王子様系後輩女子の秘密を知った俺がカカオ豆を買わされそうになる話
うちの高校には、とある兄妹が在籍している。
まず、3年生で元生徒会副会長の月城蒼真。人当たりのいい柔和な性格が特徴の爽やかイケメンである。そして、1年生で現生徒会役員の月城瑚白。落ち着きがあってみんなから信頼される、学園を代表する美少女かつ王子様である。
当然のこと、男女問わず生徒たちに大人気のふたり。ちょうど学年で挟まれている俺は、兄はともかく妹の方とは関わることなんてないだろうと、思っていた。思っていたのだが──
本当に、ただの偶然だった。
放課後、靴を履き替えて昇降口から出ると、三毛猫らしきものを見た。周りに人もいなかったので、俺は校内に迷い込んでしまったらしいそいつを追いかけて、追いかけて、校舎の裏側まで来てしまったのだ。
さすがに馬鹿らしくなったので、踵を返そうとする。しかし、なにやら話し声が聞こえた。
「──のしみだな。私、お兄ちゃんのコロッケだいすき! 1000円くらい余裕でとれるよ!」
「もう、お兄ちゃんはいっつもそうやって謙遜する! あれ以上においしいものはないって、私が証明して──あ、げ────」
ばちり。確実に、目が合った。彼女の顔は、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「じゃ、じゃあ私もう帰るから! またあとで!」
慌てて電話を切った彼女は、俺の方へとずんずん歩いてくる。
下を向いているので表情は伺えないが、近寄りたくないオーラが漂っている。よし、逃げるか。なんて思っていると、あっという間に俺たちの距離は縮んでいた。
俺よりも少し低い目線をまっすぐこちらに向けて、彼女は口を開く。
「いまのことは、誰にも言わないでくださいね」
「……クールな王子様キャラの月城さんが、実はお兄ちゃん大好きっ子だっていう?」
「どうして全部言っちゃうんですか。馬鹿ですか? 蹴られたいんですか?」
目が本気だった。身体能力も相当なものだと聞いたことがあるので、蹴られるのは勘弁願いたい。自分でも調子に乗った自覚はあるから、ここは素直に謝る。
「ごめんなさい。とりあえず、暴力はやめようか」
「……はあ。わかりましたよ」
月城さんは、胡乱げな視線をじーっと俺に送る。一気に信用を失ってしまったようだ。彼女はただ兄と電話をしていただけなのだし、からかった俺が悪いとしか言いようがない。
静かな空間で無言というのは、想像よりも気まずい。早く抜け出したくて帰ろうとしたのだが、彼女がしぶしぶといった感じで「待ってください」と一言。
その言葉に従い、俺は場を留まる。そこには謎の緊張感があった。
「……あの、間違っていたら申し訳ないんですけど。あなた、料理研究部のいまの部長ですよね?」
「合ってるよ。2年の、小栗惇生。趣味と特技は料理」
俺の自己紹介を聞いた月城さんは、人差し指を顎に当てて考えるような素振りを見せる。その姿はとんでもなく絵になっており、率直にいえば顔がよすぎた。いや、俺はなにを考えているんだ。
「小栗先輩。すでに私のプライドはぼろぼろに壊されたので、もう開き直ることにします」
「う、うん……?」
「バレンタインで、おに……っ、あ、兄に贈るチョコレートが決まらなくて困っているんです。だから、先輩──」
端正な顔をぐいっと近づけてきて、彼女は甘美に微笑んだ。
「私のチョコ作りを、手伝ってくれますか?」
◇
翌日。放課後の俺は、ほかに誰もいない調理室で月城さんを待っていた。
彼女はきのう、自らのプライドを捨てていろいろ話してくれた。
いわく、料理はずっと両親と兄に任せっきりだったので、まともになにも作れないらしい。調理実習のときは、率先して洗い物をしたり時間を測ったりしてやり過ごしている、と。
いつもは市販のものを贈るが、今年こそはどうしても手作りしたいのだと言っていた。
『去年は、高校受験でそれどころじゃなくて。結局おざなりになってしまったのを、すごく後悔しているので』
そう語る彼女からは、本当に兄を想っているのが伝わってきて、俺は彼女の手助けをすると決めた。これは別にお人好しとかではなく、料理が絡む問題には俺はうるさいのだ。お菓子作りの楽しさを知ってほしいという、いち料理オタクのエゴでしかない。
コン、コン。
ドアをノックする音が聞こえ、俺は居住まいを正した。
「失礼します」
「ああ、ようこそ」
「今日からよろしくお願いしますね、小栗先輩」
心なしか頬を緩めてそう言う月城さん。そんな彼女を見て、俺は改めてこの状況を理解する。
人気者の後輩女子と、密室で二人っきり──数日前の自分にいまの状況を伝えたとして、絶対に俺は信じなかっただろう。
別に、どこにもいかがわしい点などはない。ただチョコ作りを教えるだけなのだから、堂々としていればいいのだ。
「ちなみに、なにを作るんですか? 任せろって言ってましたよね、昨日」
そう、俺は確かにそんなことを言った。初心者の彼女はそもそもどういうものが作りやすいかなんてわからないだろうから、俺が考えた方がいいと思ったのだ。
教えやすく、かつ彼女の兄が好きそうなもの。それは──
「ブラウニー、だ」
「……ぶらうにー?」
え、あれ、そこから?
