【10】
『どうしましょう凛花さん』
春斗くんも焦った様子だが、どうすればいいのか分からない。そう答えるより先に、詩織ちゃんが『ほんとに大丈夫』と口にした。
『びっくりしたけど、もう平気だから。死んだときの苦しさに比べたら……このくらいどうってことないです』
話を聞いているうちに、詩織ちゃんの手首からアザが消えてしまった。
痕跡さえ見当たらない。
一体何だったのか。
――いや、今のアザだけではない。
何かが妙に引っ掛かる。
重大なことを見落としているかのような、得体の知れない心の痞え。どうにも気味が悪い。
『ねぇ凛花さん』
春斗くんの声で我に返る。
目を向けると、彼は不安そうに眉を寄せていた。
『このまま記憶を取り戻すかもしれない行動を取り続けて大丈夫ですかね? 詩織ちゃん、体調を崩しやすくなってきてる気がするんですけど』
「そうだね……。那奈さんに話を聞くことが難しい以上、別の方向から調べるしかない。ひとまず離れた方がいいかも」
しかし、あっさり諦めて帰るのはもったいないという気持ちは変わらない。何か良い案が浮かぶ可能性もあるため、少なくとも私はもう少し滞在して策を練りたいところだ。一旦春斗くんたちと別行動を取るか。
『じゃあ俺たちは先に帰って休みます。詩織ちゃんもそれでいいよね?』
『……嫌です。やっと自分の住んでた町が分かったのに、また知らない場所に行くなんて』
『まぁ俺と違って、詩織ちゃんは岡崎に何の縁もないもんね。心配はあるけど、やっぱり三人で一緒に行動した方がいいかな?』
『あの、これからのことを考える前に……わたし、那奈に会いたいんです。捜してきてもいいですか?』
次の行動について何の予定も立っていないため、詩織ちゃんの望むことをさせてあげよう。スーパーの駐車場を出て《さくら団地》へ針路を取った。再びマンションの群れが見えてくる。
まだ那奈さんのお母さんたちが掃除しているかもしれない。不審に思われると困るため、少し離れた場所で車を一時停止させた。
春斗くんは『一緒に行こうか?』と提案したが、二十年ぶりの再会なのだから外野はいない方がいいだろう。そう思い止めようとしたものの、詩織ちゃんの方から『一人で行きます』と答えた。『那奈がわたしに気付くかもしれないから』と。
本当ならここで待っていてあげたいが、ずっと路上駐車しているわけにもいかない。一時間後迎えに来ると約束して離れることにした。
『気を付けてねー。那奈さんによろしく』
親指を立ててグッドマークを作る春斗くん。詩織ちゃんは小さな声で『はい』と答え、車を降りた。彼女が団地内へ姿を消すのを見届け、私たちも出発。助手席に戻って来た春斗くんは、何か思案するように腕組みした。
『気になるのは詩織ちゃんの手首のアザですよねー。急にできて急に消えたけど』
「そう、それなんだけど。何か引っ掛かるんだよね」
『俺もですよ。三人揃って幻覚を見た、なんてことはないと思いますけど。気味が悪いですよね』
「それに限ったことじゃなくて、なんかこう……」
自分でも何に違和感を覚えているのか説明することができず、口をつぐむ。運転しながら考えを巡らせるのは危険と判断し、先ほど駐車場を借りたスーパーへ行くことにした。
『そういえば、凛花さんは大丈夫ですか?』
スーパーに到着したところで春斗くんに訊ねられた。何のことを言っているのか分からず訊き返す。
『昨日「手首が痛い」って言ってたじゃないですか。また痛くなったりしてません? 何か痛みとか異変とかあったら必ず言ってくださいね? 絶対ですよ?』
「…………あ……それかな……うん、やっぱりそうかも」
『……何です? 一人で納得して』
「ちょっと気になったんだけど。詩織ちゃんが訴えたのって頭痛だけだよね?」
――そう。
彼女は『頭が痛い』と言ったが、『手が痛い』とは一度も言っていないはず。私たちが詩織ちゃんの様子を見て一方的にそう判断しただけだ。
「詩織ちゃんは『手を』って言ってた。他の部分は聞き取れなかったけど、『手を痛い』とは言わないでしょ? 何か別のことを言おうとしたんじゃないかな」
彼女が何を訴えたかったのか分からない。とはいえ違和感の正体はこれだったのか……いや、違うな。痞えていたものが取り除かれてすっきり――そんな感覚がまるでない。
『そうですねぇ……。急に頭痛が襲ってきて怖かったから、俺に「手を握ってほしい」って言おうとしたとか?』
「春斗くん、詩織ちゃんの横にいたじゃん。手を繋ぎたかったならいつでも繋げる位置にいたけど、そんな素振りは見せなかったよね」
『じゃあ凛花さんと?』
「幽霊が人間と接触できないことは詩織ちゃんも分かってるでしょ? 何て言うか……腑に落ちない感じがするんだよね。何なんだろ、この感覚」
『詩織ちゃんの記憶をどうにかしてあげなきゃっていうプレッシャーが掛かってるんじゃないですか? 自分でも気付かないうちにそれがストレスになってたとか』
「ストレスなら私より詩織ちゃんの方が大きいと思うよ? 見知らぬ他人である私たちの輪に独りで入ることになったんだから」
『確かに。もしかしたら今朝はストレス発散のために散歩してたのかもしれませんね。生きてる人に声が聞こえない性質を利用して、元気ハツラツ一人カラオケ大会……なんて、近くに幽霊がいたらクレーム案件ですね』
「早朝からハイテンションで歌う元気なんか……あ……そうか、それだ!」
閃いた途端、曇り空が一気に晴れ渡っていく感覚がした。
推理系の話に出てくる〝バラバラだった点が一本の線で繋がった〟という感覚はまさにこれだろう。
いきなりどうしたのとでも言いたげな春斗くんに視線を合わせると、自分が気付いた違和感について説明することにした。




