【2】
+ + +
身体が重い。
激しい頭痛がする。
熱を測ってみたら四〇度もあった。
大人しく布団に入っていると、枕元に春斗くんが現れた。
手には水の入ったグラスと風邪薬を持っている。
いつの間に、現世のものに触れられるようになったのだろう。
渡された錠剤を口に放り込み、水を飲む。
――直後、グラスが布団の上に転がった。
右手に力が入らない――いや違う。
私の手がない。
まるで切断されたかのように、完全に消失している。
そう認識した瞬間、手首から鮮血が噴き出した――。
+ + +
ぞっとする悪夢だった。
久々の感覚に動悸がする。
春斗くんが『聞き込み範囲を広げる』と言い、姿を消してから六日。リアリティのある悪夢で目覚めた私の頭には、天海ルイの顔が浮かんでいた。
彼と関わっていた頃は悪夢に悩まされたが、あの件は終わったのだ。今日は偶然悪夢を見てしまっただけだろう。熱っぽさなどなく、もちろん両手とも存在している。痛みもない。
何となく陰鬱な気分のままバイト先に顔を出すと、同じ時間から入っている真司くんと鉢合わせた。一緒にタイムカードを押してキッチンへ入る。
正午を過ぎて客足が少なくなってくると、おやつ時のラッシュに向けて仕込みを始めた。真司くんはひたすらきゅうりをスライスし、私はひたすら茹で卵を潰していく。大きなボウルに網を乗せ、ところてん方式で茹で卵を潰していると、突然「うわっ!」という声が聞こえた。
何事かと思い、手を止めて右隣を見る。
真司くんがぽかんと口を開け、私の手元を凝視していた。
「どうかしたの?」
「あ、いや……気のせいだったみたいっす」
「何が?」
真司くんは茹で卵を掴んでいる私の右手に顔を近付けると、「そりゃ気のせいだよな」と呟き、ほっとしたように息を吐いた。
「一瞬、手首から下が消えてるように見えたんすよ」
自分の右手を見つめた。
茹で卵を潰す際は透明のビニール手袋を着用しており、手が透けて見えるのだが……真司くんの目には、私の手が消失しているように見えたらしい。
「昨日徹夜して寝不足だからそう見えたのかも。急に大声出してすんません」
「徹夜? 大丈夫なの?」
「ゲームしてただけなんで大丈夫っす。ゾンビパニックホラーなんすけど、高得点狙いで手とか頭とかガンガン撃ち抜いてたから。その影響で川上さんの手が消えて見えたのかもしれないっすね」
誤魔化すように笑った真司くんは作業を再開した。
失くなったように見えたという私の右手。
本当に、ただの見間違いだったのだろうか。
妙な胸騒ぎを覚えた。
今日の悪夢の中で消失した私の手は……右だった気がする。
天海ルイのときと同じように、今回も何かの予知だろうか。
まさか、天海ルイの意識が今もどこかで生きているのだろうか。
それとも……私の身体に異変が起きているのだろうか。
また悪夢を見るかもしれない。
右手に異常が現れるかもしれない。
そんな懸念を抱きつつ過ごしていたが、何も起きる気配なく迎えた翌日。春斗くんが顔を出した――見知らぬ女の子の幽霊を引き連れて。
いかにもおとなしそうな中学生くらいの少女。
ショートの黒髪、右頬の真ん中にあるホクロが印象的だ。
ルックスのイメージと対照的に、登山にでも行くかのような服を身に着けている。春斗くんの隣に正座した彼女は、恐縮そうに肩を丸めていた。
『この子は牧田詩織ちゃん、十四歳、中学三年生。事故で亡くなったらしいです』
「どうしてその子と一緒に戻ってきたの? まさかまた、成仏絡みのお願いを勝手に引き受けちゃった?」
『その心配は要りませんよ。詩織ちゃんの生前の友達にオカルトマニアがいるんです。しかもその子、幽霊の気配を察知できるんだとか』
春斗くんいわく、私たちの関係や調査している件については説明済みとのこと。詩織ちゃんは蚊の鳴くような声で話を進めてくれた。
『わたしのクラスメイト……佐伯那奈っていう子なんですけど。霊感があるって言ってて、怪奇現象とか心霊スポットとか詳しいんです。わたしは保育園の頃から那奈の親友で、よく一緒に心霊スポット巡りをしてました』
「霊感……か。那奈ちゃんは幽霊を見たことがあるの?」
『それはないと思います。怪しい声とか冷たい気配を感じるって』
「私とは違うみたいだね。霊感っていうのが曖昧でピンとこないんだけど……どんな感じなのか聞いたことはある?」
『なんか、急に鳥肌が立ったり、呻き声とか泣き声みたいなやつが聞こえたりするらしいです。那奈は「絶対に幽霊の姿を見る」っていつも張り切ってました。《霊魂の世界》は特に好きな雑誌らしくて、毎号買ってわたしにも見せてくれて。最終号の発売日は、那奈に「一緒に来て」って頼まれて本屋さんに行きました』
《霊魂界》を毎号買っていた女の子。
確かに貴重な存在だ。
ただ……《霊魂界》の最終号が出たのは約二十年前。
つまり詩織ちゃんが亡くなったのは――。
『わたしが死んだのは二十年くらい前です』
「那奈ちゃんはもう立派な大人になってるね。三十四、五歳かな」
《霊魂界》を愛読していたオカルトマニアのブログによると、《幽霊との共存》の記事が掲載されたのは廃刊の約四年前。当時、那奈ちゃんは小学校四~五年生くらいだ。
「那奈ちゃん――いや、那奈さんと呼ぶべきかな。いつ頃から《霊魂界》を買っていたか分かる?」
『そこまでは分かんないです。ずっと前から買ってるみたいだったけど』
仮に那奈さんが該当の号を買っていたとしても、とっくの昔に処分している可能性もある。とはいえ毎号買い集めるほど熱心だったなら、掲載内容は記憶しているかもしれない。




