【17】
「詩織ちゃん落ち着いて。責めるつもりで訊いたわけじゃないからね。少しでも楽にしてあげたいと思ってるんだ」
それでも彼女は応えない。那奈さんに対する激しい怒りは、先ほどの叫び声や荒々しい呼吸音から汲み取ることができるが……。
多少なりとも怒りを鎮めなければ会話すらままならない。まずは詩織ちゃんの中にある憎しみを吐き出させる必要があるだろう。
「那奈さんとの間に何があったのか、本当のことを教えてくれないかな? 今まで誰にも言えなかったんだろうけど、私たちが聞き役になるよ。愚痴でも文句でも悪口でも、何でも遠慮なくぶちまけちゃっていいからね」
春斗くんも頷いた。
私にはほとんど確認できないが、彼が詩織ちゃんの頭を撫でるような仕草を見せる。
すると徐々に、詩織ちゃんが色を取り戻し始めた。元の色素より随分薄いが、目をこらさなくても認識できる。それとともに彼女の呼吸も落ち着いてきた。表情は固いものの、憎悪に歪んでいるというほどでもない。
『……あの日もわたしは、那奈のオカルト趣味に付き合ってた。川の上に浮かぶ幽霊の噂を聞いたからって……』
独り言のように訥々と語ってくれたのは、事故当日の出来事。詩織ちゃんは鮮明に記憶していたらしい。
彼女が足を滑らせた際、傍に立っていた那奈さんが咄嗟に手を伸ばしたという。
那奈さんは詩織ちゃんの右手首を掴んだ。
地面に這いつくばり、ぎゅっと握り締めていたが――力が足りなかったのか、引き上げることができずに手を放してしまった。
そこでふと、詩織ちゃんの手首に浮かび上がったアザを思い出した。あれは那奈さんの手の残像かもしれない。きっと彼女は、痕が残るほど精一杯の力で握り締めていたのだろう。
『わたし、復讐するために那奈を捜してたの。那奈と過ごした時間のことは嫌ってほど覚えてるのに、なんで那奈の家の場所は思い出せないのかって……イライラして仕方なかった。中谷さんが声を掛けてきて、やっと那奈に会うチャンスが来たと思ったんだ。それからはずっと、どうやって那奈を殺そうか考えてた。まずは、わたしを放した手。手首から切り落としてやりたいと思った。お腹を包丁で刺すとか、毒入りのお茶を飲ませるとか、いろんな殺し方を考えた。物に触れないわたしには実行できないけど……那奈が死んだら幸せな気分になれる気がした。自分で殺せないなら、車に撥ねられるでもいい。わたしと同じように、川で溺れるでもよかった』
彼女の発言で悟った。
私が見ていた悪夢は全て、詩織ちゃんの妄想だ。
憎い親友を痛めつけたいと願う、残酷で哀しい妄想――。
『那奈の霊感が本物なら、わたしの声が聞こえるかもしれない。だから取りあえず「殺してやる!」って叫んでみた。そしたら那奈、急に苦しみ出して倒れたんだ。自分の言葉で那奈を痛めつけられるなんて思わなかったから嬉しかったのに、すぐ元気になっちゃって……』
がっかりしていたところ、春斗くんと再会して岡崎へ戻ってきたのか。
詩織ちゃんの叫びは本人に届いた。声そのものに呪いのような効果があったのか否か不明だが、那奈さんの心に潜む後悔や苦悩も影響した気がする。ただ――それ以上に、詩織ちゃんの心を蝕む闇は大きいと思われた。そうでなければ私の夢に彼女の妄想が出てきたりしないだろう。
「私、那奈さんと電話で話したんだ。『詩織のことはずっと親友だと思ってる』と言ってたよ」
『そんな子供だましの嘘を信じるなんて――』
「嘘なんかじゃないよ」
『本当にわたしのことが大事なら、何で手を放したんですか?』
「きっと放したくて放したわけじゃないよ。川に流されそうな人間を引き上げるのにどれだけ力がいることか――」
『それなら一緒に落ちることもできますよね? 自分だけは助かりたいと思ったから放したんでしょ? 今度は那奈が苦しむ番だから……わたし、もう戻っていいですか?』
質問口調だが有無を言わせないオーラが漂っている。ここで詩織ちゃんを解放すれば、那奈さんの元へ戻って暴言を吐き続けるだろう。何としても阻止しなければ――と奥歯を噛んだところで春斗くんが口を開いた。
『詩織ちゃんの気持ちも分からなくはないけどさ。仮に那奈さんが亡くなったとしても、詩織ちゃんが生き返れるわけじゃないんだよ?』
優しく諭すような声色で語り掛ける春斗くん。
詩織ちゃんは『それでもいい』と吐き捨てた。
『那奈の人生をメチャクチャにできるなら、それだけでいい』
復讐こそが自身の存在意義だと主張しているかのような、深い執念を感じる。やはり私や春斗くんでは、彼女の心の闇を取り除くことはできないか……。
多少不安はあるが那奈さんに電話を繋がせてもらおう。もし那奈さんの体調が悪化したら切ってしまえばいい。
テーブルからスマホを取って発信する。数コールで電話に出た那奈さんは、こちらが状況説明する前に不穏なものを感じ取ったようだ。
『唸り声みたいな、妙なノイズが聞こえるんですけど……。詩織がそちらに?』
「はい」と答えてからスピーカーモードに切り替え、スマホをテーブルに置いた。それでも即座に通話終了できるよう、ボタンの傍に指を待機しておく。
「那奈さんと電話が繋がってるよ」と告げると、詩織ちゃんの表情が再び怒りに満ちた。身を乗り出してスマホを奪い取ろうとする。しかし当然触れることはできない。