「も、もしかして知らない……?」
「いえ、言われてみれば聞いたことがあるようなないような気がします」
それ、高確率でないってことだろ。どうやら月城さんは、徹底的にお菓子作りと縁のない人生を送ってきたらしい。そういえば、あの人もお菓子はあまり作らないと言ってたような……。
「どうしてブラウニーにしたんですか?」
頭を悩ませるが、彼女の声で現実に引き戻された。……実にいい質問だ。
「理由はいくつかある。まず一つ目、初心者でも簡単に作れること。所要時間はだいたい30分くらいだな。そして二つ目、平面だからチョコペンとかのデコレーションがしやすいこと。最後に三つ目、これは贈るお菓子によって込められる意味が変わってくることに起因する。マシュマロは〝あなたが嫌い〟となるし、クッキーは〝友達でいよう〟となるし、逆にマカロンは〝あなたは特別な人〟という意味があるんだ。だから、これを考慮していろいろ考えてみた結果、ブラウニーになったわけだ」
俺は、息継ぎをせずに最後まで言い切った。人が変わったようにいきなり口数が増えたが、彼女は引いているというよりもびっくりしているようだった。
澄んだ瞳を少しだけ見開いて、しかしすぐにいつも通りの落ち着いた表情に戻る。そして、にやりと笑って俺の方へ詰め寄ってきた。
「意味とか気にするなんて、先輩ってば、ロマンチストですね」
近づいてくる顔があまりにきれいで、俺は一瞬、言葉に詰まる。
「うっ……うるせえ。変な意味のを送って誤解されたら嫌だろ」
目を合わせるのが、なんだか気恥ずかしい。
視線を横にずらして投げやりにそう答えると、「ふふ」という彼女の笑い声が聞こえた。
「それもそうですね。ブラウニーはどんな意味なんですか?」
「ない」
「──はい?」
「特に意味はない」
彼女は目を細めて、続きを促すように俺に視線を送った。
「月城さんの場合、兄に贈りたいんだろ。残念ながら、存在してるのは恋愛に関する意味ばっかりだから、もう意味にこだわる必要もないと思って。いちばん大事なのは、あくまでも気持ちなんだよ」
「気持ち……」
「ブラウニーは意味が設定されていない、言うなれば純粋なお菓子だ。そこに、自分だけの想いをたくさん詰め込めばいい。……ブラコンらしく、ね」
途中は俺の話に感心していたようだったが、最後の言葉を聞いた瞬間、彼女の眉間にしわが寄った。明らかに怒ってるやつだ。
「誰がブラコンですか。……先輩のロマンチストさには負けますよ」
付け足すように、余計なことをぼそっと言いやがる。
くっ、ここで俺に飛び火してくるとは。さっき話したことを思い返すと、確かにぐうの音も出ないほどにロマンチストだったので、恥ずかしさに顔が赤くなった。
そうしてブラウニーを作り始めた俺たちだが、まったく順調にはいかなかった。途方に暮れすぎてけっこう疲れた。
最も俺を困らせたのは、彼女の問題発言である。
『まずは、あれですよね』
『あれ?』
『あれですよ──カカオ豆』
瞬間、脳内に〝??〟が駆け巡ったのを鮮明に覚えている。かかおまめ……カカオ豆? なぜ今そんなワードが?
