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第57話:辻岡 春香は、変わりたい

第二章です。

第一章のエピローグを間違って削除してしまった戒めに、執筆を開始しました。謎すぎて私は自分が怖いのです。

◇◆◇◆◇


 桜の花びらが舞う、4月のキャンパス。私立聖鳳大学のベンチに座り、私はファインダー越しにその光景を眺めていた。


 レンズの向こうには、二人の男女がいる。一人は、少し困ったような、でもどこか安心しきった表情でサンドイッチを頬張る夜凪 湊。もう一人は、その口元を甲斐甲斐しくハンカチで拭いながら、うっとりと彼を見つめる天ヶ瀬 陽葵。


「……あーあ。入り込む隙間、1ミリもないや」


 私はカメラを下ろし、小さく溜息をついた。

 高校時代、あれだけ「負けない!」「夜凪の隣が似合うようになりたい!」と意気込んでいた私だけど、冬が明け、大学生になったこの春、私はある一つの結論に達していた。


 ――私の「好き」と、天ヶ瀬さんの「愛」は、種類が違う。


 天ヶ瀬さんの愛は、重くて、歪んでいて、少し怖い。でも、夜凪くんの孤独な魂を一番深いところで支えられるのは、あの「檻」のような愛だけなんだ。私の明るさじゃ、夜凪くんの傷を照らしすぎてしまう。


「……よし。終わり!」


 私はパン!と自分の頬を両手で叩いた。こういうのはタイミングだ。未練がないと言えば嘘になる。でも、泣いている暇はない。だって、私には新しい役割が見つかったから。


◇◆◇◆◇


「――ねえ、そこの君。一年生?ちょっと話聞かない?」


 キャンパスの裏手、サークル棟の影で声がした。

 私は反射的にカメラを構え直す。そこには、数人の派手な男子学生が、大人しそうな女子学生を取り囲んでいる姿があった。


「うちのサークルはさ、モデルとか芸能事務所ともコネがあるんだよ。君、可愛いから特別に紹介してあげる」

「え、あ、いえ…。…私、そういうのは……」

「いいじゃんいいじゃん!連絡先だけでもさ!」


 強引な勧誘。腕を掴もうとする手。かつての私なら、怖くて動けなかったかもしれない。でも、今は違う。


「……録音、開始」


 私はポケットの中のボイスレコーダーを起動し、カメラの動画モードをオンにした。深呼吸を一つ。私は、震える足を叱咤して、その輪の中へと飛び込んだ。


「――そこまでですよ、先輩方!」


 私の大声に、男子学生たちがギョッとして振り返る。

「あ?なんだお前」

「新聞奨学生の辻岡です!今の会話、バッチリ録画させていただきました!」


 私はスマホの画面を突きつける。そこには、彼らが女子学生を脅している様子が鮮明に映っていた。


「確か、昨年度も強引な勧誘と飲み会でのトラブルで、学生課から厳重注意を受けているサークルですよね?今回の件、証拠映像とセットで学生課……いえ、私の実家のメディア系列に持ち込んでもいいんですよ?」


「な、なんだと……!?」

「てめぇ、ふざけんな!カメラよこせ!」


 逆上した男が、私に掴みかかろうとする。怖い。心臓がバクバクする。でも、逃げない。私はもう、守られるだけのヒロインじゃない。


「……暴力、振るいますか?それなら警察も呼びますけど!」


 私が一歩も引かずに睨み返した、その時だった。


「――春香!!」


 聞き慣れた声と共に、誰かが私の前に割って入った。夜凪くんだ。彼は私の前に立ち、男の手首をガシッと掴んでいた。


「……女の子に何やってるんですか。離してください」

「っ、痛ぇ……!なんだお前!」


 さらに、その背後から氷のような冷気を纏った陽葵が現れる。

「……春香さん、湊くん。下がっていてください。……この汚らわしい害虫どもは、私が天ヶ瀬家の全権力をもって、社会的に、物理的に、灰になるまで――」


「ひ、ヒィィッ!?」


 陽葵の殺気に気圧され、男たちは捨て台詞を吐いて逃げ去っていった。助けられた女子学生が何度もお礼を言って去っていく。

 後に残されたのは、私と夜凪くん、そして陽葵。


「大丈夫か?無茶しすぎだろ」

 夜凪くんが心配そうに私の肩を掴む。その温かさに、胸がキュッとなる。でも、私はもう泣かない。


「……ううん。大丈夫だよ、夜凪くん。計算通りだもん」

「計算?」


 私はニッと笑って、カメラを持ち上げた。

「私ね、決めたの。……大学では、新聞部に入ってジャーナリストを目指すことにしたんだ」


「ジャーナリスト……?」


「うん。……私、夜凪くんのことが好きだった」


 突然の告白に、夜凪くんが目を見開く。陽葵も、驚いたように私を見つめている。


「でも、それは『恋人になりたい』って好きじゃなくて……。『見ていたい』って好きだったんだって気づいたの。……だから、私は私の道を行くよ」


 私はカメラを夜凪くんに向け、シャッターを切った。


「夜凪くんは、陽葵ちゃんに守られてて。……その代わり、夜凪くんたちを脅かす外の敵は、私がこのカメラと情報網で、全部暴いてあげる。……それが、新しい私の『好き』の形だから」


 それは、私なりの失恋宣言であり、新しい関係への宣戦布告だった。


「……春香」

 夜凪くんが、優しく微笑む。

「……そっか。ありがとう。……お前は、強いな」


 夜凪くんの言葉に、私は少しだけ泣きそうになったけれど、笑顔で堪えた。すると、夜凪くんが不思議そうに首を傾げた。


「……そういえば、春香。いつしか俺のことを急に「くん」付けで呼ぶようになったよな」


 私は、カメラのレンズを磨くふりをして、視線を逸らした。


「……うん。変えたの」

「なんで?」

「……『夜凪』って呼び捨てにするとさ……まだ、隣に立てる気がしちゃうから。陽葵ちゃんには敵わないなって、この気持ちって叶わないんだなって気が付いた時に、変えたの。少し引きずってたけど、今日ちゃんと吹っ切った!」


 私は小さく呟いた。それは自分自身への戒め。呼び捨てにする距離感は、少し前の自分の特権だった。 

 でも、今はもう違う。


「『夜凪くん』って呼ぶことで、私は一歩引くの。……ファインダー越しの『被写体』として、貴方に敬意を払うため。……それに、陽葵ちゃんの『彼氏さん』を呼び捨てにするのは、ジャーナリストとして失格でしょ?」


 私が茶化すように言うと、陽葵が目を見開き、それからふわりと柔らかく笑った。


「……そうですわね。その呼び方、認めて差し上げますわ。……辻岡さん、あなたのその覚悟……。少しだけ、尊敬します」


 私の恋は終わった。呼び方を変えることで引いた境界線。それは寂しいけれど、私が私らしくあるための大切な一歩。


「……さて!次のスクープ探しに行こっと!じゃあね、夜凪くん、陽葵ちゃん!」


 私は背を向けて駆け出した。その様子を、少し離れた木陰から美月がスマホ片手に眺めていた。


「……春香、一抜け。……呼び方まで変えて、潔いね。……さて、私はどうしようかな。しらんけど」


 春風が吹く。私の心は、驚くほど晴れやかだった。

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