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第62話:聖女様は、自身を蔑む

◇◆◇◆◇


 8月31日。


 8月の終わりを告げる日であり、天ヶ瀬 陽葵の19歳の誕生日。

 天ヶ瀬家の本邸で行われた誕生パーティーは、俺の想像を遥かに超える、狂気じみたスケールのものだった。


 五層にも重なるウェディングケーキのような特注ケーキが鎮座している。招かれたゲストは、政財界の大物から著名な文化人まで、ニュース番組でしか見ないような顔ぶればかり。

 主役である陽葵は、総レースの純白のドレスを纏い、誰もがひれ伏すような完璧な聖女として振る舞っていた。


 愛想笑い一つ浮かべず、高貴な視線で下界を見下ろす天ヶ瀬家の令嬢。


 しかし、俺だけは気づいていた。彼女のその冷ややかな視線が、三分に一回のペースで、会場の隅で所在なげにグラスを持っていた俺の元へチラチラと飛んできていることに。俺が少しでも若い女性ゲストとすれ違おうものなら、遠隔から凄まじい殺気が飛んでくるのだ。


 パーティーが終わり、最後の黒塗りのハイヤーが敷地から出て行った深夜零時過ぎ。

 嵐が去り、静けさを取り戻した広大なリビングには、俺と陽葵、そしてパーティーの裏方を務めていた春香と美月の四人だけが残っていた。


「……ふぅ。疲れましたわ」


 扉が閉まった瞬間、陽葵は聖女の仮面をかなぐり捨てた。


 彼女はハイヒールを乱暴に脱ぎ捨てると、俺が座る高級ソファの隣にドサリと腰を下ろし、ドレスの裾が皺になるのも構わず、俺の肩に全体重をかけて凭れかかってきた。


「お疲れ様。……すごかったな、今日のパーティー。完全に国家行事だったぞ」

「あんな有象無象の祝辞など、耳障りなノイズに過ぎませんわ。……私にとって一番のプレゼントは、これから頂くものですわよ」


 陽葵が、喉を鳴らす猫のように俺の胸元に顔をすり寄せ、上目遣いで期待に満ちた瞳を向けてくる。

 俺は苦笑しながら、スラックスのポケットから小さな箱を取り出した。過酷な花火大会の日の激務や、毎日のバイト代をコツコツと貯めて買った、俺からの初めての誕生日プレゼント。


「……大したものじゃないけど。……ラストティーン、19歳のお誕生日、おめでとう」


 箱を開けた瞬間、陽葵の表情がパァッと輝いた。

 中に入っているのは、華奢なシルバーチェーンのネックレス。トップには、彼女の瞳と同じ色をした、吸い込まれるような青い小さな石がついている。

 さっきまで彼女がゲストから受け取っていた、何百万円もするようなブランド物の宝石や権利書に比べれば、あまりに安っぽくて、ささやかなものだ。


「……っ、まぁ……!」


 陽葵は両手で口元を覆い、言葉を失った。

 その目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出し、純白のドレスの胸元を濡らしていく。


「やっぱり、安っぽかったか……?」

「違いますわ!」


 陽葵は首を激しく横に振り、震える両手でその小さな箱を、まるで神殿から賜った聖遺物のように恭しく受け取った。


「湊くんが……あの暑い中、汗水垂らして、嫌な客にも頭を下げて……私のために稼いだ尊いお金で……!ああ、なんて美しく、重みのある輝き……!天ヶ瀬家の宝物庫にあるどんな国宝よりも、これが一番価値がありますわ!」


 彼女は感動のあまり嗚咽を漏らしながら、俺に「つけてください」と背中を向けた。

 俺が震える手で留め具を止めると、彼女はその青い石を両手で包み込み、熱を帯びた瞳で俺を振り返った。


「ありがとうございます、湊くん。……一生、肌身離さずつけますわ。お風呂に入る時、も寝る時も、執筆の時も、火葬される時も一緒です。いえ、燃え尽きた後はこの宝石を核に新たな星になりますわ」

「……やりすぎだ」


 呆れながらも、彼女の無邪気な喜びに俺の胸の奥がじんわりと温かくなる。

 春香も目を細め「よかったねぇ、陽葵ちゃん。夜凪くん、何日も悩んでたんだよ」と笑い、美月も「……愛が重いけど、綺麗。よく似合ってる」と祝福ムードだ。


 完璧な夜だった。全てが報われた気がした。

 ……そう、あの質問が出るまでは。


「……ふふっ。本当に、世界で一番幸せな誕生日ですわ。……そういえば、湊くん」

「ん?」


 陽葵がふと、何気ない疑問を口にしたように首を傾げた。


「貴方の誕生日は、いつなんですの?同じ19歳として、お祝いの準備を始めなくては」


 ピタリ、と。

 その場に流れていた温かい空気が、一瞬にして凍結した。


「……あー。うん」

 俺は頬を掻きながら、気まずそうに視線を泳がせた。


「……私の誕生日は、今日、8月31日。……もしや、あなたもこの情熱的な夏生まれ?それとも、私たちの出会いの季節であるロマンチックな冬?……教えてくださいな。来たるべきその日には、この国全土を巻き込んで、世界中を湊色に染め上げる盛大なパレードを企画しますから!」


 陽葵が純粋なワクワクを顔に張り付かせ、グイグイと迫ってくる。春香も美月も「そういえば知らない!」と興味津々だ。

 言いづらい。ものすごく、言いづらい。

 今ここで真実を告げれば、間違いなくパニックが起きる。だが、嘘をつくわけにもいかない。


 俺は観念して、一度深く息を吸い込み、静かに告げた。


「……昨日だ」


「……………………はい?」


 陽葵の動きが、完全に停止した。

 向かいで春香が飲んでいたハーブティーを盛大に吹き出し、美月が手にしていたタブレットを床に落とす。


「……えっと、昨日。……8月30日だ。昨日で、俺も19歳になった」


 沈黙。

 時計の秒針の音すら消え失せたような、永遠にも思える数秒間。

 陽葵の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。その顔色は、彼女の着ている純白のドレスよりも白く、まるで幽霊のように蒼白だった。


