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第66話:聖女様は、優勝したい

 バンッ!と、埃っぽい空き教室のドアが勢いよく開かれた。


 学園祭の喧騒を切り裂くような大声と共に飛び込んできたのは、首から一眼レフカメラを下げた辻岡 春香だった。

 だが、勢いよく踏み込んだ彼女の足は、室内の光景を目にした瞬間にピタリと止まった。


 そこにあったのは、黒板を背にして立つ俺と、俺に密着する天ヶ瀬 陽葵の姿。

 より正確に言えば――大正ロマン風の着物の合わせ目から白く細い手を滑り込ませ、俺の胸板を直接撫で回している陽葵と、そんな状況に抵抗するどころか、どこか毒気を抜かれたように息を吐いている俺の姿だった。


「…………」


 春香の顔から、スッと表情が抜け落ちる。

 数秒の、永遠にも思える沈黙。


「あ、お邪魔しましたー。終わったら教えて」


 春香は一切の感情を消した無のトーンでそう言い残し、バタン、と静かに扉を閉めようとした。


「おい待て!勘違いすんな!!」


 俺は慌てて陽葵を引き剥がし、ドアの隙間に足をねじ込んで春香の逃亡を阻止した。


「ちょっと春香さん!ノックくらいしなさいな!今ちょうど、有象無象のメスどもの視線を浴びた湊くんの心身を、私の手で直接浄化していたところですのに!」

 陽葵が不満げに唇を尖らせる。


「浄化って言うか、完全に事案の現場だったけど!?まあいいや、それどころじゃないの!大ニュース!大ニュースだよ!!」

 春香は手元のバインダーをバンバンと叩きながら、特大のスクープを掴んだ記者のようなギラギラとした目を向けた。


「陽葵ちゃんが、今年の『ミス聖鳳コンテスト』のファイナリストに勝手にノミネートされてるの!しかも、予選のWEB投票でぶっちぎりの1位候補!」


「……は?」

 陽葵が、怪訝な顔をして眉をひそめた。

「私が?あんな見世物小屋のような低俗なコンテストに?……誰が勝手に推薦しましたの」

「わからないけど、たぶん面白半分でエントリーした他学部の男子たちとか、陽葵ちゃんの『聖女』っぷりを崇拝してる狂信的な層が一斉に投票したみたい」


「不愉快ですわ。今すぐ辞退します」

 そういうと陽葵はどこかへ電話をかけた。

「美月さん、『ミス聖鳳コンテスト』の運営のサーバーにハッキングして私のエントリーデータを物理的に消去なさい」


『……了解。30秒で消す』

 美月がキーボードを叩くカチャカチャという音が聞こえてくる。


「待って待って!」

 春香が慌ててスマホの画面を突き出す。

「今年のミスコンの優勝者の『特権』、これだよ!これ見ても辞退するって言うの!?」


 春香が突き出した画面。そこには、大々的なミスコンのポスター画像と共に、こんな文字が踊っていた。


 『優勝特典:後夜祭のフィナーレにて、時計塔の【永遠の鐘】を恋人と共に鳴らす権利』


「永遠の鐘……?」

「そう!聖鳳大学に開学当初から伝わる最強のジンクス!『永遠の鐘を一緒に鳴らしたカップルは、今世だけでなく、来世からその先の7回の転生まで、ずっと魂が結ばれ続ける』って言われてるの!」