というのも、彼女は手作りチョコのことをカカオ豆から作るものだと勘違いをしていたのだ。今日もそのつもりで来たらしかった。潰せばチョコみたいになるんじゃないですか、などという訳のわからないことまで言っていた。
もちろん、却下である。却下すぎて、一周回ってまた却下だ。どこに承諾する馬鹿がいる。
『そこから作るの、死ぬほどめんどくさいし難しいんだけど!?』
『その方が燃えるじゃないですか。ほら、仕入れてきちゃいましょうよ。か、か、お、ま、めっ』
整いすぎている顔面に、いつもとは違う甘い声音が迫ってきて揺らぎそうになる。が、俺はそこまで弱くない。迷わず、彼女の頭部に軽いチョップを入れた。
『あーーもう!! バレンタインは土曜なんだから、もう今週いっぱいしか時間はないんだっつーの!! 今日を含めても四日間、どう考えてもできるわけないだろ!?』
『う……お兄ちゃんは、これで折れてくれるのに……』
心が痛むのもまた事実ではあるが、俺はお兄ちゃんではないのだ。おとなしく諦めてもらわねばならない。
というわけで、この悶着で時間を15分も無駄にしたのであった。
そこからは、渋々といった様子で板チョコを溶かしたり生地を作ったりと、まあ順調に進んでいった。昨日の夜、ノートに書いておいたレシピが役に立ってくれたらしい。
だいたい40分くらいで、ブラウニーが完成した。普通においしかったが、慣れてきたらもっとおいしくなるだろうという予感があった。
一つ、学んだことがあるとするならば──月城瑚白は意外にも、頑固な女の子のようだった。兄が甘いとそうなるのかもしれない。
彼女のかわいい一面を期せずして知ってしまった俺は、夜ちゃんと眠れるわけもなかった。
◇
そんなこんなで、翌日と翌々日も放課後に集まってブラウニー作りをした。味に大きい変化こそないが、なんとなく所作がさまになってきた気がする。いっそのこと料理部に入れてしまおうか……部長権限で……などと考えたりもした。
そして──ついに最後の日がやってくる。
2月13日。明日はついに、バレンタインだ。
「あ、やっと来ましたか」
「ごめん、先生に捕まってて」
調理室の鍵は俺が持っているので、彼女が先に来てしまうとこのようにドアの前で待たせることになる。
鍵を開けて中に入ると、落ち着く空気が俺たちを迎えてくれた。
「今日でもう、終わりですね」
「月城さんの助けに少しでもなったなら、それほど嬉しいことはないよ」
思わず笑みがこぼれてきた。この数日間、俺たちはすっかり仲良くなった……いや、遠慮がなくなったというのが正しいだろうか。
一匹の三毛猫から始まったこの時間も、終わるとなると寂しいものだ。
少しの静寂があって、背後にいた彼女は先回りをして目の前にやってきた。
「……あの、先輩。連絡先、交換しませんか」
手を後ろにして隠していたスマホを胸の前まで持ってくる彼女。
「お、おう」
纏っている雰囲気に圧倒されて、まともな返答ができない。
ぎこちない動きで俺もスマホを取り出し、QRコードを表示させる。すぐに彼女のスマホが重なり、俺たちは〝友だち〟になった。
現実感がなくて、ぼーっと画面を眺めていると、彼女が口を開く。
「今日、夜中に作るつもりなので……出来上がったやつの写真を送ります。うまくできてたら、ちゃんと褒めてくださいね?」
目が合って、はっとする。俺は今、なにを考えていた?
彼女もこの関係が終わってしまうのを残念に思っていて、せめて自分たちを結びつける手段として連絡先交換を選んだんじゃないか、なんて。的外れもいいところだった。
俺たちは、お菓子作りの話こそしても、他のくだらない雑談なんかをするような関係性ではない。そもそも釣り合ってすらいない。きっと、そういうことだ。
無性に沈んできた気分を明るくするためにも、張り切った声で俺は言う。
「──もちろん。最高のを期待してるよ」
月城さんの顔に、光がさしたような気がした。この嬉しそうな表情を、今日は俺に向けていてほしいと思う。
「それじゃ、ぱぱっと作るか」
「はい、がんばります」
やはり、もう慣れたものだ。素早くエプロンを着て、まずは粉類のふるいに取り掛かる。初日のような危なっかしさはなく、正直なところ、俺はやることがなかった。
彼女もそれはわかっているようで、俺がなにも言ってこないのを気にするような素振りはなかった。ぼんやりと、後ろ姿を見つめる。
卵を割り始めたあたりで、ポケットが小さく振動するのを感じた。なんの通知だろうか、と確認してみると──
「げっ……」
思わず声が漏れた。
「……? どうしたんですか?」
聞こえたらしく、月城さんは不思議そうに俺の方を向いた。
「いや、気にしなくていい。連絡来てただけだから」
「なら、いいですけど」
釈然としない様子で、彼女は調理に戻る。変に詮索されなくて安心した。もとより、そういうことは弁えている子なのだが。
