【10】
「一体、何でこんな……」
『分かんないですよ。血だらけで倒れてたのを見付けて、何とかしないとって……』
女性の頭がぴくりと動き、垂れていた首が徐々に起き上がった。彼女の口から微かな声が発せられる。
『……ま、かい……』
春斗くんと目を合わせる。
次の瞬間、女性の身体が四散した。
それと同時に、春斗くんが持っていたハンカチも消失。彼の手にこびりついていた血液も消えてしまった。まるで夢を見ていたかのように、惨状の形跡はどこにもない。
「今のって……成仏したわけじゃないよね?」
『あんな大怪我して、成仏できたわけないですよ。きっと死んじゃったんです』
「でも幽霊が死ぬっておかしくない? 死んだ結果、幽霊になるのであって……なんか矛盾してるって言うか」
『矛盾してるかもしれないけど、やっぱり死んじゃったんだと思います』
春斗くんは女性がいた場所に向かって両手を合わせた。
強引さのあるワガママ王子だが、根は優しい人なのだろう。
彼の想いを汲んで、私も両手を合わせた。
『気になるのは女の人の最期の言葉ですよね。〝まかい〟って、ホラーギャラリー《魔界》のことでしょうか』
「……もしかして、さっきの女性に怪我をさせたのは吉野さん?」
突飛な考えだとは思う。
仮に吉野さんの仕業だとしたら、彼には幽霊が見えているということだ。
「ううん、それだけじゃないよね。ただ見えるだけの私と違って、吉野さんは幽霊と接触することが可能って話にもなってくる」
『まったくもう……。何がどうなってるんだ?』
春斗くんは悔しそうな様子で、くしゃくしゃと頭を掻いた。
すっかり忘れていたことを思い出し、周囲を見渡す。惨状を目の当たりにしたことで混乱し、当然のように声を出してしまっていたが、端から見れば私は独りなのだ。このまま話を続けるのはまずい。春斗くんにそう伝え、二人でジョギングしながら帰宅した。ローテーブルを挟んで向かい合う。
『俺たちに判別できなかっただけで、実は吉野さんも幽霊だった……ってのは考えられません? 幽霊同士なら相手に触れますよね』
「吉野さんが人間なのは間違いないでしょ? ファミレスにお客さんとして来てたって言ってたじゃん」
『……あ、そのことを失念してました』
「女性の言葉を聞いてホラーギャラリー《魔界》を連想したけど、〝まかい〟という単語だけで結び付けるのは早合点かな……」
『俺、《魔界》へ行ってみますよ。もし吉野さんが関係してるなら、俺の姿だって見えていたはずでしょう? こっちから話し掛けて、どういうことなのか問いただします』
「やめた方がいいよ。春斗くんの身に危険が及ぶ可能性がある」
『それは分かってますけど、苦しんで亡くなった女性のことを思うと放っておけません。こんな気分のまま呑気に作詞活動ってわけにもいかないですよ。真相を解明しないと』
春斗くんは女性の無念を晴らそうとしている。
彼が危険な目に遭うかもしれないと思うと……無視はできない。
私も一緒に行こう。
と言っても今日はバイトがある。明日の午後で約束を交わし、春斗くんを窓から送り出した。
+ + +
冷えた身体を温めようとお風呂に浸かった。
全身を包む心地良さに、ついうとうとしてしまいそうになる。
しばらく目を閉じていると、妙な臭いが鼻を突いた。
鉄が錆びたような臭い。
下を見ると、湯船が真っ赤に染まっていた。
この臭いと色――間違いない、血だ。
何故こんなことに。
訳が分からないまま絶叫し、浴槽から飛び出した。
何の痛みもない。
しかし、皮膚がところどころ剥がれ落ちている。
無惨な光景に戦慄し、意識を失った――。
+ + +
久々の悪夢だった。
《魔界》へ行く約束をした日に見るとは……やはり私の悪夢は不吉なものを予知しているのだろうか。
午後一時、春斗くんとともに家を出た。
ジョギングがてら東公園方面へ。《魔界》の立札前に到着すると、ウインドブレーカーのポケットからスマホを取り出した。これを耳に当てて喋っていればカモフラージュできる。
『小さく住所が書いてありますね。その下、カッコ書きで《山田書店横》ってありますけど』
「聞いたことないなぁ。スマホで調べてみるよ」
インターネット検索を掛けると、それらしき本屋さんを見付けることができた。現在地から歩いて十五分程度の場所だ。
スマホの地図を頼りにジョギング再開。
大通りを横切って脇道へ。
初めて通る場所、閑静な住宅街といった印象だ。
何度か角を曲がって歩くうちに、山田書店を発見することができた。その隣に、古めかしい二階建て民家がある。
ヒビだらけのブロック塀、先端が針のように尖っている鉄門、《horror gallery 魔界》と書かれた看板。真っ黒な玄関のドアには《入館無料 ご自由にお入りください》というプレートが掛かっている。どの窓にもカーテンがなく、怪しげな紋様が描かれていた。良く言えば個性的……率直に言えば悪趣味だ。
鉄門を開けて塀の中へ踏み込む。
玄関のドアを引きながら「お邪魔します」と声を掛けてみたものの、返事はなかった。
玄関先には《靴を履いたままどうぞ》と表示があり、土足で廊下へ。不安感を煽り立てるような、たどたどしい調子のピアノ音楽が流れている。内部はギャラリー用にリノベーションしているようだ。玄関から見える位置には二部屋あるが、どちらにもドアがない。廊下は右側へと曲がっており、その先の様子を窺うことはできなかった。
家に上がってすぐ、斜め右側には二階へ続く階段がある。《立ち入り禁止》と書かれたボードが設置されており、黒いサンダルが一足揃えられていた。一階が展示場で、二階は自宅兼事務所、もしくはアトリエにでもなっているのだろう。
『誰もいないんですかね?』
「無人なら《ご自由にお入りください》なんて書かないんじゃない?」
小声で会話しつつ、まずは玄関から一番近い部屋へと踏み込んだ。私の住むワンルームよりずっと広い。壁は全て黒く塗られ、等間隔で額縁が掛けられている。
一枚目の絵の前に立った瞬間、背筋に冷たいものが走った。
山火事をバックに、大木の枝にぶら下がる男性を描いた《吊るし刑》。
心臓を握られたような緊迫感が襲い掛かってくる。
それと同時に「まさか」と嫌な予感が膨れ上がった。
展示された絵を次々と見ていく。
地面に叩きつけられる少女を上空から捉えた《落下の痕》。
火だるまとなった男性が表情に苦痛を宿す《獄炎》。
黒雲の下、全身傷だらけの人々が逃げ惑う《刃の雨》。
胴体部分が砕けた状態で不気味に嗤う《破裂する人形》。
ゾンビのような人間が、毒々しい赤色の湯船に浸かっている《剥離》。
見覚えのある光景が何枚も存在していた。