 ピタリ、と。

 陽葵と、スマホの向こうの美月の動きが同時に止まった。


「……来世から……。その先の7回まで……?」

 陽葵の声が、信じられないものを見るように震える。


 天ヶ瀬家の圧倒的な財力をもってしても、『運命』や『来世』だけはお金で買えない。

 俺と誕生日が1日違いという事実だけで『神の配剤』と狂喜乱舞した彼女にとって、魂の永続的な独占契約など、喉から手が出るほど欲しい超絶レアアイテムだ。


『…………データ消去、中止する?』

「当然ですわ!!美月さん!消去どころか、逆に私の票をカンストさせなさい!! どんな裏工作を使っても構いません!」

『……了解。工作開始。とりあえずライバル候補の票を分散させて、陽葵に集中させる』


 さっきまでの低俗なコンテストという評価はどこへやら。

 陽葵の目に、執着という名の猛烈な業火が灯った。


「春香さん!コンテストのステージは何時から!?」

「今日の夕方、後夜祭の前だよ!ウェディングドレス審査があるから、今すぐ準備して!」

「完璧ですわ!湊くん、特等席で見ていてくださいませ。私が、他の羽虫どもを圧倒的な力でねじ伏せ、貴方との来世の契約書を必ずもぎ取って見せますわ!!」


 燃え上がる陽葵と、ノリノリで写真を撮り始める春香。

 俺はただ、窓の外のイチョウの木を見つめていた。


◇◆◇◆◇


 夕方。


 野外メインステージの周辺は、足の踏み場もないほど異常なまでの熱気に包まれていた。

 ミスコンの最終審査。今年のファイナリストは、陽葵を含めて5人。


 ステージ裏では、ピリピリとした空気が漂っている。

 他の候補者たちは皆、読者モデルをやっていたり、他大学のインフルエンサーだったりと、自分を可愛く見せる術を熟知しているプロたちだった。

 特に、エントリーナンバー4番の教育学部の女子――清楚で愛嬌があり、「みんなの妹」として圧倒的な人気を誇る彼女は、ステージ上で見事なアイドルスマイルを振りまき、会場の野郎どもから地鳴りのような歓声を浴びていた。


「(……これ、陽葵の完全アウェーじゃないか?)」


 俺はステージ横の関係者席から、不安な気持ちで戦況を見守っていた。陽葵の美しさは群を抜いているが、彼女には愛嬌という概念がない。むしろ普段から『聖女』として周囲を威圧しているのだから、こういう人気投票系のイベントには向いていないはずだ。


 そして、ついに天ヶ瀬 陽葵の出番がやってきた。


 照明がフッと落ちる。

『……メインスピーカー、ジャック完了。……BGM、変更』

 美月の裏工作により、それまで流れていたポップなアイドルソングが突如として途切れ、代わりに荘厳なパイプオルガンの音楽が鳴り響いた。


 スポットライトがステージ中央を一直線に照らす。

 そこに現れたのは、純白の豪奢なウェディングドレスを身に纏った、天ヶ瀬 陽葵だった。

 ティアラを乗せた艶やかな亜麻色の髪。雪のような肌。そして、冷たい、けれど誰もが平伏したくなるような圧倒的な美しさ。

 観客から、どよめきと感嘆の溜息が漏れる。先ほどのアイドル的な熱狂とは違う。それは純粋な美の暴力に対するひれ伏しだった。


「それでは、最後のエントリーナンバー5番、天ヶ瀬陽葵さん!アピールをどうぞ!」

 司会者が、気圧されたように興奮気味にマイクを向ける。


 普通なら、ここで「皆さんの応援よろしくお願いします♡」と媚を売る場面だ。

 しかし、陽葵は司会者からマイクをひったくると、観客席を――まるで虫けらでも見るような冷ややかな目で見下ろした。


「――私がここに立っている理由は、ただ一つ」


 凛とした、氷のような声がスピーカーを通してキャンパス中に響き渡る。


「優勝特権である『永遠の鐘』。あのような神聖な遺物を、貴方たちのようなその日暮らしの浅ましい恋愛劇で汚されるのは耐えられません。天ヶ瀬家の名において、私が保護・管理いたします」


 会場が静まり返る。あまりの高慢さ。空気を読まない宣言。だが、それが彼女の『聖女』というブランドをさらに強固なものにする。


「そして、この場を借りて全校生徒にお伝えしたいことがあります」

 陽葵は、観客席の隅で様子を見守っていた俺の方へ、冷酷な視線を真っ直ぐに突き刺した。


「文学研究会に所属する、夜凪 湊。あの大陸級の産業廃棄物を、私は天ヶ瀬家の慈悲と社会貢献の一環として管理してあげています。……ですが、最近、あの男に気安く触れたり、色目を使おうとする命知らずな女性生徒がいるようですね」


 ヒィッ、と。午前中俺のテントに群がっていた女子たちからリアルな悲鳴が上がる。


「警告します。絶対に彼に近づかないでください。彼の放つ負のオーラと不浄な空気は伝染します。もし面白半分で彼に触れようものなら――防疫措置として、天ヶ瀬グループの総力を挙げて貴女の存在を社会的に抹殺しますわ」


