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第61話:聖女様たちは、シンクロする

◇◆◇◆◇


 夏休みに入ってすぐの週末。

 俺が働くブックカフェ『小春日和』は、開店以来最大の危機を迎えていた。


 理由は単純。店のすぐ近くの河川敷で、大規模な花火大会が開催されるからだ。

 外気温は35度超え。涼を求める浴衣姿のカップルや家族連れが、冷房の効いた店内へ雪崩を打って押し寄せてきたのである。


「すみませーん!アイスコーヒー3つでケーキセット3つ追加で!1つはこの土日限定のスペシャルケーキセットで!スペシャルケーキセットは…里奈りな、どれにする?」

「んーっと。種類は…フルーツタルトかガトーショコラかバスクチーズケーキねー…。……んー、タルトにしよっかなぁ。いや、やっぱガトーショコラ。優依ゆい望結みゆはどーすんのー?」

「…えっと普通のケーキセットって何があったっけ?」

「ショートケーキかレアチーズケーキ」

「じゃああたしショートケーキ!望結は?」

「優依ちゃんショートケーキなら私レアチーズケーキがいい!半分こしよー♡」

「もー。あんたらは、ほんと…。じゃあそれでお願いしまーす」


 女子高生グループの終わらない注文会議。普段なら微笑ましい光景だが、今はその一秒が命取りだ。俺は伝票を握りしめ、笑顔の仮面を貼り付ける。


「すいませーん。こっちもいいですかー?」

「お母さん!スパゲティーも食べたーい!」

「店員さーん、こっちの注文まだー?もう10分待ってるんだけど!」

「トイレどこですか?」

「すいません、おしぼりもらってもいいですか?」

「お会計お願いしまーす。別々で!」


 怒号のような注文、質問の嵐。普段は静寂が売りの店内は、戦場のような喧騒に包まれていた。

 よりによって他のバイト二人が風邪で欠勤。ホールは俺一人、キッチンはオーナー一人。完全にキャパシティオーバーだ。


「はぁ、はぁ……!ただいまお伺いします!少々お待ちください!」


 俺は汗だくになりながらホールを走り回っていた。

 思考が焼き切れそうだ。3番テーブルのパスタ、5番のアイスコーヒーとケーキセット、2番の片付け。優先順位が崩壊していく。オーナーの悲鳴のような調理音が厨房から響く。


 ――ッ!


 焦った俺の足がもつれ、トレーの上でバランスを崩したグラスが滑り落ちた。

 スローモーションのように視界が傾く。


「(あ、やべ……)」


 ガシャン、という破壊音を覚悟して目を閉じた、その瞬間。


「――そこまでですわ」


 横から伸びてきた白くしなやかな手が、空中でグラスを華麗にキャッチした。

 氷の触れ合う涼やかな音だけが、喧騒の中に響く。

 

「ひ、陽葵……」


 そこには、いつもの窓際の指定席から立ち上がった天ヶ瀬 陽葵がいた。

 彼女は俺の額に浮いた玉のような汗を、自らの高級ハンカチで優しく、しかしどこか悔しげに拭うと、鬼のような形相で店内を見渡した。


「……許せませんわ。私の湊くんが、このような有象無象のために聖水を垂れ流して疲弊するなど……!もう見ていられません!彼の労働力は、全て私に還元されるべきですのに!」


 陽葵はバサリと上着を脱ぎ捨てた。その下には、なぜか自前のカフェエプロンを装着済みだった。


「湊くん。指示を。……キッチン?ホール?」

「え、いや、でも…。…お前はお客さんだし……」

「緊急事態宣言、発令。……春香、美月、配置について!」


 陽葵が指を鳴らすと、カウンター席とレジ横の席から、二人の少女が弾かれたように飛び出した。


「了解!ホールと配膳は任せて!ジャーナリストの脚力と記憶力、見せてあげる!」

 春香が髪を束ね、元気よくトレイを構える。


「……私はレジとオーダー管理。……この店のPOSシステム、UIが古すぎる。……ハッキングしといたから。……回転率、3倍に上げる」

 美月がタブレットを操作し、レジスターの前に立つ。


「さあ、湊くん。あなたは私の後ろで、優雅に微笑んでいればよろしくてよ!……作戦開始!」


 そこからは、ある種の伝説のような時間だった。

 『小春日和』は、ただのカフェから、精鋭部隊による統制された要塞へと変貌を遂げた。


 陽葵の指示は完璧かつ冷徹だった。

「2番テーブル、空きましたわ!次のお客様、3名様ご案内!春香さん、2番の水とシルバーセット!」

「ラジャー!」

「美月さん、会計の遅延が発生しています!客の小銭探しを待つな、電子決済へ誘導しなさい!」

「……もう終わった。次」


 陽葵は司令塔としてフロア全体を支配しつつ、自らも優雅な所作でドリンクを運ぶ。その姿は、ただのウェイトレスではない。まるで王宮の晩餐会を取り仕切る執事長のようだった。


