【19】
「吉野はオレの心臓を使って生き延びた。才能のあるオレが死に、凡人のこいつが助かるなんて許せねーだろ? 吉野が元気になっていくのを感じるほどオレの憎悪は膨れ上がり、強大な〝力〟となって立場を逆転させた――執念が生んだ奇跡ってとこかもな。あいつの精神を乗っ取ることで、ようやく本当のオレが芸術家としての道を歩み始めたのさ」
天海ルイの抱いた憎悪が蓄積され、人格が入れ替わってしまった――つまり今は、吉野さんの人格が封印されているということだろうか。
「この肉体に二人が同居していることで得した面もあるんだぜ? 何より助かったのは、心臓移植後の拒絶反応や免疫抑制剤の副作用が起こらないこと。医者や吉野の家族はうるさく言うが、オレには薬も検診も必要ねーんだよ。吉野の身体に隠れている以上、はっきり言うわけにもいかねーけどな。それに、この身体は死人と人間の共同体――半分人間で半分霊みたいなもの。だから人間として生活できるし、霊と接触することも可能だと分かったんだ。まさに良いとこ取りなんだよ」
ニタッと嫌らしい笑みを浮かべた天海ルイは、スケッチブックの上から鉛筆を取った。春斗くんはどこか悔しそうに溜め息をついている。
『ルイの本性がこんなふうだったなんてショックすぎ』
「お前もメディアの作り上げた天海ルイに踊らされてたのか? 残念な兄ちゃんだ」
『俺はルイの絵が好きだったんだ。あんたのファンじゃない』
「ファン……か」
声のトーンが落ちる。
天海ルイはスケッチブックに向かうと、真っ白なページに鉛筆を走らせ始めた。彼の手に阻まれ、何を描いているかまでは見えない。
「あんな駄作にファンが付いたところで、それはオレのファンじゃねーだろ。特に女ファンのほとんどは〝イケメンすぎる画家〟に食いついていただけで、アートそのものには無関心だった。周囲に集まってくる人間は金目当て、もしくはオレを蹴落としたい奴ら。オレの本質を分かってくれる人間は誰もいなかった――分かろうとしてくれる人間さえ一人もいなかった。実の両親でさえ、息子の心臓を他人にくれちまったんだ。事故で死んだと知ったときはザマーミロと思ったね」
延命しなかった両親を恨んでいるのか。
何とも言えない切なさが込み上げてきた。
だからと言って、親に延命を中断される結果を知ってしまった本人の苦悩も無視できない。
「あんなことになっちまうなら、誰もいない場所で独りぼっちの方が幸せだったと思う。大勢の人間に囲まれているのに信頼できる奴は誰もいない――それが本物の孤独だと知ったのさ」
さらさらと鉛筆を走らせる天海ルイの腕を見つめる。
彼がくも膜下出血で倒れてしまった原因は、過労よりも精神的ストレスが大きかったのかもしれない。造り物の天海ルイが苛まれていた孤独感を思うと悲しくなってきた。
「あのままルイとして生きていたら、オレは偽りのキャラクターを強要され続け、好きなものを創ることができなかった。ある意味、死んで良かったのかもしれねーな」
そんなの悲しすぎる――なんて、情に流されたら駄目だった。天海ルイは幽霊を次々と殺害し、吉野さんの身体を乗っ取っているのだ。境遇は不憫だと思うが、幽霊を傷付けたり、他人の人生を奪ったりしていい理由にはならない。
それに、心臓の提供者を待っていた吉野さんやその家族は、感謝の気持ちでいっぱいだったはずだ。彼らのことを思うと居たたまれない。
「……辛いとは思います。でもやっぱり、その身体は吉野さんのものなんですから。返してあげるべきじゃないですか?」
「この身体はオレのモンになったんだ。オレの想いを上回るほど強い想いが吉野に存在しない以上、再び逆転させることはできない。――さて」
カタ、と鉛筆が下ろされる。
さっきから何を描いているのだろうと思っていたが、天海ルイが見せてくれたスケッチブックには男性の頭部が描かれていた。
「次の作品は生首をベースにしたいんだが、近場でモデルが捕まらなくて、少し足を延ばさないといけないと思ってたんだ。いいモデルが来てくれて助かったぜ」
いいモデル、という言葉で全身に鳥肌が立った。
天海ルイは春斗くんの身体を利用するつもりだ。
春斗くんもそう察したようで、座ったまま後ずさりした。
『あんた、凛花さんのツレには手を出さないと言ったくせに』
「そのつもりだったさ。だが、お前を消すのが凛花のためなんでね」
立ち上がった春斗くんが後方へ下がる。私も慌てて立ち上がり、春斗くんを庇うように少し腕を広げた。
「目を覚ませ、凛花。その男はあくまで死人、オレたちとは違う。霊に執着していると、人間はいずれ死の世界に引きずり込まれちまうんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「このままその霊の傍にいたら、凛花は死ぬ」
春斗くんのせいで、私の命が危険に晒されている?
まさか、そんなことが――。




