【14】
『よし、ここは俺の出番ですね』
「何するつもり?」
『那奈さんと電話できることが確定した今、凛花さんが江南に滞在しなきゃいけない理由はないでしょう? だから先に帰ってください。俺はここで詩織ちゃんを待ちます』
「一人で大丈夫? 詩織ちゃんは那奈さんの様子を気にしてるだろうから、遅かれ早かれ団地に戻ってくると思うけど……。『一緒に行きたくない』って拒否するんじゃないかな」
『そのへんは俺の話術で何とかするから大丈夫ですよ』
話術……と言うより強引に押し切ろうとするだけだろう。とはいえ、ここは幽霊である春斗くんに任せておく方が無難かもしれない。
『凛花さんの推理が当たってたとしたら、詩織ちゃんは復讐以外に興味ないはず。俺に危険が及ぶこともない。帰り道も心配いりません』
「分かった、お願いするよ。でも那奈さんに関する話はできるだけしないようにね。少なくとも那奈さんに話を聞けるまでは何事もなかったかのように接しよう」
『任せてください。こう見えて俺、やるときはやる男なので』
「そんなこと分かってるよ。ここまで来られたのは春斗くんのおかげだから。私のために聞き込み調査を頑張ってくれてありがとう。頼りにしてるからね」
春斗くんは一瞬、驚いた様子で瞬いた。
視線を横に流した彼の頬は、薄っすらと赤く染まっている。
『そんな素直に褒めるの、全然凛花さんっぽくないです。調子狂うじゃないですか』
「えー。褒めたのに文句を言われるなんて心外」
『文句を言ったわけじゃないですよ。……凛花さんに頼ってもらえて嬉しいです』
春斗くんの右手が私の頬へと伸びる。
しかしすぐに、彼は腕を引っ込めた。
『……あーもう。幽霊で良かったのか悪かったのか分かんないな』
「どういう意味?」
『何でもないですよ。ここから先はしばし別行動ですね』
春斗くんはこの場で待機し、詩織ちゃんと接触でき次第、彼女を説得してアパートに戻ってくる。もし同行を拒否された・会えなかったとしても、明日の夜には岡崎に向けて出発してもらう(合流して今後の対策を考える)。
以上を約束すると、お互い「気を付けて」と言い残し別れた。
+ + +
どす黒く濁った川で人が溺れている。
助けなくては。
だが、こんな毒々しい川に踏み込んで大丈夫だろうか。
逡巡している間に異変が起きていた。
先ほどまで溺れていたはずの人が水面に立っている。
全身泥まみれの見知らぬ女性。
「お願い助けて。息ができない。苦しい」
彼女は一歩ずつ水面を踏みしめ、私に近付いてくる。
――やがて、女性が眼前に立った。
私の胸元に倒れ込んでくる。
悪臭と泥が全身にまとわりつく。
強い力でしがみつかれ、骨が折れそうなほどの圧迫感が襲ってきた。
「放してください」という懇願は届かない――。
+ + +
全身に冷や汗をかいていた。
相変わらず酷い悪夢だ。
徐々に慣れてきた気もするが、目覚めの不快感は何とも形容しがたいものがある。
昨日帰宅したのは午後六時過ぎ。夕食前にシャワーを浴びようとしたタイミングで、那奈さんからショートメールが入った。《明日お電話させていただこうと思っています。ご都合はいかがでしょうか》という内容。《午前十時以降ならいつでも大丈夫です》と返信すると、《では十時頃にお電話させていただきます》と返ってきた。
現在の時刻は午前九時五十分。
緊張を感じつつ電話を待った。
その間に春斗くんのこと、今朝の悪夢のことを考える。
まず春斗くんについて。
連絡を取る手段はないため、当然その後の様子は分からない。既に詩織ちゃんと合流し、二人で岡崎に向かってくれていれば最良だ。
そして悪夢について。
川で溺れている女性――これは詩織ちゃんの死と関連している気もするが、夢に出てきた女性は別人だった。とはいえ今までの悪夢に準えれば、これも詩織ちゃんの体験した景色だろう。「助けて」と叫びながら濁流の中でもがき苦しんでいた……そんな想像をしたら切なくなった。
私自身の問題はすっかり後回しになっているが、右手首の痛みはあれから出ていない。今は詩織ちゃんの件に集中しよう。
深々と息を吐き出した瞬間、スマホの着信音が鳴った。
ディスプレイに《那奈さん》と表示されている。
「はい、川上です」
『佐伯那奈です。昨日は母が失礼しました』
団地のおばさんは〝明るくて人懐っこい子〟と証言したが、那奈さんの声からそんなオーラは微塵も感じられなかった。少し前に離婚、さらに体調不良で救急搬送……明るく会話できるはずもないか。
那奈さんいわく、昨日は何の前触れもなく心臓付近が痛み、呼吸困難を起こしたらしい。手足は攣り、立ち上がることもできなかったのだとか。救急車で病院に向かったものの、お医者さんに診てもらう頃には症状が落ち着いていたという。
『いわゆるパニック発作だったみたいです。初めてのことで驚きました』
「これから通院したり検査したり?」
『必要ありません。それより私、川上さんのことが気になって……。フェイスブックで調べたと伺ったんですけど、私がオカルトにのめり込んでいたのは中学生の頃までなんです。今更声を掛けられるなんて、何か事情があるのではないかと』
警戒しているわけでなく、何か知っているのなら教えてほしいという感情が伝わってくる物言いだった。