 底冷えするような、背筋が凍る脅迫。

 「彼は私のものだ」とは一言も言っていない。あくまで「私の管理下にある汚物だから触れるな」というロジックだ。

 だが、その結果として、俺の周囲には完全な無人地帯が形成される。


「触らぬ神に祟りなし、ですわ。……以上。さあ、さっさと私を優勝させなさい」


 前代未聞の、脅迫によるミスコンのアピールタイム。

 静まり返る会場。俺は頭を抱えた。終わった。これで俺の大学生活は完全に孤立する。


 しかし、次の瞬間だった。


「うおおおおおおお!!!」

「俺も社会的に抹殺されたい!!踏んでくれえええ!!」

「あの夜凪ってヤバい奴、マジで関わらない方がいいな!聖女様に迷惑かけるなよ!」


 会場の男子生徒たちから、地響きのような謎の歓声と納得の声が巻き起こったのだ。

 圧倒的な高慢さと、有無を言わせぬ美貌。それが逆にマゾヒスティックな学生たちの心に火をつけたらしい。


『……投票締め切り。……陽葵の得票率、98.5%。……圧倒的』

 美月の報告通り、コンテストは陽葵の完全優勝で幕を閉じた。

 他の候補者たちは、あまりの次元の違いに涙目で崩れ落ちていた。


◇◆◇◆◇


すっかり日が落ちたキャンパスは、昼間の喧騒とは違う、どこか熱を帯びた夜の空気に包まれていた。


 グラウンドの中央では後夜祭の巨大なキャンプファイヤーが赤々と燃え上がり、火の粉が11月の冷たい夜空へと吸い込まれていく。遠くからは学生たちの浮かれた歓声が絶え間なく響いていた。


 そんな光と熱の輪から外れた、キャンパスの最奥。

 俺は、ウェディングドレス姿の陽葵の少し後ろを歩いていた。手には、彼女の着替えやメイク道具が入った大きなブランド物の紙袋を提げている。完全に『我儘な令嬢と、それに付き従う哀れな荷物持ち』の構図だ。


 すれ違う学生たちは皆、陽葵の圧倒的な美しさに息を呑んで道を譲り、その後ろを歩く俺を見て露骨に顔をしかめた。

「うわ、あの夜凪って奴、聖女様にパシリにされてるよ」

「近づかない方がいいぜ。呪われるぞ」

「穢れ役を押し付けられて、かわいそうになぁ……」

「ところで聖女様って誰と鐘鳴らすか知ってる?」

「さぁ……。けど超金持ちの不動産王と付き合いがあるって噂もあるらしいからな」


 同情と、侮蔑と、恐怖の視線。

 陽葵の『社会的抹殺宣言』の効力は絶大だった。俺はキャンパスの中で、完全に透明な、あるいは触れてはいけない不浄な存在として隔離されていた。


 俺の前を歩く陽葵は、そんな周囲の視線など一瞥もくれず、ただ冷たく、気高く、まっすぐにレンガ造りの古い時計塔へと向かっている。


 ギィィ……と、重い鉄の扉を開けて時計塔の内部へ入る。

 中はひんやりとしていて、古い木材と埃の匂いがした。外の喧騒が、壁一枚隔てただけで遠い別世界の出来事のようにくぐもって聞こえる。


「……暗いな。足元、気をつけて」

 俺が声をかけても、陽葵は無言のままだった。


 薄暗い螺旋階段を上り始める。

 コツ、コツ、と陽葵のヒールの音が石造りの壁に反響する。窓から差し込むわずかな月光が、彼女の純白のウェディングドレスを青白く照らし出していた。

 その背中はひどく冷徹に見えるのに、長いドレスの裾をわずかに持ち上げて一段一段上るその後ろ姿が、どうしようもなく綺麗で、俺は少しだけ見とれてしまった。


 やがて、長い階段の終わりが見えた。

 塔の最上階。展望台に出るための、分厚いオーク材の防音扉。


 陽葵がその重い扉を押し開け、展望台のバルコニーへと出る。

 俺もそれに続き、最後に防音扉をしっかりと閉めた。


 ガチャン、と鍵が落ちるような重い音が響き――外界との繋がりが、完全に遮断された。


「……」

 夜風が吹き抜ける展望台。眼下には、宝石を散りばめたように輝くキャンパスの灯りと、燃え盛るキャンプファイヤーが見える。

 振り返った陽葵は、まだ表情を崩していなかった。その美しい顔に、月明かりが影を落とす。


「……重かっただろ。ドレス、寒くないか?」

 俺が紙袋を床に置き、いつものように声をかけた、その瞬間だった。


「……湊くーーーんっ!!」


 さっきまでの絶対零度の聖女は、見事に跡形もなく消え去った。

 陽葵は純白のドレスの裾が展望台の埃で汚れるのも一切構わず、弾かれたように駆け寄ると、俺の胸にロケットのように飛び込んできた。


「やりましたわ!やりましたわ湊くん!これで来世の契約書は私たちのものですわ!!」

「お、おい、ちょっと待て、苦しいって……!でも、おめでとう、陽葵。すごかったよ、あのステージ」

「ええ!あの大衆の面前で、堂々と『貴方に近づく女は消す』と宣言できたことも最高に爽快でしたわ!これで明日から、湊くんの周囲半径3メートルには誰も、本当に誰も近づきません!」


