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ナイトメア・ミステリア  作者: 堂樹@書き専
【Case1】病死したアイドル画家の謎
25/48

【22】



《魔界》の中は天海ルイの作品や私物で溢れている。人格の入れ替わりに影響を及ぼさないよう、ここを離れた方がいいかもしれない。今後どうするかはさておき、一旦私の部屋に来てもらおう。

 吉野さんの手を引いて立ち上がる。

 しかし彼は、突き飛ばすようにして私の腕を振り払った。


「何するんですか」

「違う、僕じゃ――!」


 言い終わらないうちに、吉野さんの表情が苦悶に歪んだ。よろよろと後退し、私たちに背を向ける。彼は頭を掻きむしっていた。


「早く、逃げてくれ」

「嫌です! 私たちと一緒に来てください!」

「このままじゃ、二人に危害を加えてしまうから」

「でも!」

「これは僕が自分で決めたことだから、君たちは気にしないで。むしろ感謝してる。凛花さんの想いが僕をもう一度表に出してくれたし、自分の身体で、殺人を繰り返されることも阻止できるんだから。どうせ心臓提供がなければ僕は……心臓を提供してやったんだから、オレのモンなんだよ!」


 十字架の手前で立ち止まった吉野さんが、くるりと振り返った。

 その(さま)は先ほどから一転して俊敏だ。

 カッと目を見開き、全身を震わせている。

 そのおぞましい顔は確実に春斗くんを捉えていた。


 次の瞬間、吉野さんが春斗くんに突進した。

 突然のことで避けることができなかったのだろう。春斗くんが仰向けに倒れ、その上に吉野さんが馬乗りになる。

 間違いない、あれは天海ルイの人格だ。

 春斗くんを助けたい一心で、天海ルイの腕を引っ張った。しかし簡単に力負けしてしまい、後方へふっ飛ばされる。身体を打ち付けた痛みで一瞬、視界が弾けた。


 天海ルイの手が春斗くんの首を締め上げる。

 床に左手をついて腰を上げようとしたが、脳天を貫くような激痛が走った。突き飛ばされたときに左手首を捻ってしまったのか。

 歯を食いしばり、右手で身体を支え立ち上がる。

 無我夢中で天海ルイに体当たりした。

 その弾みで春斗くんを解放することに成功したようだ。


 天海ルイはうずくまっている。

 首をさすりながら咳込んでいる春斗くんをフォローしつつ、天海ルイから距離を取った。


「僕は大切な友達を守れなかった。せめて凛花さんたちのことくらい格好よく守らせてくれよ――調子こいてんじゃねーよ、この心臓はオレのモンだ――駄目だ、この肉体は渡さない。お前の人格を消滅させて全てを終わらせる――うるせぇ消えろ――嫌だ。現実世界じゃ凡人だった僕が、如月サトルみたいに女の子を救うヒーローになるんだよ――黙れ、生きるのはオレだ」


 おそらく今、吉野さんの意識は混濁している。

 ひとつの肉体の中で、天海ルイと吉野誠の人格が戦っているのだ。

 どうしたらいいのだろう。

 どうしたら吉野さんを助けられるのだろう。

 必死で頭を回転させてみても何も浮かばず、焦燥感ばかり襲い掛かってくる。


『凛花さん! 何やってるんですか!』


 突然の罵声で我に返った。

 春斗くんは窓のロックを解除している。

 すり抜けることができなくなった代わりに、触れることが可能になったようだ。


『ルイに戻る前に逃げないと! 今度は凛花さんに手を出すかもしれない!』

「でも吉野さんが!」

『俺たちを守りたいというのが吉野さんの願いでしょう!?』


 吉野さんは苦しそうに呻きながら、ジャージのポケットからスマホを取り出している。

 一体何をするつもりだろうか。

 友達に連絡?

 それともご両親?

 しかし彼が何を考えていたとしても、最後に選ぶのは死――そう思うと足が動かない。


『凛花さんが傷付いたら、吉野さんはまた苦しむことになるんですよ!?』


 爪が食い込むほど強く拳を握り締める。

 溢れる涙を拭うこともできず、アトリエを飛び出した。

 背後で「ありがとう」という声が聞こえた気がした。



+ + +



 真っ白なスケッチブックに描かれた男性の顔。

 苦しそうに涙を流していなかったら、いつまでも眺めていたくなるような素敵な人だ。


 ――瞬きをした直後、涙の描写が消えていた。

 鉛筆がひとりでに動き出し、男性の顔を描き直していく。

 彼の表情は確かな笑顔へと生まれ変わった。

 優しく、温かな微笑に――。



+ + +



 吉野さんと別れた翌日。

 彼の様子が気になって仕方なかったが《魔界》へ行くことはせず、不安と罪悪感に押し潰されそうな気分で過ごした。自分一人なら様子を窺いに行っていたと思うが、春斗くんから『絶対に行っちゃ駄目』と念を押されたため、もどかしいながらも我慢していたのだ。


 そんな調子のまま夜を迎え、春斗くんが部屋にやってきた。彼の首には、天海ルイに襲われた際の爪跡がくっきりと残っている。とはいえ痛みはないそうだ。私の負傷した左手首も、病院で診てもらったところ骨に影響のあるものではなかった。今は湿布を貼って、できるだけ動かさないようにしている。



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