【16】
「つかぬ事を伺いますが。吉野さんって、画家の天海ルイと親しかったんですか?」
「天海ルイって……何年か前にテレビに出てた、ものすごくイケメンの画家さん?」
「そうです」
「あんな有名人と知り合いなんて聞いたことないわね。誠の交友関係を把握していたわけじゃないから、どこかで知り合う機会があったのかもしれないけれど。入院する前は同じ趣味の人との集まりがあるとかで、度々東京へ出掛けていたから」
「吉野さん自身が、美術に携わる仕事などしていたことはありますか?」
「ないと思うけれど。美術の成績も良くなかったわね」
今の話から断定することはできないが、吉野さんと天海ルイが親しい関係だった可能性は低い気がしてきた。もし接点があったとしても、たとえば〝店員と客〟のように、それなりに線のある関係だったのではないだろうか。
「ところで、あなたのお名前は?」
「川上凛花です」
「川上さんね。また誠と話す機会があったら、『検診と薬だけは必ず守りなさい』と伝えてもらえるかしら? メールを送っても返信がなくて、読んでるのかどうか分からないの」
「分かりました、伝えておきます」
「ありがとう。人間、健康が第一だからね。川上さんも生活習慣には気を付けるのよ」
吉野さんの部屋を思い浮かべる。
何本も煙草を吸い、カップ麺やコンビニ弁当ばかり食べる生活を続けていたら、また病気になってしまいそうだ。
しかし……入院するほどの大病で苦しんでいたのなら何故、易々と他者を傷付けることができるのだろう。どうして他者の尊厳を踏みにじることができるのだろう。
お辞儀を交わすと、お母さんは私の家と逆方向へ歩き始めた。その背中が小さくなるまで見送り、横断歩道を渡る。本来の目的から外れてしまったが、吉野さんの過去について何となく知ることはできた。ただ、引っ掛かる話を聞いてしまったのも事実。
吉野さんは天海ルイのことをよく知っている様子で、習作も所持していた。しかし二人の繋がりは、芸術と無関係の場所で生まれていた可能性が高い。一体何が二人を結びつけていたのか……。
心に靄が掛かった気分で帰宅すると、夕食にチャーハンを作り、ローテーブルへ運んだ。タブレットで天海ルイの詳細情報が載っているサイトを開き、最初から丁寧に読んでいく。
しばらくして春斗くんの声が聞こえたため、「どうぞ」と迎え入れた。私の正面に腰を下ろした彼がタブレットを覗き込む。
『ルイのことを調べてたんですか?』
「うん。天海ルイが亡くなって更新はストップしてるけど、子供の頃のエピソードとか交友関係とか書いてあるかなと思って」
顔を上げた春斗くんに今日の出来事を説明する。全て話し終えると部屋に沈黙が下りた。吉野さんの過去が一部明らかになったのは収穫だが、弱みになりそうなことはひとつもない。
『でも俺、ルイと吉野の関係の方が気になってきました。芸術に関係ないとしたらどこで知り合ったんでしょう?』
「たぶんだけど、学校で出会ったんじゃないかな」
私が着目したのは天海ルイの来歴部分。
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《ミステリアス王子路線で売り出され、出身地や学歴、家族構成などのプライベート情報は一切公表されていない。二十四歳から都内アパートで一人暮らししていることだけ明かしている。
バラエティ番組に出演した際、共演者に「飲んでみりん」と酒を勧めるカットがあり、愛知県三河地方出身との見方がある(〝みりん〟=〝~してごらん〟という意味の三河弁)》
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三河地方と言えば、私の住む岡崎市も含まれている。
天海ルイが愛知県出身だと決まったわけではない。仮に愛知県民だったとしても、いつまで暮らしていたのか、何市に住んでいたのかも分からない。しかし、吉野さんと近い場所に住んでいた可能性がないとも言い切れない。
「天海ルイの学歴も出てないけど、絵を学ぶために芸大へ進んだとしたら情報が洩れそうな気もするから、大学には行ってないかもしれない。小学校から高校までのどこかで、吉野さんと一緒だったのかなって」
『でも……たとえば高校で知り合ったなら、二人の歳の差は三歳以内ってことですよね。ルイが生きてたら今頃三十歳だけど、吉野は三十代半ばってところ……いや、もっと上かもしれません』
私も初見で、吉野さんのことを三十代半ばくらいかと思った。ただ、外見で年齢を予測するのは難しい部分もある。
「どのみち、天海ルイと吉野さんが親しい間柄だった可能性は低いと思う。私たちみたいにただの顔見知り程度だった可能性も――」
『そうか、それですよ。ルイも幽霊になっていて、死後初めて吉野と交流したのかもしれません』
「言われてみれば……その可能性を完全に見落としてたよ。吉野さんは幽霊となった天海ルイに出会い、指示されて絵を描き始めた……なら、あんなグロテスクな絵にならないか」
『分かりませんよ? ルイが死後に見た景色を描いてるとか』
「……春斗くん、亡くなったときにあんな怖い光景を見たの?」
『俺はないけど、幽霊にもいろんなパターンがありますからね。地獄みたいな場所から這い上がって現世をうろうろしてたのかも』
「でもここまでの話が真相だと仮定した場合、天海ルイは今どこにいるの? 吉野さんのお母さんいわく、吉野さんは絵が得意だったわけじゃない。技術がない以上、天海ルイがいなければ絵を完成させられないはず。題材はともかく、ものすごく上手いのは確かだからね」
『……まさか』
「どうしたの?」
『この推測が真実だとしたらショックだけど……。吉野にルイの幽霊が乗り移っている可能性は考えられません? 絵に何の興味もなかった吉野が突然のめり込んだ――親が不思議に思うほど唐突な変化なら、別の人間の意思が働いていてもおかしくない。いわゆる〝憑依霊〟ってやつです』
憑依霊か……。
出会ったことはないが、いないとは言い切れない。
憑依霊の推測からいけば、吉野さんと天海ルイに交流があった点、習作を所持していた点も説明が付く。憑依しているということはつまり、〝外見は吉野さん〟で〝中身は天海ルイ〟だから。吉野さんが天海ルイに詳しいのは当然であり、習作を描いたのは中身にあたる天海ルイになる。
『んー……。あいつの弱みを握るどころか、こっちが混乱させられてますねー』
「……だね。仮に天海ルイが憑依したとしても、どうして吉野さんの身体を選んだのかという謎もある。やっぱり二人には、何か特別な接点があったのかも」
『本人に訊かないと真実は分かりませんね。訊いたところで全部語ってくれるとは思えないけど……とにかく行ってみます』
「何言ってるの、駄目だよ。行くなら私一人で――」
『今日は大人しく待ってたんですから。元々真相を確かめたいと言い出したのは俺ですし、次は絶対行くと決めてたんです』
「……仕方ない。明日はバイトが遅番だから明後日だね。でも絶対、吉野さんを刺激する態度を取らないでよ?」
頷いた春斗くんは『モデルルームに帰ります』と言い残し、窓から飛び降りていった。




