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第65話:聖女様は、展示を許さない

◇◆◇◆◇


 11月。

 肌寒い秋風が吹き抜ける聖鳳大学のキャンパスは、一年で最も熱狂的な三日間である『聖鳳祭』の初日を迎えていた。


 イチョウの葉が舞い散るメインストリートには、所狭しと模擬店のテントが立ち並んでいる。ソースの焦げる匂い、ステージから響く軽音サークルのバンド演奏、そして非日常の空気に浮かれた学生たちのけたたましい歓声。


 そんな喧騒の中心で、俺は、深い、深いため息をついていた。


「……あの、部長。俺、これいつまで着ていればいいんでしょうか。それに、なんだか視線が痛いんですけど……」


「文句言わないでもらっていい?私たちはアンタに直接触れるのも恐ろしいのよ!でもね、背に腹は代えられないの!今年の部誌が売れないと、ウチのサークルは破産なのよ!」


 俺が立たされているのは、文学研究会が発行する部誌を販売する特設テントの前だった。

 俺の格好は、なぜか『大正ロマン風の書生姿(紺飛白の着物に暗めの袴、そして丸眼鏡)』。


 春先の一件以来、俺は文学研究会の中で聖女様にすら見捨てられた、触れてはいけない大型事故物件という最悪のレッテルを貼られていた。部員たちは俺をまるで放射性廃棄物か何かのように扱い、たまに行く部室でも常に半径2メートルの距離を取られていたのだ。


 しかし、学園祭を前にしてサークルの深刻な資金難が発覚。

 そこで妖艶な女性部長が考案したのが、呪物展示作戦だった。


「いいこと!?学内の人間はアンタのヤバさを知ってるけど、外部から来る他大生や女子高生はそんなこと知らないの!アンタのその『全てを諦めたような儚げな色気』は、事情を知らない女子には『ダウナー系イケメン』として刺さるのよ!サークルの汚点なんだから、せめて顔面と雰囲気で赤字回収に貢献しなさい!」


 そう言って、部長はゴム手袋をはめた手で俺を押し、最前線に立たせたのだ。


「キャー!あの書生の人、超イケメンなんだけど!どっかのモデル?」

「なんか影があって素敵……。写真撮ってもらえませんか?」

「本買います!握手してください!」


 恐ろしいことに、部長のこの悪魔的な作戦はドハマりしていた。

 学内の噂を知らない外部の客(特に、病み系の男子を好む層)が俺の放つ負のオーラに吸い寄せられ、部誌は飛ぶように売れていく。

 俺は「これでサークルの借金が返せるなら……」という自己犠牲の精神と、押しに弱い性格ゆえに、引きつった笑顔で写真撮影に対応し続けていた。


「(……まずい気がする。この感覚、デジャヴか……?)」


 俺の生存本能が、けたたましい警報を鳴らしている。


 今日、陽葵は午前中、天ヶ瀬家の重要な来客対応で屋敷から出られないと言っていた。だからこそ部長たちも「聖女様の監視がない今のうちに、この呪物で稼ぐわよ!」と強行突破に出たのだ。


 だが、もしこの状況――俺が見知らぬ多数の女性に囲まれ、あまつさえ手を握られているというこの地獄絵図が、彼女の知るところとなれば。


「あ、あの!これ差し入れです!よかったら連絡先とか……」

 少し派手なメイクをした他大の女子が、俺の手にエナジードリンクを押し付け、スマホのQRコードの画面を見せてきた。


「えっ、あ、いや、俺はそういうのは……」

 俺が一歩後ずさろうとした、その瞬間だった。


『……湊。……右斜め前方、45度。……死神が来てる』


 左耳に付けていた極小インカムから美月の淡々とした声が聞こえた。

 先月の悪徳商法壊滅に向けた潜入作戦時に使用していたものを「なんか部隊みたいでかっこよかった」と目をキラキラさせていた美月が無理矢理、付けさせたのだった。


 俺は弾かれたように視線を向けた。


 人混みが、まるで海を割るモーゼの十戒のように、無音で真っ二つに割れていく。

 楽しげだった喧騒が波が引くように消え、代わりに底冷えするような静寂がキャンパスのメインストリートを支配した。


 そこには、秋の新作である最高級ブランドのボルドーのワンピースを纏った天ヶ瀬 陽葵が立っていた。


 その人間離れした美しさと高貴な佇まいに、事情を知らない客たちは息を呑む。だが、事情を知る学内の学生たちは、恐怖で顔を引き攣らせていた。俺にははっきりと見えていた。彼女の背後に渦巻く、絶対零度の吹雪と、般若のような怒りのオーラが。


