【12】
購入したキャンディを口内へ放り込み、車を走らせること約十分。《さくら団地》のA棟入口付近まで来て異変に気付いた。
ベランダから下を見る人、窓から顔を覗かせる人、進む足を止める人――彼らの目線の先には、赤いランプを回転させた救急車が停まっている。団地の中で急病人が出たのだろう。
興味本位で見てはいけないと思いながらも車のスピードを落とした。既に患者さんは救急車の中へ運ばれたようだ。救急車が注目されている今、どこかの部屋から那奈さんが顔を出しているかもしれない。彼女と一緒にいるであろう詩織ちゃんも。
様子を窺うべく、邪魔にならない位置まで離れた。車を停めてエンジンを切る。状況が落ち着いたためだろう、団地の人々は窓を閉めたりベランダから引き上げたりしていた。立ち止まっていた通行人もそれぞれの方向へ散っていく。それでもまだ状況を見守っている女性が数人存在し、その中にオレンジエプロンのおばさんの姿もあった。
サイドミラーで救急車の様子も確認する。
直後サイレンが鳴り、後方へ走り去った。あとは詩織ちゃんが戻るのを待つだけ――そう思いながら目線を正面に戻そうとしたが、視界の端に女の子の姿が映り込んだ。
詩織ちゃんがいる。
救急車が停まっていたあたりだ。
先ほどまで救急車の死角になっていて気付かなかった。
詩織ちゃん、あんなに近くで様子を見ていたのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
詩織ちゃんが笑っている。
顔つきが何とか確認できるくらいの距離でも、はっきりと分かるほどに。
あんなに無邪気な笑みを見せることもできるのか。
彼女の感情が欠落しているというのは、単なる思い過ごしだったのか。
あの位置にいたならば、救急車で患者さんが運ばれるのを目撃しているはず。
そんな場所でケラケラと笑っていられるものだろうか。
様々な考えが脳内に押し寄せ、処理するまでに時間が掛かった。
もしかしたら私は、とんでもない勘違いをしていたのではないか。
考えがそこに至ると同時に車を飛び出した。後ろで春斗くんが呼ぶ声を無視し、残っていた野次馬の元へ駆けて行く。オレンジエプロンのおばさんは私に気付いて目を丸くした。
「あなた、まだいたの?」
「何度もすみません。さっき救急車で運ばれたの、那奈さんですか?」
「うん、そうなのよ」
その言葉を聞いて確信した。
詩織ちゃんの話を当然のように受け入れていたあまり、盲点になっていたこと――友達として仲良くしていたからといって、心の底から好きだったとは限らないのではないか。
親友の那奈さんが救急車で運ばれた。
それを見て笑っている。
単純に考えれば、彼女の不幸を喜んでいるということだ。
そこから推測できるのは、詩織ちゃんが〝本心では那奈さんを嫌っていた〟ということ。だとすれば、その理由は――。
「那奈さんは大丈夫なんでしょうか?」
「出てきたときお母さんに声を掛けたけど、『少し落ち着いてきたから心配しないで』って。那奈ちゃん、育児で疲れてたのかもしれないわね」
「そうですか……。ありがとうございます」
救急車が停まっていた場所に目を向けると、詩織ちゃんはいなくなっていた。私と春斗くんが戻って来たことに気付いていたのか分からないし、どこへ行ったのかも分からないが好都合だ。これで春斗くんに私の推測を話すことができる。
車に戻ると、春斗くんは『急にどうしたんです?』と訊いてきた。話をする前に、まずはカモフラージュとしてスマホを耳にあてておく。詩織ちゃんがいつ姿を現すか分からないため、周囲を注意深く観察しながら会話しなければ。
「おばさんに訊いたら、さっきの救急車で運ばれたのは那奈さんだって」
『そうだったんですか。詩織ちゃん、那奈さんに付いていったのかな』
「それはないと思う。今後私たちと行動を共にするつもりもない気がする」
『俺たちの調査に関して詩織ちゃんが協力できるのはここまでですもんね。地元に戻ってこられた今、もう俺たちと一緒にいる意味もないか』
「詩織ちゃんは少しでも早く私たちと別れたかったかもしれないよ」
『……何故そんなことを思ったんです?』
「結論から言うと、那奈さんが倒れたのは詩織ちゃんが原因じゃないかと思ってる」
『いきなり何を言い出すんですか』
「春斗くんは気付いてなかったみたいだけど、救急車の傍に詩織ちゃんがいたの」
そう前置きすると、そのときの詩織ちゃんの表情や、私が推測したこと――彼女が那奈さんのことを嫌っていたのではないかと説明した。
「いや、嫌っていたと言うより〝恨んでいた〟の方が正しいかも。強い恨みが働いて、詩織ちゃんは那奈さんのことだけを鮮明に覚えていた」
『でも……俺は凛花さんが仕事してる間、いろんな思い出話も聞かせてもらいましたよ? そういうの全部「那奈のこと嫌い」って思いながら一緒にいた日々の思い出ってことですか? そんなに嫌いな相手、俺なら早々に縁を切りますけどねぇ。何か弱みでも握られていたなら話は別ですけど』
春斗くんは重要なところを見落としている。
詩織ちゃんがいつ那奈さんを嫌いになったのか。
その可能性として、ひとつ挙げられる出来事がある。
「詩織ちゃんは都市伝説の調査中、事故で亡くなった。果たしてそれは事実だったのか」
『まさか……誤って川に転落したんじゃなくて、突き落とされた?』
――それが、私の辿り着いた結論だった。




