【18】
「あなたは吉野誠という男性の身体に憑依した、天海ルイの幽霊。違いますか?」
吉野さんの瞳を見据え、答えを待つ。
やがて彼は視線を横に流した。
灰皿をテーブルに戻して立ち上がり、私たちに背を向ける。
「――もう二度と、その名前で呼ばれることはないと思っていましたよ」
声のトーンと話し方が変わる。
振り返った吉野さんは、眼鏡を外して私たちを見下ろした。にこりと口角を上げ、優しげに微笑む。
「改めて自己紹介しましょうか。ボクは天海ルイ。淡い光で皆さんの心を癒したいと願い、数々の作品を送り出してきました」
『本物の……ルイ、なのか?』
戸惑った様子で吉野さん――天海ルイを見上げる春斗くん。天海ルイは眼鏡を掛け直し、穏やかな笑みを引っ込めた。代わりに冷徹な光が眼の中に宿る。
「そう、本物の天海ルイ。約二年前まで〝イケメンすぎる画家〟とかいってチヤホヤされていた出来損ないだ。正体を見抜いた褒美に、あいつが何者だったのか教えてやるよ」
彼はどすんと鈍い音を立てて腰を下ろし、煙草に手を伸ばした。軽快な指さばきで箱から一本抜き取る。
「天海ルイは――当時のオレは、周囲の人間やメディアの操り人形だったのさ」
そう切り出した天海ルイは、煙草を吸いながら当時のことを語ってくれた。
彼がテレビに出演したきっかけは、東京都内で芸能関係者にスカウトされたことだったという。甘いルックスとモデルのようなスタイルに目を付けられたのだが、天海ルイは芸能界・モデル業界に興味がなかった。彼は当時から、ホラーアーティストとして成功することだけを夢見ていたのだ。
そんな天海ルイに、スカウトマンはひとつの提案を持ち掛けた。それが「爽やかイケメン画家として売り出してみないか」というもの。これが運命を変えることになった――良い方向ではなく、悪い方向へ。
「オレは昔から、ここに展示してるような絵を描いていた。それを初めて事務所の連中に見せたとき、何て言われたと思う?」
「……怖いとか、残酷だとか?」
「もっとえげつない言い方だったけどな。だが問題は絵に対する評価でなく、『こんな絵を描かれちゃ天海ルイが商品にならない』ということだった」
事務所は天海ルイを商品として売り出したい――つまり〝イケメンすぎる画家〟というブームを生むことが目的だった。「こんな絵では爽やかイケメンキャラが台無し」と切り捨てられてしまったらしい。
代わりに強要されたのが、温かみのある優しい絵を描くことだった。幻想的で、煌々とした光を放つ絵――当時公表していたような絵を描けば、爆発的な人気が出るはずだと。
「当然、オレは拒否した。オレが創りたいのはそんなモンじゃない。血生臭くて残虐でサディスティックで……それが至高の芸術だからな」
「それでも結局、自分のやりたいことを抑えたんですね?」
「オレのおかげで事務所が潤えば好きなことをやらせてもらえるだろうと、正直甘く見てたんだよ。ひとまず事務所の戦略に乗ることを決めたが、すぐに後悔した」
溜め息をついた天海ルイは、苛立った様子で煙草を揉み消した。
「強制されたのは描く絵だけじゃない。女ウケの良さそうな芸名、喋り方、髪型に服装、立ち振る舞い――何もかも爽やかイケメンキャラとして演じさせられた。煙草を吸うのも禁止、拷問や処刑の資料を本屋で漁るのも禁止。『どこでバレるか分からないから、グロテスクな作品を自宅に置くな』とも言われたな。全てを否定され、本当のオレなんかどこにも残っちゃいなかった」
彼の目線が真っ白なスケッチブックのページへと移る。
常にキャラクターを演じさせられていた天海ルイは、本当に表現したいものを描くことができず、好きなものを好きと言えず、理想と現実のギャップに悩んでいたのだろう。
「本当のオレの作品を出したいと訴えたこともあるが、そうしたいならドラマの仕事を受けろと。事務所としては、稼げるうちに何でもやらせようって腹だったんだろうな。世間に飽きられたらポイするつもりでオレを利用し、ひたすら金儲け――結局撮影が忙しくて、自分の絵を描く暇もなかったさ。ま、そのおかげで無駄な演技力を得たけどな。だから、凛花のツレが視界に入っていないふりをするくらい楽勝だった」
天海ルイが〝イケメンすぎる画家〟としてもてはやされていた時期の苦悩については、同情すべき点もある。
他人に指示され、自分自身を偽り続ける苦しみ。
それは、私のような一般人には到底理解できないだろう。
……しかし。
だからといって、吉野さんの人生を奪っていいことにはならない。息子のことを心配しているお母さんだっている。
「あなたが取り憑いてしまったら、元の吉野さんの人生が失われることになるんです。そんなの酷いじゃないですか」
「その心配はいらない。吉野誠はもういないんだからな」
「……え?」
「吉野は死んでいたかもしれない人間なんだぜ? それを、オレが生かしてやったんだ」
天海ルイは自分の胸元に手を沿え、満足げな笑みを浮かべた。
「凛花の推理は少し間違っていた。表向き、天海ルイはくも膜下出血で死んだことになっているが……今ここで、間違いなく人間として生きている」
「天海ルイの死はフェイクニュースだったと?」
「そんなわけねーだろ。ネットに出回る死亡説じゃあるまいし、戸籍上では死んでいる」
彼の死因として公表されていたくも膜下出血に間違いはなかった。
しかし、倒れてすぐ死亡したわけではないそうだ。
天海ルイが倒れたのは、久々の休暇で岡崎市内の実家に帰省した日だったという。彼は脳死と診断され、人工呼吸器によって生命維持することは可能だが、意識の回復は不可能という状態に陥っていた。
そんな状況のもと彼の両親が下したのは、息子の生命を人工的に繋ぐことはしない決断。自分たちの意思で息子の命を絶つ決断に、どれほどの苦悩と覚悟があったのかは計り知れない。
脳死状態となった天海ルイの臓器の一部は、彼の両親の意向により、臓器提供を待つ患者へ提供されることとなった。様々な条件により心臓の移植先として選定されたのが、当時入院していた吉野誠だったのである。
心臓を提供した天海ルイは死亡。
移植手術は成功して吉野誠は生き続ける――はずだった。
それが狂ってしまった原因は、脳死状態となっていた天海ルイが、この一連の流れを記憶していたためである。