「……ご、午前中は用事じゃ……」


「ええ。あまりにイライラしたので、父の代理の商談を三分で終わらせて駆けつけましたわ。……正解でしたね」


 陽葵はコツコツとヒールを鳴らして、文学研究会のテントに近づくと、俺を取り囲んでいた女子大生たちを一瞥した。

 たったそれだけで、彼女たちはまるで猛獣に睨まれた草食動物のように怯え、道を開ける。先程まで俺にスマホを突き出していた女子など、顔面を蒼白にして逃げ去ってしまった。


「あら、文学研究会の皆様。ごきげんよう。随分と盛況のようですわね」

「あ、天ヶ瀬さん……っ!!」

 部長が、文字通りガチガチと歯の根を鳴らして震え上がった。


「私が……あれほど『社会的欠陥品』と警告しておきましたのに。……見世物として展示し、たかだか数百円の小銭を稼ぐツールにするなど。……この男の放つ不浄な空気がキャンパス中に蔓延したら、どう責任を取るおつもりかしら?」


「ひぃっ!も、申し訳ありません!サークルの赤字が……っ!」

「それに、その衣装。……この汚物に衣装を着せたのは誰です?……まさか、貴女たちの手で彼に直接触れましたの?」


 陽葵の瞳孔が開き、テントの骨組みがガタガタと揺れた(気がした)。

 殺される。文学研究会が物理的、あるいは社会的に潰される。

 俺が止めに入ろうとした、その時。


 陽葵はバッグから、漆黒のブラックカードを取り出し、部長の顔の前に突きつけた。


「……部誌の在庫、全て出しゃなさい」

「え?」

「今ある在庫、全て私が買い取りますわ。このような呪われた品が世に出回るのは、天ヶ瀬家の社会貢献の理念に反します。……さあ、決済端末を」


「ぜ、全部!?まだ500部くらいあるんだけど!?」

「5000部でも50000部でも同じことです。……これで、この事故物件の『展示』は終了ですわね。保健所に連行しますわよ。……徹底的な消毒が必要ですわ」


 圧倒的な財力と、ゴミ扱いという設定を一切崩さない強引すぎる問題解決。

 俺は腰を抜かしている先輩たちを残し、陽葵に腕を絡め取られてテントから引き剥がされた。


◇◆◇◆◇


 陽葵に連行されたのは、管理・講義棟にある使用禁止の空き教室だった。


 埃っぽい室内に入るなり、陽葵はガチャリと鍵をかけ、俺を黒板に押し付けるようにして壁ドンした。


「湊くん!!貴方は自覚が足りませんわ!!」

「ご、ごめん。でも逆らえなくて……。サークルの厄介者だから、せめて売り上げで貢献しろって……」


「女の同情など全て言い訳ですわ!私が目を離した隙に、すぐに有象無象のメスどもに囲まれて、ニヤニヤと笑いかけて……!あまつさえ連絡先を交換しようとするなど!」

「してない!相手が勝手に言ってきただけだ!」


「同じです!湊くんがそんな無防備なフェロモンを振りまくからいけないのです!」


 陽葵は俺の着物の襟元をガバッと掴み、顔を近づけてきた。シェルピンクの口紅を引いた唇が、震えている。

 彼女は俺の首筋に顔を埋め、スーハースーハーと深呼吸を始めた。


「……ひ、陽葵?」

「……消毒です。他の女の視線というバイ菌が付着した湊くんを、私の匂いで上書きしなければ、気が狂いそうですわ……」


 陽葵は俺の首筋にそっと唇を押し当て、それから着物の合わせ目から手を滑り込ませ、俺の胸板を直接撫でた。冷たい指先が肌に触れ、俺はビクッと肩を揺らす。

 表の不浄扱いという完璧な演技から一転、密室での過剰なスキンシップへの急降下。


「……500部も買い占めて、どうするんだよ」

「天ヶ瀬邸の地下書庫に専用の保管環境を作ります。湊くんの活字は全て私が保護・管理すべき重要文化財ですから」


 相変わらずの狂ったスケール感と、裏での激甘な溺愛っぷりに、俺は思わずため息をつく。

 だが、俺の胸にすり寄る彼女の表情は、どこか安心したような、嬉しそうな顔をしていた。


「……まったく、世話が焼けるんだから」

 俺は観念して、俺に抱きつく陽葵の背中にそっと腕を回した。

 そんな彼女の機嫌が完全に直りかけた、その時だった。


「ひーまーりーちゃーーん!!夜凪くーーーん!!どこー!?」


 廊下から、学園祭の喧騒を切り裂くような大声が響き、バンッ! と空き教室のドアが勢いよく開かれた――。

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