しかし、これは彼女が絶対に知らないべきことだ。
改めて文面に目を通す。
『元部長の僕より、大切なお話があります☆ 用事が終わったら調理室で待っててね☆』
三年生は自由登校だから、思いっきり油断していた。
俺は、ため息をつきたくなるのをぐっと堪えた。
最後となるブラウニー作りの練習もつつがなく終わり、名残惜しくも彼女と別れた。俺はやることがあるからと調理室に残り、人を待っていた。
コン、コン。
ご丁寧にもノックしてから、その人物は俺に向かってくる。
爽やかな笑顔を浮かべ、右手を上げて彼は口を開いた。
「やあ、惇生くん。久しぶりだね、会いたかったよ」
「……そりゃどうも、蒼真先輩」
──月城蒼真。彼女の兄である。
苦笑いで返すしかなかった。いや、苦笑いどころか、もしかしたらとんでもないしかめっ面をしている可能性もある。そのくらい、今の俺はこの人に会いたくなかった。
「今週の部活が、月曜の夜に急に全部オフになったらしいね」
「そ、そうっすね」
「そして、ちょうどそのくらいから、瑚白の様子が少し変わった」
「へぇー、そうなんですかー」
彼は、笑顔を崩さない。崩してくれない。
たぶん、全てわかっているんだろう。推察につながる情報はたくさんあった。賢いこの人がわからないというのもおかしな話だ。
「ねえねえ、惇生くん」
そう言って、先輩は距離を詰めてくる。背が高いので、必然的に見下ろされる形になった。
「──職権濫用は楽しかった?」
「ひっ……!」
こわ。こわすぎる。裏返った声を上げた俺は、後方へ少しずつ退いていく。しかし、すぐに壁とぶつかった。
「まあ、今の時期はみんな浮かれてるし、部活をなくすのは僕もいいと思うよ。でもね、部費で買った食材たちを勝手に使っちゃうのは、うん、ちょっとね……」
「……す、すみません……」
「部長とはいっても、キミは所詮まだ生徒だ。もちろん僕もね。だから──もう少し、自分の立場を自覚しようか」
「わかりました……もうやらないっす」
俺の謝罪を聞いて、先輩はうんうんと頷いた。説教はこれで終わりのようだ。
「じゃ、俺はこれで──」
「惇生くん、ありがとうね」
驚いて後ろを振り向く。そこには、どこまでも優しい眼差しを俺に向ける先輩の姿があった。
「瑚白のこと、手伝ってくれたんでしょ?」
「あぁ……はい。でも、ほんとに偶然で」
「はは、案外そうでもないかもしれないよ」
いつも意味深なことを言う人なので、こういうのには慣れっこだ。あの出会いが偶然じゃなかったら一体なんなんだよ。
先輩は、もう用事は済んだかのように、手を翻しながらすたすた歩いていく。相変わらず心臓に悪い。
そのまま廊下へ出ていくかと思いきや、ドアの前で立ち止まった。彼は振り返らなかった。言葉だけが俺に届いてくる。
「惇生くんは、もっと自分に自信を持ってもいいと思うよ。僕はキミのこと認めてるから、そこら辺は心配する必要なんてない」
「は──? 急になんですか」
「じゃあね、また会おう」
去り際にちらっと見えた彼の顔は、心なしか楽しそうだった。
◇
さて、バレンタイン当日である。俺にはもらう相手などいないので、昼近くまで惰眠を貪っていた。
さすがに起きようと思ってスマホを見ると、月城さんから何件かメッセージが届いていた。そういえば、俺が寝ている間にも彼女はがんばっていたんだった。
『上手くできました!』
添えられているのは、白いチョコペンで〝いつもありがとう〟と書かれ、おしゃれなデコレーションが施されたブラウニーの写真。
なんとも微笑ましいが、これは果たして俺が見てもいいものなのだろうか。どうしても、罪悪感がある。
『兄は喜んでくれた?』と、俺からもメッセージを送る。するとすぐに既読がつき、返信が来た。
『嬉しすぎて泣きそうになってました……』
ああ、めちゃくちゃ想像できる。ぷっ、と勝手に吹き出していると、次々と新しいメッセージが届く。
『先輩のおかげです。本当にありがとうございました』
『その』
『えっと』
『今日、これから会えますか……?』
「……は?」
心臓が、これ以上ないほどにばくばくと激しく脈打っている。でもこれは、嬉しい予感だ。
『いや、余っちゃったので、悪くならないうちに先輩にもおすそ分けしようと思っただけで』
『でも別に、予定があるなら月曜日でも』
どうしようもなく、顔がにやけてしまう。俺が返すべき言葉なんて、ただ一つに決まっていた。
『俺も、会いたいと思ってたところだよ』
俺のバレンタインは、まだまだこれからだったらしい。
ちょっと説明不足になってしまった感はありますが、おおむね満足のいく出来になりました。曜日などは現実準拠なので、少しでもリアリティを感じてくだされば幸いです!
もしかしたら彼らは、この世界のどこかで逢瀬をしているかもしれませんね。




