【21】
「川上さんたちが毎日のように一緒にいると言っていた今、もし中谷さんが悪霊だったら、既に悪影響が起きているはず――という観点からも彼が悪霊である可能性は低いかと」
「それを聞いて安心しました」
「ちなみに、霊が原因の脅威を体験したことはありますか?」
これまで幽霊に絡まれ厄介に思ったことはあるが、脅威というほどの感情を抱いたことはない。天海ルイには危険な目に遭わされたものの、彼は〝人間と幽霊の共存体〟という特殊な存在だったため除外していいだろう。
「これまで一度も悪影響がなかったなら、川上さんの目に映るのは害のない霊だけなんだと思います。悪霊は黒い靄のような姿をしているとか、人型だけど眼球が消失しているだとか、いろんな説があるみたいですね」
黒い靄――事故の真相について訊ねたときの詩織ちゃんの様子を思い出した。彼女の身体が点滅し、靄のようにぼやけ霞んでいたこと。そのときの状況を説明すると、那奈さんは悲しそうに目線を落とした。
「川上さんの話を聞く限り、詩織は悪霊になりかけていたと思います」
「詩織ちゃんの感情変化が乏しく見えたのもその影響だったんでしょうか?」
「おそらくは。詩織は確かに大人しかったけどよく笑う子でした。急に詩織の姿を認識しづらくなったのは、害のない霊から逸脱したものへ変化していく兆候……私に近付くほど憎悪が大きくなって……」
言葉を詰まらせた那奈さんは、ティーカップの取っ手に指を掛けた。
「話を戻しましょうか。〝人間の命を奪う〟というのも悪霊の特徴のひとつとして挙げられます。たとえば『好きな人の傍にいたい』という霊の想いが強く働くと、対象者の運命が狂い始め、やがて事故や自死に繋がってしまう――これが俗に言う〝呪い〟とか〝怨念〟にあたるものです」
「呪いって誰かを憎むことで生まれるものだと思ってました。誰かを愛する気持ちが呪いになってしまうなんて意外です」
「もちろん憎悪によって生まれる呪いもたくさんあります。でも愛情による執念も人間にとっては脅威となりますね」
害のない幽霊は、大切に想う人間に対し「長生きしてほしい」「傍で見守っていよう」など考えるが、悪霊にそんな感情は生まれない。自分本位にしか物事を考えられず「あなたと会話したいけどできないのが辛い。あなたが死ねば解決だ」と短絡的な思考になってしまうらしい。
「もうひとつ質問させていただきたいのですが。実は詩織ちゃんと関わり始めた頃から、時々悪夢にうなされているんです。数ヶ月前にも幽霊との接触で悪夢を見ていた期間がありました。今まで何度も幽霊と接してきましたが、こんなことは初めてで……。この現象に心当たりはありませんか?」
「川上さんは特異体質だから、夢で悪いものをキャッチしてしまう可能性もあると思います。今までそういう経験がなかったのは、悪霊化しそうなほど感情の歪んだ霊と出会っていなかったからでしょう。さっきも言いましたけど、悪霊には諸説あって、人間の姿をしているとは限らない――川上さんの目に映るとは限りませんから」
今まで何度も幽霊に声を掛けられているが、負に侵された形相で近付いてきた者はいない。しかし幽霊の中には、未練が〝誰かへの憎悪〟という者もいるはずだ。
そんな幽霊に出会わなかったのは運が良かったわけでなく、そもそも私の目に映らない存在だからという可能性が高い。悪霊になりかけていた(と仮定する)詩織ちゃんを認識しづらくなったことがその証拠に思える。天海ルイも吉野さんという〝器〟がなければ、私の目に映らなかったかもしれない。
そこで、これまで黙っていた春斗くんに名前を呼ばれた。
『凛花さんの手首が痛くなったのは? 結局何の関係もなかったんですか?』
何の異常もないはずの右手首が痛んだのは悪夢を見始めてから数回。さらに真司くんから「右手が消えたように見えた」と言われている。偶然で片付けるには生々しいが……。
質問ばかりで申し訳ないと思いつつ、その件についても訊ねた。
「お友達に指摘されたときはまだ痛くなかったんですよね?」
「はい。初めて痛んだのは指摘された数日後だったはず」
「お医者さんでもない私が答えていいのか分からないけど……。慢性的な痛みでなく時々ズキッとなるものだったら、ストレスからくる神経痛かもしれません。神経痛って手足や関節に起こりやすいと聞きますから」
「ストレスですか……」
「痛みを発したとき、何か不安があったり焦っていたりしませんでしたか? 『悪夢のせいで右手に異変が起きるかも』とか」
改めて思い返してみると、最初に痛みを感じたのは悪夢を見た直後だった。自分が思っている以上に怯えていたのかもしれない。
となると真司くんが見たものは本当に単なる見間違いで、ゲームのやり過ぎ+徹夜明けでぼんやりしていただけか。まったくもう人騒がせな――なんて春斗くんと話していると、那奈さんが「待ってください」と割り込んできた。
「痛みに関してはきちんとお医者さんの診断を受けないと駄目ですよ。そこで異常なしと診断されて初めて安心してください」
「分かりました。友人には『視界に支障が出るほどゲームしないように』と注意しておきます」
とはいえあの出来事も、自分が危機感を持つために重要なファクターとなった。結果としては良かったのかもしれない。
「川上さんが今後も霊と接していく以上、悪夢を見る以外にも珍しいケースに遭遇する可能性はあると思います。ただ川上さんたちの場合、一緒に過ごしているからといって死ぬことはないんじゃないかなと。中谷さんが悪霊化するほど強い憎悪を抱いたり、川上さんの死を願ったりしなければ、仲良く共存できると思います」
私と春斗くんは顔を見合わせた。
『それなら心配いらないですね。凛花さんに死んでほしいなんて思うことは一生ないですから』
出会った頃『一生のお願い』と言われたときは「一生も何も、春斗くんはもう死んじゃってるでしょ」とツッコミを入れた私。しかし今回は「分かってる」とだけ返した。
「那奈さんのおかげで疑問が解決しました。ありがとうございます」
「私の意見だけで問題解決と決めてしまって大丈夫ですか? もっと詳しい人を訪ねた方がいいかも……」
心配はありがたいが、那奈さんの知識と霊感を信じる気持ちの方が強い。彼女の話を聞いているうちに、精神的にもかなり楽になった。
「最後に……これは《霊魂界》で見た情報でなく、私個人の意見ですけど。人も霊も基本的には同じもの――最後は〝共通する想い〟が双方を繋ぎ、仲良く暮らせるんじゃないかと思うんです」
「価値観が同じであることが重要という意味ですか?」
「そんな感じですね。余談になりますけど……私、少し前に離婚してるんです」
「……そうですか」
「周りには〝価値観の違い〟と話しているんですけど。原因は仕事のことなんです」
那奈さんは現在、手芸用品店で働いているという。お店の中で手芸教室も定期開催しているそうだ。育休を取得していたが、娘さんの生後三ヶ月で仕事復帰したらしい。




