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第68話:聖女様は、手懐ける

◇◆◇◆◇


 11月中旬。

 あの夜、俺が『献辞』に込めた本当の想いを伝え、陽葵が子どものように泣き崩れた日から、数日が経っていた。


 商業出版。

 それは、ただパソコンに向かって文字を打てば本になるという単純なものではない。改稿作業、イラストレーターとの打ち合わせ、装丁の決定、販売スケジュールの調整など、おびただしい数の『大人たちとの折衝』が必要になる。


 普通なら、新人作家は担当編集者の指示に従い、右も左も分からないまま荒波に揉まれていくものだ。……普通なら、だが。


「さあ、湊くん!今日は記念すべき第一回目の公式な編集会議ですわ!ビシッと決めていきましょう!」


 都内の一等地にそびえ立つ『株式会社アストラルメディア』本社ビルのエントランス。

 俺の目の前には、一流ブランドのオートクチュールのスーツを完璧に着こなした天ヶ瀬 陽葵、改め、俺の『専属プロデューサー』が、鼻息荒く仁王立ちしていた。

 その後ろには、なぜか黒スーツに銀縁メガネの、いかにもエリートといった風貌の大人たちが五人ほど、分厚いアタッシュケースを持って控えている。


「……なぁ、陽葵。なんで俺までこんなガチガチのスリーピーススーツ着せられてるんだ?あと、後ろの人たちは?」

 俺は、陽葵が「作家としての箔をつけるため」と特注で仕立てさせた、息苦しいスーツのネクタイをいじりながらため息をついた。


「後ろの彼らは、天ヶ瀬家が誇る最強の企業法務弁護士チームです。湊くんの権利を1ミリたりとも損なわないよう、完全武装で連れてきましたわ!」

「出版社に喧嘩売りにいくのか?」


「おっはよー!二人ともバッチリ決まってるね!」

 そこへ、一眼レフカメラを首から提げ、少しフォーマルなジャケット姿の辻岡 春香が元気よく合流してきた。手には分厚いバインダーとICレコーダーを握りしめている。


「春香さん。貴女、なぜここにいますの?」

 陽葵が怪訝な顔で視線を向ける。


「えへへ。実は私、大学の新聞部で『出版業界の最前線』っていう特集コラムを任されててさ!夜凪くんの書籍化までの道のりを、密着取材させてほしいなって!……あ、もちろん、足手まといにはならないように空気読むから!」

 春香が胸を張ってウインクする。


「……取材、ですか」

「そ!大富豪の令嬢がプロデュースする新人作家なんて、メディア的に最高のスクープでしょ?勉強のために、ぜひ同行させて!」


「……まあ、よろしいでしょう。私の湊くんを世に羽ばたかせるための、私の完璧なプロデュース手腕。後世に記録するというのなら、特等席を許可して差し上げますわ」


◇◆◇◆◇


 アストラルメディア本社ビル最上階。VIP専用の大応接室。


「ほ、本日はお足元の悪い中、ご足労いただき誠にありがとうございます、天ヶ瀬様……!先生……!」


 本来なら新人作家を品定めしてリードする立場であるはずの編集長が、ガタガタと震えながら冷や汗を拭い、俺たちに向かって深々と頭を下げていた。その後ろには、担当編集者らしい若い男女が直立不動で並んでいる。


 無理もない。陽葵が引き連れてきた五人の弁護士たちが、座るなりテーブルの上に「ドンッ!」と辞書のように分厚い書類の束を積み上げたからだ。

 春香は部屋の隅で、「うわぁ、大人が完全に怯えきってる……」と小声で実況しながらシャッターを切っていた。


「挨拶は結構です。時間は有限ですから、早速本題に入りますわよ」

 陽葵はふかふかのソファの中央にドンと座り、優雅に脚を組んだ。俺はその隣で、借りてきた猫のように縮こまっている。


「は、はい!まずは出版契約書の方ですが、弊社のフォーマットでこちらに……」

 編集長が差し出したペラペラの契約書を、陽葵の隣の弁護士がスッと指で押し返した。


「御社のフォーマットは不要です。こちらで『作家ミナト・専属出版契約書(改訂版)』をご用意いたしました。全150ページになります」

「ひゃ、ひゃくごじゅっ……!?」


「ええ」と、陽葵がニッコリ微笑む。

「著作権、二次利用権、映像化権の完全な留保はもちろんのこと。彼の執筆環境を守るため、締め切りの催促は『月一回、敬語でのメールのみ』。さらに、売上不振を理由とした打ち切りは一切認めません。もし売れ残った場合は、天ヶ瀬グループが定価の倍額で全在庫を買い取りますので、御社にリスクはありませんわ」

