【7】
運転席の窓をコツコツと叩き、見張り中の春斗くんに合図を送る。ドアをすり抜けた彼が助手席に座ると、車のエンジンを掛け、現場をあとにした。
『凛花さんのおかげで女の子が救われましたね』
「それは良かったけど……今後、私の許可なく成仏系の依頼を受けるのは禁止だよ? 安請け合いして期待させて、結果がっかりさせることはしたくないから」
強い口調で言い切ると、春斗くんはちょこんと肩を竦めた。
絶対に反省していない。
……でも。
消える直前に美琴ちゃんが見せた笑顔を思い返すと、協力して良かったという気持ちの方が強い。それに、吉野さんにも感謝しなければ。美琴ちゃんの心を満たしてあげられたのは、彼が天海ルイの習作をくれたおかげだから。
+ + +
薄暗い地下駐車場は閑散としている。
少し離れた場所には黒い車。
そこから煙草を咥えた男性が降りてきた。
――程なくして、視界がオレンジ色に染まった。
男性の手から落ちた煙草を中心に、駐車場全体を覆い尽くす火の海が生まれる。
燃え盛る炎の中にいるのに、私は恐怖も熱も感じない。
だが煙草を落とした男性は、火の渦の中で助けを求めている。
痛い。
熱い。
苦しい。
許さない。
お前を絶対に許さない。
火だるまになった男性と目が合う。
憎悪に満ちた瞳。
彼はやがて、奇声を発しながらくずおれた――。
+ + +
……また悪夢か。
起きると同時に溜め息が漏れてしまうくらい憂鬱な目覚めだ。せっかくの日曜だというのに気分が沈む。それでも普段どおりジョギングを行い、休憩と軽食を摂ってからバイトへ向かった。
日曜の夜から閉店までの時間帯は比較的暇であり、お客さんに提供する品を用意するより、翌日の仕込み作業の方が大変だ。同じくキッチン担当のバイト・真司くんと調理台の前に並び、ひたすらパンをカットしたり、サンドウィッチ用の野菜や卵の下ごしらえをしたり……。
時刻は午後十時過ぎ。
お客さんはまばらで追加オーダーも入らず、私と真司くんは雑談で時間を潰し始めた――そのとき。
困ったものが視界に映り込んだ。
春斗くんだ。
レジカウンターを通過してキッチンへと向かってくる。
彼には私のバイト先について、店名しか伝えていない。わざわざ捜したのだろう。何のつもりで来店したのか分からないが、春斗くんの声に反応してしまわないよう、真司くんとの会話に集中しなければ。
『凛花さん聞いてください! 返事しなくてもいいので!』
聖徳太子じゃあるまいし、二人の話を同時に聞けるはずがない。春斗くんの慌てぶりも気になったため、お手洗いを口実にフロアへ出た。エプロンと三角巾を外して女子トイレへ。春斗くんもお構いなしについてきた。誰もいないが、必要最低限の声量と言葉で会話しなければ。
「何?」
『東公園の傍で人が倒れてるんです』
人が倒れている?
体調不良か怪我なのか分からないが、急を要するのは確かだ。今は底冷えするような冬の夜……誰も通らない可能性もある。
「詳しい場所は? 救急車を呼ぶよ」
『違いますよ、幽霊。三十代くらいの男性なんですけど、身体が爛れてるみたいな感じで。羽織ってるジャケットは黒焦げで、火傷っぽくて』
「……火傷?」
今朝の夢。
炎の中で絶叫する男性を思い出した。
まさか、あれは予知夢だったのだろうか。
吉野さんが骨折した少女を描いていたことといい、不吉なものを予知する夢を見ていた……?
いや、悪夢についてはひとまず置いておこう。
気になるのは〝幽霊が火傷している〟という事態だ。
「幽霊が火傷するっておかしくない? 現世のものに触れることができないんだから、火に当たっても火傷なんかしないはず」
それに、死因が火傷だったというのも考えにくい。
現世に留まっている幽霊に共通していると思しきことは、どんな死亡原因だとしても、身体は元気だった頃のままということだ。たとえば交通事故で亡くなった人の幽霊でも、骨が折れて動けないなんてことはない。幽霊に火傷のような爛れが存在しているならば、彼の死亡原因と関係ない、もっと昔から存在している火傷の跡だろう。
『でも火傷の跡なんてものじゃなかったですよ。傷が生々しくて苦しそうで』
「痛みも感じてるってこと?」
『当り前でしょう。あんなに爛れてたら――』
「それも引っ掛かるって言うか……幽霊は怪我なんてしないと思ってた。春斗くんも私の部屋から飛び降りてるけど、足が痛くなったり骨折したりしないでしょ?」
『……言われてみればそうですね』
春斗くんの見たものが本当に火傷なのか分からない。ただ、負傷して倒れている事実を聞いてしまった以上、無視するのも心苦しかった。
「バイトが終わったら行くから。春斗くんはその幽霊の傍にいてあげて」
『分かりました。場所は、吉野さんのギャラリーの看板が立っていたところより奥で――って、上手く伝えられないですね。分かりやすいよう大通り沿いにある駐車場に移動して、凛花さんが来るのを待ってます』
「東公園の南側ね。怪我してる人、無理やり動かそうとしちゃ駄目だよ?」
春斗くんは頷き、トイレから出ていった。
私もキッチンへ戻る。
そこからは倒れている幽霊のことが気になり、真司くんや他のバイトメンバーとの会話が上の空になってしまった。早く終われと思いながら黙々と片付けを進め、ようやく終了を迎える。
午後十一時四十分。
車に乗り込むと、すぐに東公園へ向かった。この時間は駐車場に入ることができないため、邪魔にならないスペースを捜して車を停める。近くに春斗くんの姿を発見することができたものの、彼は一人だった。周囲に人がいないことを確認し、車を降りる。
「火傷した幽霊はどこに?」
『どこにもいないんですよ。戻ってからずっと探してたんですけど』
「一人でどこかに行ったのかな? それとも、他の幽霊が通り掛かって助けてあげたとか」
『あの人が見付からなければ、俺たちにできることもないですよね』
そこでふと、チェーンの回転音が耳に入った。後方から自転車が近付いてきている。声量を落とし「車に乗って」と告げると、春斗くんは助手席のドアをすり抜けていった。私も運転席のドアを開ける。それとほぼ同時に、自転車の主がブレーキを掛けた。
「――よう!」
思いがけず声を掛けられ、静止してしまった。
心臓が激しく脈打っている。
声の主が吉野さんだと気付くまでに時間が掛かった。




