【15】
「幽霊が見えるようになったこと、誰にも打ち明けていないんですか? たとえばご両親とか」
さりげなく家族のことを探ろうと訊ねたが、「両親なんかいねーよ」という素っ気ない言葉が返ってきた。病気や事故で二人とも亡くなっているのだろうか。
吉野さんはテーブルからスケッチブックを取った。パラパラとめくり、男性のイラストが描かれているページで手を止める。いたって普通の男性の絵かと思いきや、よく見ると首が異常に細い。ロープで無理やり締め上げられている。
「次は立体アートを作ろうと思ってな。アイディアを練ってたところなんだ」
「これにもモデルがいるんですか?」
「あくまでアイディアだ。続きに取り掛かりたいから、そろそろいいか?」
「……はい。お邪魔してすみませんでした」
結局、大した情報を得ることはできなかった。
玄関まで見送ってくれた吉野さんに会釈し、ドアが閉まったところで門の外へ出る。
大通りへ戻る道を歩きながら、陰鬱な気分を溜め息として吐き出した。この先あのアトリエで、男性幽霊が首を絞められることになるのだろうか。もやもやした気持ちを拭うことができないまま、赤信号で足を止める。
「――すみません」
突如後方から聞こえた声。
振り返ると、六十代くらいの女性が私を見ていた。間違いない、先ほど吉野さんが迷惑がっていた相手だ。彼女はベージュ色のコートを羽織り、右手に紙袋を提げている。
「後を付けたりしてごめんなさいね。あなた、さっきまで《ギャラリー魔界》にいたでしょう? ホラーアートのファンかしら? それとも誠のお友達……もしかして恋人だったりする?」
「誠って吉野さんのことですか?」
「えぇ、わたしの息子なの」
「そうなんですか? ご両親はいないと伺ったのですが」
「……そう。誠がそんなふうに……」
女性――吉野さんのお母さんは消え入りそうな声で呟いた。
吉野さんの「両親がいない」という発言は、離縁を望む意思表示だったのだろう。
お母さんは手にしている紙袋を広げてくれた。透明のタッパーが複数入っており、煮物や炊き込みご飯などが見える。
「きちんと栄養を摂らせたくて作ってきたんだけど、追い返されちゃったの。『お前の作ったものなんか食いたくない』って」
「……そうでしたか」
「ショックで呆然としちゃってね。どうしようか迷っていたら、あなたがギャラリーへ行くのが見えて……話をしてみたいと思って待ってたの。もし息子とお付き合いしているのなら教えてくれると嬉しいわ。何も口出ししたりしないから」
「いえ、本当にそういう関係ではなくて。私は……ギャラリーのお客さんに近いのかな。吉野さんとはちょっとしたお知り合いみたいなものと言いますか」
「そうなの。よかったら、誠の作品を見た感想を聞かせてくれないかしら」
どう答えるべきか迷った。
恐ろしい、不気味、気持ち悪い、残酷……そんな感想しか浮かんでこない。正直に伝えるのは憚られる。そんな私の考えを見透かしたかのように、お母さんはクスッと笑った。
「正直に言ってくれていいのよ?」
「……怖かったです」
「わたしもあなたと同じ……怖いと思ったわ。やっぱりわたしには、あの子の作品を褒めるなんてとても……」
お母さんは哀しそうに眉を寄せた。
事情は分からないが、親子間に確執のようなものが存在している気がする。吉野さんと違って、穏やかで優しそうな雰囲気のお母さんだ。詳しい話を聞かせてくれるかもしれない。
「私、今日は吉野さんに返すものがあってギャラリーへ行ったんです。そこでたまたまご両親の話になって……。もしかして吉野さん、反抗期みたいな感じでしょうか」
「そうなのかもしれないわね。あの子は昔から大人しくて、お友達が一人もいなくて。学校がお休みの日は部屋にこもってばかりだったの」
「吉野さん、子供の頃からああいう残酷な絵を描いていたんですか?」
「そんなはずないと思うけれど……。以前はアニメのDVDや人形を集めてばかりいたのよ。一体どんな心境の変化があったのかしらね」
いわゆるアニメオタクだったのか。
さっき見た部屋にそれらしい品物は一切なかったが……。
「あんなに不気味なものが素晴らしい芸術だというなら、わたしには一生理解できそうにないわ。どうしてあんな絵ばかり描いているのかしらね。やっと元気になれたのに」
「元気になれたって、どういうことですか?」
「誠は二年前まで、病気で入院してたのよ」
「病気?」
私の知らない吉野さんの姿が次々と出てくる。知り合ったばかりなのだから当然だ。幽霊が見えるという共通点がなければ、一生縁がなかったかもしれない間柄でもある。
「無事に退院して半年くらい経った頃、急に家を飛び出してしまったの。アニメのグッズも全部部屋に残したままで、一体どうしたのかと思ったら……」
「ホラーギャラリーを開いていたわけですか」
「そうなの。アニメは好きでも自分でキャラクターを描くのは苦手だったのにね。まさか空き家を借りるほど本気で絵に取り組むなんて――」
「待ってください。怖い絵を描き始めたのが病気後だったわけじゃなく、絵を描き始めたこと自体が、病気のあとだったんですか?」
つい話を遮ってしまったが、お母さんは嫌な顔をすることなく「そうよ」と返してくれた。
それにより、ひとつの疑問が生じる。
吉野さんが天海ルイと関わっていた点に関してだ。
お母さんによると、吉野さんが病気で入院していたのは二年前。
そして、ギャラリーを開くために家を出たのが、退院してから約半年後。
この話を総合すると、吉野さんが絵を描いている期間は最長で一年半だ。正確な退院時期は不明だが、実際はもっと短い期間になるはず。
天海ルイがくも膜下出血で亡くなったのは二年前だから――吉野さんが絵を描き始めた頃、天海ルイは既に死亡していたことになる。
元々美術に携わっていたわけではないのに何故、テレビに出演する売れっ子画家と交流があったのだろう。