「ば、倍額で全買い取り!?」


「その代わり、サイン会や握手会などの接触イベントは未来永劫、一切禁止。著者の近影写真も掲載禁止。……彼の肉体とプライバシーは、私が完全に保護します」


 編集長たちは、そのあまりに規格外で、しかし出版社側にも()()()()悪魔の契約書を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「さ、さらにですね、イラストレーターの選定なのですが……」

 担当編集者が恐る恐る口を開く。

「弊社で何名か、人気の先生をリストアップしておりまして……」


「それも不要ですわ」

 陽葵はバッグから、一枚の美しいクリアファイルを取り出してテーブルに滑らせた。


「イラストは、現在スケジュールの確保が三年待ちと言われている超大御所、『神城かみしろ アリス』先生に既にオファー済みです。ギャランティと特急料金は、私のポケットマネーからお支払いしてありますわ」

「か、神城先生!?ど、どうやってあの先生のスケジュールを……!?」

「『どうしても描きたい』と仰っていただけるよう、少しだけ環境を整えたまでです」

 陽葵がフンッと鼻を鳴らす。


「つ、つまり……弊社は……」

「ええ。御社は、アストラルメディアという『ブランドの箱』と『流通網』だけを貸していただければ結構です。……彼の才能を世界に届けるための、最高の舞台装置としてね」


 陽葵は、俺の顔を見つめて、本当に嬉しそうに、そして誇らしげに微笑んだ。

 あの夜、俺が伝えた「お前に追いつくための翼」という言葉。彼女はそれを折るのではなく、誰よりも強靭で、黄金に輝く翼に仕立て上げようとしてくれているのだ。


 俺は小さくため息をつきつつ、テーブルの下で、彼女の左手をそっと握った。

 陽葵の肩がビクッと跳ねるが、彼女は振り払うことなく、俺の指をギュッと握り返してきた。


「……分かりました。この条件で、進めさせていただきます……!」

 編集長が、ついに白旗を揚げた。


◇◆◇◆◇


「お疲れ様、夜凪くん。陽葵ちゃん」

 アストラルメディアのビルを出たところで、春香が大きく伸びをしながら言った。

「いやー、すごい世界を見せてもらったよ!陽葵ちゃんのプロデュース力、マジでえげつない……!この記事、絶対面白いコラムになりそう!」


「当然ですわ。私の湊くんの才能を世に出すのですから、一切の妥協は許しません」

 陽葵がふんぞり返る。


「……ありがとうな、陽葵。お前がいなかったら、あんな大人たち相手に、俺一人じゃ絶対丸め込まれてたよ」

 俺が素直に感謝を口にすると、陽葵は頬をほんのりと赤く染め、ツンとそっぽを向いた。


「べ、別に……。私はただ、自分のパートナーの価値を最大化しているだけですわ。……それに」


 陽葵は俺のネクタイをクイッと引っ張り、顔を近づけた。冷たい秋風の中、彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。


「……これで、私のプロデューサーとしての有能さが証明されましたわね?……ということは、湊先生は今後、私以外の編集者の言うことなど聞かず、一生私の言うことだけを聞いて執筆し続ければいいということですわ♡」


「……結局、囲い込みの手段かよ」

 俺が苦笑して頭を撫でると、陽葵は嬉しそうに目を細め、俺の腕にすり寄ってきた。


 春香が「はいはい、ごちそうさま!」と笑いながらシャッターを切る。


「じゃ、私今日の分のデータ整理したいから帰るねー!お疲れ様!」

 春香はそういうと、少し嬉しそうに顔を緩ませ、走っていった。


 春香が視界からいなくなったところで、俺はどうしても気になっていたことを切り出した。


「なぁ、陽葵。さっきの神城 アリス先生の件だけど……。どうやって三年待ちのスケジュールをこじ開けたんだ?いくら天ヶ瀬グループでも、クリエイターの筆の速さばかりは権力じゃどうにもならないだろ」


