【20】
「もしかして、川上さんの傍に誰か?」
「分かるんですか?」
「はい。僅かな気配だけですけど」
私の左隣には春斗くんが立っている。
姿を見ることも声を聞くこともできないようだが、やはり那奈さんの霊感は確かなものだった。
彼女に案内されたのは四〇五号室。リビングの壁際にはベビーベッドが置いてある。そこに赤ちゃんを寝かせた那奈さんは、私をダイニングテーブルへ促してくれた。
テーブルは四人掛け。
二人分の椅子を引き、春斗くんと隣り合う形で腰を下ろした。那奈さんは併設のキッチンでお茶の準備をしてくれている。
やがて三杯の紅茶が運ばれてきた。私、そして春斗くんの前にもティーカップが置かれる。出されたところで紅茶に手を付けることはできない春斗くんだが、自分も来客の一人として数えてもらえたことに感動したらしい。
『とっても素敵な人ですね。一瞬でも那奈さんを疑った自分が恥ずかしいです』
それを言われると痛い。
私の推理は大ハズレだった。
那奈さんも席に着いたところで持参した箱菓子を手渡す。彼女はそれを受け取ると、私が渡したものよりずっと立派な箱菓子を差し出してきた。こちらは詩織ちゃんの件に関するお礼とのこと。気を遣わせてしまい申し訳ないと思いつつ受け取らせてもらった。
まずは春斗くんのことを紹介し、ほぼ毎日顔を合わせている相手だと伝える。続いて那奈さんに接触を試みようとした本当の目的を説明した。
「詩織ちゃんいわく、那奈さんは《霊魂界》を買っていたとのことでした。那奈さんのお母さんから全部処分したと伺いましたが」
「……はい。詩織の死後、悲しみや後悔があまりにも強くて」
このあたりに関しても那奈さんの記憶は曖昧らしいが、オカルト雑誌やグッズなどを処分したのは、詩織ちゃんが亡くなって間もない頃だったようだ。しかしオカルトに関する知識は相当量だったそうで、今も覚えているという。
「すみません、那奈さんにとっては蒸し返されたくない話題ですよね。大丈夫ですか?」
「平気です。私なりの見解を含めて良ければお話させていただきますけど……その前に、ヒスイ出版にまつわる噂はご存じですか?」
「《霊魂界》の刊行元ですよね?」
「そうです。《霊魂界》の廃刊から約一ヶ月でヒスイ出版は自己破産しました。その背景に〝編集長が不審死を遂げた〟という噂があるんです」
数あるオカルト雑誌の中にはガセネタも多く含まれていた。しかし《霊魂界》は全て本物の情報を取り扱っていた――霊の逆鱗に触れるような行動を起こし、編集長が死亡したという噂があるらしい。
「当時はスマホもなくて、自宅のパソコンで情報収集していたんですけど。編集長の死亡自体は事実で、死因は不慮の事故となっていました。この先は都市伝説のようなものですけど……編集長は霊を認識できる人だった。霊にとって不都合な特集記事を掲載しようとしたために命を奪われた」
「私も《霊魂界》についてネットで調べましたが、ヒスイ出版にそんな噂があるという話は見なかったですね」
「そう、この情報はいつの間にかネット上から消えていたんです。昨日改めて調べてみたんですけど、当時その噂が書き込まれていた掲示板は閉鎖していて、他に本件を語るサイトなどもなさそうでした。だからと言って私の記憶違いとは考えにくい――当時詩織ともネット記事を見ながらこの件について考察していたので。やはりオカルト現象が絡んでいる気がするんです」
「となると《霊魂界》に掲載されていたネタは信憑性が高そうですね」
事実として、天海ルイが《霊魂界》を参考に施した結界は、春斗くんの身体を通してくれなかった。これは那奈さんの話にも期待できそうだ。
「川上さんは人間と霊の共存について調べていたんですよね?」
「はい。《霊魂界》で特集が組まれていたらしいのですが、該当の号を入手できなくて……。書かれていた内容、覚えていますか?」
「ある程度は。まず、霊には二つのタイプがあるというところから説明しましょうか」
ひとつは人間に害を及ぼすことのない幽霊。
もうひとつは、人間を死の世界に引きずり込もうとする悪霊。
前者の場合、近くにいても悪影響はない。現世を彷徨う幽霊のほとんどはこちらに該当するものの、危険な悪霊も実在する。《霊魂界》の特集では《霊との共存は極めて危険である》と結ばれていたが、ここで言う霊は悪霊の方らしい。
「春斗くんは悪霊じゃないですよね?」
「私は自分の身に感じる気配で、害のない霊と悪霊を区別しているんですけど。その感覚を信じていただけるのであれば、中谷さんは害のない霊です」
「具体的に、悪霊とどんな違いがあるんですか?」
「害のない霊からは、冷蔵庫を開けたときのような冷気を感じます。さっき下で川上さんが近付いてきたときも、薄っすらと冷たい空気が流れてきました」
対する悪霊は特有の邪気を放っているそうだ。身体の芯から悪寒が込み上げ、毒気の強いものだと吐き気を催すこともあるらしい。那奈さんは心霊スポット巡りなどを行っていたが、本当に危険な場所には近付かなかったという。