 俺の胸に顔を埋め、グリグリとすり寄りながら、満面の笑みで恐ろしいことを言う陽葵。

 さっきまでの冷酷な令嬢と、今俺の腕の中で甘い体温を発しているこの少女が同一人物だとは、下のグラウンドにいる学生たちは誰も信じないだろう。


 俺は小さくため息をつきつつ、彼女の華奢な背中にゆっくりと腕を回した。シルクの滑らかな感触と、冷え切った夜気とは正反対の、ひどく熱い彼女の体温。


「……やりすぎだろ。俺、本当に大学で完全に孤立するぞ」

「問題ありませんわ。私が一生、いえ、来世まで養って差し上げますから。……さあ、湊くん。あちらへ」


 陽葵に手を引かれ、バルコニーの中央へ進む。

「これ、下から見えないのか?」

「鳴らす場所は、下からは死角になっていますわ」


 そこには、夜の冷気を吸い込んで青黒く光る、古い真鍮製の『永遠の鐘』が鎮座していた。鐘から伸びる太い麻のロープは、歴代のカップルたちが握ってきたせいで少し黒ずんでいる。


「よし……」

「さあ、一緒に握ってください」


 俺たちは、太いロープを二人で手を重ねるようにして握りしめた。

 11月の冷たい風が吹き抜ける中、俺の手の甲を包み込む陽葵の白い手の温もりが、じんわりと浸透してくる。


「……7回の転生、か。結構長いな」

「短いくらいですわ!本当はこの鐘が割れるまで鳴らし続けて、700回くらいに延長したいくらいですのに!」

「物理的に壊すなよ。出禁になるぞ」


 陽葵は俺の肩にこつんと頭を乗せ、塔の吹き抜けから見える、冬の気配を帯びた澄んだ夜空を見上げた。瞬く星々の光が、彼女の黒瑪瑙のような瞳に反射している。


「……湊くん」

「ん?」

「来世で……。もし私があなたより先に生まれても、あるいは全く違う国で生まれても……絶対に見つけ出しますわ」


 冗談でも何でもなく、本気でそう思っている声だった。

 鐘のジンクスなんて、普通はただの学生のお祭り騒ぎだ。でも、彼女は本気で魂の契約を結ぼうとしている。


「……だから、安心して私の腕の中にいてくださいね。今世の終わりまで、そしてその先もずっと」


 表向きは俺をゴミのように見下し、周囲から俺を徹底的に孤立させ。

 裏ではこうして、莫大な金と権力と情念を使って、来世まで俺を縛り付けようとする、この重すぎる愛。


 ……困ったことに、俺はそれをすっかり「心地よい」と感じてしまっているのだ。

 誰からも干渉されない。彼女だけが俺を見て、俺だけが彼女の本当の姿を知っている。彼女が用意してくれたこの分厚い檻の中でなら、俺は俺のままでいられるから。


「……ああ。待ってるよ。今世でも、来世でも。……何度でも見つけてくれ」


 俺がそう言って微笑みかけると、陽葵の顔がパッと輝き、俺の頬に背伸びをして熱いキスを落とした。


「いきますわよ、湊くん!」

「ああ」


 俺たちは互いの手を見つめ合い、そして、力強くロープを引いた。


 カーン、カーン……!


 重厚で、どこか澄んだ鐘の音が、冬めいた夜空に高く、遠く響き渡る。

 同時に、ドーン!と、後夜祭のフィナーレを飾る大輪の花火が打ち上がった。

 赤、青、黄金。色とりどりの光の粒が、時計塔のバルコニーにいる二人のシルエットを鮮やかに浮かび上がらせる。


 眼下では、数千人の学生たちが花火を見上げて歓声を上げている。

 彼らは誰も知らない。その頭上で、大学全体を巻き込んだ壮大なカムフラージュの裏で、俺たちが密かに永遠を誓い合っていることなど。


 防音扉に守られた塔の最上階。

 この窮屈でとてつもなく温かい檻の中でなら、俺は来世までだって、彼女と一緒に生きていける。

 夜空に咲く花火を見上げながら、俺は陽葵の肩をそっと抱き寄せた。

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