 陽葵は冬の冷たい風に髪をなびかせながら、「誠意と熱意ですわ」と澄ました顔をしているが、絶対にそんな綺麗なものではないはずだ。


「…お、おう…。そうか。ありがとう。これからもよろしく頼むな」

 俺の二度目のストレートなお礼に、さらに少し頬を緩ませた陽葵は「そろそろ父から頼まれた仕事の時間ですわ!」と言い、間もなくやってきたタクシーに乗り込んで行ってしまった。


「……ありがたいんだが、気になるな」

 俺は何か知ってそうな人に心あたりがあり、電話をかけた。美月だ。


『……誠意。……すなわち物理。誠意という名の物理だよ。……私と陽葵で、神城先生の自宅スタジオを急襲した。しらんけど』

「急襲って……お前ら、何したんだよ」


『……私が神城先生の裏垢を特定して、現在の「最も飢えている欲求」をリストアップした。……結果、二つの致命的な弱点が判明』


 美月の説明によると、事の顛末はこうだ。


                ****


 数日前の深夜。都内にある神城 アリスの作業スタジオ。


 無数のエナジードリンクの空き缶に囲まれ、ボロボロのジャージ姿で「もうヤダ……お肉食べたい……新しい液タブ欲しい……でも時間ない……」と死に体になっていた神城先生の前に、陽葵は文字通り『降臨』したらしい。


「突然の訪問、お許しくださいな。神城アリス先生」

「ひっ!?ど、どちら様!?オートロックのセキュリティはどうなって……っ!」

「私の愛する湊くんの、記念すべきデビュー作。その挿絵を貴女に描いていただきたく、お迎えに上がりました」

「む、無理です!私、再来年までラノベの挿絵もゲームのキャラデザもパンパンで……!今すぐ帰って……!」


 泣き叫ぶ神絵師に対し、陽葵は無言で、背後の黒服にジュラルミンケースをテーブルの上に置かせた。

 カチャリ、と鈍い音を立てて開かれたケースの中身を見た瞬間――神城先生の目の色が変わった。


「こ、これは……!ヨーロッパのメーカーがプロ向けに限定生産して、世界に100台しか出回ってない超希少な『最新鋭特注ペンタブレット』!?中古市場でも一千万超えで取引されてる幻の……!なんでこんなものがここに……!」


「それだけではありませんわ」

 陽葵はさらに、漆黒の金属製のカードを人差し指と中指に挟んで提示した。


「銀座の完全紹介制・超高級焼肉店『銀座 焔 -Homura- 』のVIPルーム、年間フリーパスです。これを提示すれば、いつでも、何人でも、A5ランクのシャトーブリアンが無料で食べ放題になりますわ」

「………っ!?」


「もちろん、激務を共にしているアシスタントの皆様を連れて行っても構いません。……どうかしら?私の湊くんの作品を『最優先』で、かつ最高のクオリティで描き上げていただけるなら、これらは全て貴女への『ほんの挨拶代わり』とさせていただきますけれど」


「…………」

 神城先生は、幻のペンタブと焼肉パスポート、そして陽葵の悪魔的な微笑みを交互に見比べた後。


「描きますぅぅぅ!!他の仕事全部リスケして土下座して謝ってきます!!ミナト先生の作品にこの命捧げますぅぅぅ!!」


 と、ヨダレと涙を垂れ流しながら床に崩れ落ち、完全降伏したそうだ。


『……というわけ。……クリエーターの悲しい性を突いた、完璧な交渉術。……神城先生、昨日からシャトーブリアン食べながら爆速でラフ描いてる。しらんけど』


「悪魔の所業だろ……」

 俺が戦慄して頭を抱えた。


『……陽葵はこう言ってた。「私は日本の宝であるクリエイターの労働環境を劇的に改善する、正当な『先行投資』を行ったまでですわ!」って」


「投資って言うか、完全に首輪つけただろ……。神城先生の寿命が縮まないことを祈るよ……」


 見上げた11月の空は高く澄み切っていた。


 俺のデビュー作が出版される、翌年の春まであと数ヶ月。

 この最強で最過保護なプロデューサーと共に駆け抜ける冬は、間違いなく、俺の人生で一番忙しく、そして騒がしい季節になるだろう。

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