあ……取りあえず握手でもしてみる?」
目の前に立つ春斗くんへ右手を差し出す。
手のひらまで真っ黒の文字で埋め尽くされた私の手に、春斗くんの手が重なった。ひんやりと冷たい手が、間違いなく私に触れている。
『俺……凛花さんに触ってますね』
「……うん」
『あー……これはちょっとヤバいな。いつもどおりの俺でいられなくなりそう。他のところもちゃんと触れるか試していい?』
春斗くんに許可を出すと、握っていた手を放された。彼の手が頭、頬、肩、腕――次々と移動していく。全てに対し、きちんと感覚があった。
「春斗くんもちゃんと感覚あるよね?」
『もちろんです。だから――』
ぎゅっと抱きすくめられる。
思わず頬が緩んだ。
私も春斗くんの背中に腕を回す。
『凛花さんと両想いだと分かって……いつでも触れられる距離にいるのに触れないのがもどかしくて。だから今、すごく幸せです』
「私も春斗くんには触れられないと覚悟の上だったから。こんなふうに抱き締めてもらえるなんて思わなくて嬉しい」
『……ごめんね、もう我慢できない』
腕を解かれ、春斗くんと唇が重なる。
ひんやりと冷たいキスだが、柔らかく心地良いものだった。
『俺、凛花さんに憑りついちゃったってことなのかな?』
「……それは幽霊ジョーク? 別に面白くないけど」
『あ、そういうこと言うんですね。ずっと唇塞いで喋れないようにしちゃおうかな』
二度目のキスは長く、深くて甘く――。
春斗くんは私の頭を撫で、穏やかに笑んだ。
『那奈さんの〝おまじない〟があれば、いつでも凛花さんを抱き締められますね』
「これからも変わらず傍にいてくれる?」
『当たり前でしょう。俺の新しい未練は〝凛花さんの人生を見守ること〟になったので、離れるなんて絶対無理です。いっぱい愛させてくださいね?』
私を抱き締める春斗くんの腕は冷たい。
でも、温かな心が宿っている。
彼の生きる時間を共に歩んでいこう。
この先の未来もずっと――。
(了)