「…………きの、う……?」


 陽葵の声が、カラカラに乾いた音を立てて震える。


「……昨日、とおっしゃいました?8月、30日……?……つまり、私が自分の誕生日の準備で浮かれ、貴方に『明日は楽しみですわね!』と無邪気に笑いかけ、自分のドレスの試着に貴方を付き合わせ、自分のことばかり話していた……あの、昨日……?」


「……まあ、そうなるな。でも本当に気にしてないよ。男だし、祝ってもらうような歳でもないし、今日は陽葵の――」


「万死に値しますわーーーーッ!!!!」


 静寂を引き裂く、絶叫。

 突然、陽葵が白鳥が撃ち落とされるような勢いでその場に崩れ落ちた。

 彼女は床に突っ伏し、額を高級なペルシャ絨毯に擦り付けながら、両拳で床をバンバンと叩き始めた。


「あああ!なんという失態!なんという冒涜!私は!私はぁぁ!!己の浅ましい祝い事にかまけて、神がこの世に降臨された日をスルーしましたの!?昨日!?昨日が聖誕祭でしたの!?しかも10代最後の貴重な誕生日を!?信じられない!私のバカ!ゴミ!塵芥!無能な肉塊!」


「ちょ、落ち着け陽葵!本当に気にしてないから!俺は家族以外には言わない主義だったんだ」

「でもあなたの全てを管理すると誓ったこの私が、何故もっと早くリサーチしなかったのか!興信所を使えば、いえ、区役所のデータをハッキングすれば一発でしたのに!ああ、昨日の浮かれていた私を八つ裂きにしたい!タイムマシンはどこですの!?」


 完全にパニック状態に陥り、ドレスを振り乱して錯乱する陽葵。


 春香も頭を抱えている。

「ごめん夜凪くん!私としたことが!新聞部員として痛恨の取材不足だった!」

 美月も珍しく顔面蒼白だ。

「……不覚。……湊の個人情報、プロテクトがかかってて見落としてた。……私の怠慢」


 俺一人の誕生日のために、天ヶ瀬家のリビングにこの世の終わりのような絶望の空気が流れる。

 だが。

 しばらく床を転げ回って慟哭していた陽葵が、ふと、ピタリと動きを止めた。


「……待って」


 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、何か途方もない計算式を解くように、虚空を見つめている。


「……湊くんの降臨日が、8月30日。……私が、8月31日……?」


「……あ、ああ」


「…………一日、違い……?」


「ま、まぁ、そうだな」


 陽葵の瞳の奥で、カチリと何かのスイッチが入る音がした。

 先程までの底知れぬ絶望の色が嘘のように消え去り、代わりに、狂気じみた歓喜と、甘く恍惚とした色が渦を巻きながら混ざり合っていく。


「……なんてこと……。ああ、なんてことでしょう……。これは、奇跡……いえ、神の配剤ですわ……!」


 陽葵はゆらりとゾンビのように立ち上がると、俺に詰め寄り、両肩をガシッと掴んだ。


「分かりますか、湊くん!?1日違いですのよ!?1年は365日もあるというのに、まさか隣り合わせだなんて!天文学的確率!これはもう、前世からの強固な結合!双子以上の絶対的な運命!私たちの魂がレベルの底で癒着している揺るぎない証拠ですわ!!」


「そ、そうか……?まあ、すごい偶然だとは思うけど……」


「偶然ではありません!8月30日にあなたという『尊く美しい魂』がこの世に創り出され、その溢れ出る愛を受け止める『器』として、慌てて翌日に私が作られた……。そうに違いありませんわ!私たちは元々、一つの存在だったんですのよ!」


 陽葵は俺の手を強引に引き寄せ、自分の熱い頬に押し当てた。その体温は異常なほど高く、早鐘のように打つ鼓動が俺の手のひらに直接伝わってくる。


「……昨日は祝えませんでした。……死ぬほど後悔しています。でも、それはこれから一生かけて、私の全生命力を注いで埋め合わせさせていただきます。……いいえ、むしろこれからは、8月30日の午前0時から31日の午後11時59分にかけての48時間』を、天ヶ瀬家が定める公式祝日と制定しますわ!!」


「祝日!?48時間!?」


「決定です!来年、20歳を迎える大人の誕生日には、30日の前夜祭から始まり、31日の後夜祭が終わるまで、一歩もこの部屋から出しませんわ!ぶっ通しで愛し合いますわよ!覚悟してください、湊くん!」


 陽葵は泣き笑いのような、完全にネジが飛んだ表情で、俺の胸に力強く抱きついた。

 そのあまりの愛の重さと、呆れるほどの執着心に、俺はもう抗うことを諦め、苦笑しながら彼女の華奢な背中に腕を回した。


「……分かったよ。……改めて、おめでとう」

「……湊くんも、おめでとうございます…。…世界で一番、いえ、宇宙で一番愛していますわ」


 時計の針は深夜1時を回っている。

 俺たちの10代最後の誕生日は過ぎ去ってしまったけれど。この空白の一日がもたらした衝撃と奇跡は、二人の絆をより強固で逃げ場のないものへと昇華させたのだった。


 ――ちなみに翌年からは、彼女の宣言通り、8月30日の0時から31日の24時まで、文字通り一歩も部屋から出してもらえない愛の監禁バースデーが恒例行事となり、俺の体力が限界突破を強いられることになるのだが……それはまた別の話である。

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