【5】
帰宅したのは午後八時半過ぎ。夕食は自炊しようと冷蔵庫を覗き込んだところで、玄関の方から声がした。訪ねてきた春斗くんと詩織ちゃんを招き入れる。
『凛花さん、バイトの予定どうなりました?』
「明日と明後日、空けたよ」
『え、明日? いきなり休めるとは思わなかったので、詩織ちゃんを岡崎城に連れて行ってあげるって話してたんですけど』
「……二人とも楽しそうでいいね。こっちは無理言ってシフト代わってもらったのに」
詩織ちゃんが『ごめんなさい』と頭を下げた。
春斗くんの鋭い視線が飛んでくる。
『そんな冷たい言い方することないでしょう。元気のない詩織ちゃんを励ましたくて、俺が遊びに行くことを提案したんです。責めるなら俺だけにしてください』
私としたことが、酷い悪夢とそれに関連する出来事が続いたせいで冷静さを失い掛けていた。八つ当たりしたところで何の解決にもならないのに。
『なんか凛花さん、らしくないですよ? どうしたんです?』
「……ごめん。ちょっと疲れてるの」
正直に焦りの理由を話すことはできなかった。
悪夢のこと、右手が消え掛かったかもしれないこと、今朝の痛み――現段階でそのことを伝えたら、春斗くんは『自分が傍にいるせいだ』と考えるに違いない。
一方『一連の出来事は春斗くんの傍にいるからかもしれない』と心のどこかで思っている自分がいた。身体の奥から込み上げてくる焦燥感は、おそらくそれが原因。
……でも。
春斗くんのことを害悪のように考えたくない。
だからこそ問題解決の糸口を見付けなければ。
「私は明日、江南市まで行く。詩織ちゃん、ついてきてくれるかな?」
『もちろんです。わたしも早く思い出したいから。自分の家も那奈の家も』
多くの記憶が抜け落ちている状態の詩織ちゃんが、唯一はっきりと覚えている親友。私とは違う意味で彼女も那奈さんに会いたいだろう。
これで私と詩織ちゃんの予定は確定。
春斗くんに「どうする?」と訊くと、『一緒に行くに決まってるでしょう』と返ってきた。先ほどの怖い表情から一転、彼の顔に爽やかな笑みが浮かぶ。
こんなにキラキラした笑顔の持ち主が私の命を奪う存在だなんて。
やっぱり、そんなことは考えたくない。
翌朝は午前八時に起床。
私の部屋に泊まった詩織ちゃんは、緊張もあったのかあまり眠れなかったようだ。しょぼしょぼと目をこすっている。
身支度を整えると壁をノックした。壁の向こうは隣の家――春斗くんの仮住居だ。彼はすぐに『おはようございます』と顔だけ覗かせてくれたが、壁を貫通する生首は不気味としか言いようがない。早々に駐車場へと向かってもらった。
春斗くんを助手席、詩織ちゃんを後部座席に乗せて車のエンジンを掛ける。まずはカーナビに目的地をセット――那奈さん(仮)の出身中学校を入力した。有料道路を含めたルートで、到着予想時刻は一時間半後。
岡崎インターから高速道路に入ったところで、春斗くんが『そういえば』と切り出した。
『もし那奈さんと接触できたらどうやって話をするつもりです?』
「一応それらしい設定は作ってみたよ」
那奈さんを発見できたとしても「幽霊の詩織ちゃんから話を伺って来ました」などと言うわけにいかない。相手の持つ霊感が〝自称〟や〝気のせい〟である可能性を否定できない以上、こちらの体質を明かすのはリスクがある。
そもそも那奈さん自身、親友を失って苦しんだ立場だ。当時、周囲の大人や警察から事故状況などを散々訊かれているはず。掘り起こされたらいい気はしないだろう。
「だから『私はユーチューバーになりたくてオカルト系のネタを集めている。那奈さんはオカルト情報に詳しいと聞いたから、可能であればインタビューさせてほしい』って感じで接触してみようかなと」
『んー……。かなり怪しいですけど、どうにか誤魔化せそうなギリギリの設定ってとこですねー』
「それは……仕方ないの。推理作家じゃあるまいし、凡人の私に大したアイディアなんか浮かばないって」
高速道路を走り始めて十分ほど経った頃、飲食物を何も持ってこなかったことに気付いた。現在地からもっとも近い上郷サービスエリアに寄ろう。
取りあえず飲み物だけ確保できればいいと考えていたが、上郷はコンビニやレストランなどの施設が充実していた。ついでに食べ物も購入するか。
後部座席の詩織ちゃんは眠ってしまっている。起こさないよう静かに車を降りようとしたとき――右手首に鋭い痛みが走った。反射的に痛みの元を押さえる。
『凛花さん?』
声に反応し、春斗くんへと顔を向ける。
そのとき既に痛みは引いていた。
『どうしました?』
「……大丈夫。ちょっと手首がズキッとしただけ」
『《魔界》で捻ったとこですか?』
天海ルイに突き飛ばされた際、私は手首を負傷している。
しかしそれは、右でなく左。
さっきの痛みとは無関係だ。
怖い。
思わずこぼれそうになった感情を何とか飲み込んだ。
痛みが走ったのはたった一瞬だ、こんなの大した問題じゃない――心の中で言い聞かせ車を降りる。春斗くんは『俺も行きます』と言い付いてきた。
コンビニへ入り、ペットボトルの緑茶とおにぎりをひとつ購入。車に戻る途中、春斗くんは何かに興味を示したようで立ち止まった。もちろん、私まで一緒に立ち止まって事情を訊くわけにはいかない。そのまま歩いていき、車のドアに手を掛けたところで春斗くんが追い付いてきた。
『凛花さん、今からおにぎり食べますよね? その間、あっちの女性の車にお邪魔してきます。俺が好きだったドラマ見てるんですよ』
何のことやらと思いながらも車に乗り込み、春斗くんが去った方へ目を向ける。彼の姿は、赤い車の後部座席へ吸い込まれていった。その運転席では二十代くらいの女性がパンを頬張っている。ドラマというのは車内で流している動画のことか。
堂々と人の車に侵入する春斗くん。誰の目にも映らないからこそできることだ。私から見たら完全に不審者だが……と呆れつつ朝食を摂ることにした。