 厄介な客への対応も、彼女にかかれば赤子の手を捻るようなものだ。

「おい、ねーちゃん。俺らビール飲みたいんだけど。メニューにないの?つまんねー店だな」

 酔っ払いの男たちが絡み始める。俺が行こうとしたが、陽葵が片手で制した。


「申し訳ございません、お客様。当店は『知性と静寂』を楽しむ場となっております。アルコールにより脳の処理速度が低下されている方には、あちらの出口がお似合いかと存じますが」


 絶対零度の微笑みと、有無を言わせぬ高貴なオーラ。

「ひぃっ、す、すごい美人……!なんかごめんなさい……!」

「ありがとうございます……!」

 客たちは陽葵の美貌と圧力に気圧され、文句を言うどころか、なぜか感謝して帰っていく。


 春香の機動力も凄まじかった。

 彼女の武器は、取材で鍛えた『観察眼』だ。

「はいお待たせ!アイスコーヒー3つとガトーショコラとショートケーキとレアチーズケーキ!……あ、オーナー!さっきの伝票、3番さんと4番さんが逆になってます!3番の青い浴衣の人がナポリタンだったはずです!」


 厨房の混乱を、ホールの春香が未然に防ぐ。

「え、なんで分かったんだい?」

「あのお客さん、入店した時からカレーの匂いに反応してなくて、他のお客さんのナポリタン見てたから!絶対ナポリタンの口になってます!」

 

「え、あの店員さんすごーい、しごできだしかわいー♡」

「…望結…?」


 美月に至っては、レジ打ちの速度が人間の限界を超えていた。

「……合計、2,450円。……ポイントカード、ある?」

「えっと……」

「……ないなら作る?500円で1ポイントつく。10ポイントたまればコーヒーか紅茶一杯無料になるけど。作成時間15秒。……作った方が得。ま、しらんけど」

「じゃ、じゃあ作ります!」

「OK。……作った。登録完了。次」

 無駄のない動きと、不思議な説得力で会計列を次々と捌いていく。


 そして俺は――。


「湊くん!そこで立っているだけで結構ですわ!」

「いや、働かせてくれよ!!俺が働いてる店だぞここは!」


 俺は陽葵の制止を振り切り、カウンターの中へ入った。


 そして、陽葵とすれ違いざま、彼女が手に取ろうとしたガムシロップを先に掴んで手渡した。


「……これだろ?」

「あ……」

「あと、2番さんのスプーン、一本落ちたから交換。俺がやっとく」

「……」


 言葉はいらない。


 毎日、あの部屋で過ごしてきた時間がある。彼女が次にどう動きたいか、何を求めているか、俺には手に取るように分かる。

 陽葵もまた、俺が作ったドリンクを、俺が置くより早くトレイに乗せて運んでいく。


 完璧なシンクロ。

 それは、高校時代から歪で、共依存関係が生んだ、奇跡のようなチームワークだった。


◇◆◇◆◇


 数時間後。

 祭りのフィナーレを告げるスターマインの連打音が響き渡り、ようやく客足が途絶えた。

 『小春日和』は、かつてないほどの売上を記録して閉店時間を迎えた。


「……た、助かったよ。君たちがいなかったら、店がパンクしていた」

 オーナーがエプロンを外しながら、涙目で感謝している。


「お気になさらないでください。すべては、湊くんの労働環境を守るためですわ」

 陽葵はエプロンを外し、乱れた髪を直しながら涼しい顔で言った。その額には、うっすらと美しい汗が滲んでいる。


「あー、疲れた!でも面白かったね!取材よりハードかも!」

「……結構、効率的なオペレーションだった。……この店のマニュアル、在庫管理システムごと書き換えちゃった。明日から楽になるはず。しらんけど」


 三人は達成感に満ちた顔をしている。

 俺は、ぐったりと椅子に座り込んだ。足が棒のようだ。でも、不思議と気分は悪くない。


「……ありがとう。助かったよ、本当に」


 俺が言うと、陽葵がツカツカと歩み寄り、俺の頬を両手で挟んだ。

 その距離が、ふっと近くなる。


 ドーン、と。

 窓の外で、今日一番大きな花火が上がった。

 美月は咄嗟に店内の照明スイッチを切り、フロアを薄暗くした。窓の外に広がる大輪の花火が、陽葵の顔を七色に照らし出す。


「……綺麗ですわね」

「ああ……」


 しばしの静寂。四人で並んで花火を見上げる。

 こんな青春みたいな時間が、俺たちに訪れるなんて。


 だが、花火が終わると同時に、陽葵の瞳のスイッチが切り替わった。


「さて、湊くん」

「……え?」


「お礼は言葉ではなく、行動で示していただきますわ」


 暗闇の中で、陽葵の目が肉食獣のように妖しく光る。


「あなたが今日かいた汗の量……。そして、私の知らない誰かに振りまいた笑顔の回数……。その分、たっぷりと水分補給(意味深)と、愛情の再充填をさせていただかないと、割に合いませんもの……♡」

「ひ…陽葵ちゃん…!」


 最後の花火の音が、遠くでドン、と響いた。

 俺の初めての多忙な日は、最強の助っ人たちによって守られ、そして俺の貞操の危機と共に幕を閉じたのだった。

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