第56話:聖女様は、夜凪 湊を檻に閉じ込めたい
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嵐が過ぎ去ったあとの空は、驚くほど高く、澄み渡っていた。街中が色とりどりのイルミネーションに彩られ、誰もが浮き足立つ12月25日。俺は、いつものように校舎の隅にある図書準備室の扉に手をかけた。
昨日の今日だ。まだ少し足取りは重いし、指先には陽葵から贈られた白銀のリングが、気恥ずかしいほどの重みを持って存在感を主張している。
「し……失礼します……」
今までにないくらいに俺はよそよそしく扉を開いた。
「遅いですわよ、湊くん!主役の登場がこれほど遅れるなんて、校庭100周の刑に処しますわよ!」
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、いつものように……いや、いつも以上に「絶好調」な陽葵の姿だった。
彼女はサンタカラーの可愛らしいエプロンを纏い、その右手には除菌スプレー(業務用・特大)が掴まれている。それを俺に向けて噴射してきた。
「ちょっ、待て、陽葵!入室早々に霧の中に沈めるのはやめろ!」
「何をおっしゃいますの。昨日あんな不潔な男の空気に触れ、その上みぞれに濡れたままでしたのよ?今のあなたは、私という聖域にとって歩く細菌兵器も同然ですわ。さあ、大人しく檻の主に従いなさい!」
プシュプシュと容赦なく浴びせられるアルコールにむせていると、部屋の奥から聞き慣れた呆れ声が響いた。
「……陽葵、やりすぎ。……湊、死んじゃう。しらんけど」
「夜凪くん、おつかれさま!陽葵ちゃん、今日はパーティーなんだからそのくらいにしてあげてよ!」
そこには、テーブルの上に所狭しとお菓子やチキンを並べている美月と春香がいた。美月は無表情ながらも、なぜか頭にトナカイのカチューシャを装着しており、そのシュールな姿で黙々とショートケーキを等間隔に配置している。春香はサンタ帽を被り、どこから持ってきたのか家庭科室の紙コップにシャンメリーを注いで回っていた。
「……お前ら、先生にバレたら怒られるぞ」
「大丈夫だよ!今日は先生たちも職員室でピザパーティーしてるみたいだし、陽葵ちゃんが『図書室の蔵書点検』って名目で許可(という名の圧力)を取ってくれたから!」
春香が笑いながら俺の背中を叩く。その屈託のない笑顔を見て、俺は改めて、この日常が戻ってきたことに深い安堵を覚えた。
「さあ、湊くん。立ち話はやめてこちらへ。……あら?その左手の薬指、よく見せてください」
陽葵が俺の手を取り、指輪を凝視する。そして、満足げに頬を赤らめて呟いた。
「……ふふ、やはりよく似合いますわ。これであなたは、名実ともに私の管理下にある……。ああ、素晴らしいクリスマスの光景ですわ。……ちなみに湊くん」
「なんだ?」
俺が首を傾げ陽葵を見つめると、照れくさそうに陽葵は言った。
「それ、ピンキーリングよ。小指に付けるものなの」
「「「え」」」
俺は春香と美月を目を合わせ笑った。
「え、てか湊くん……細……っ…!!指…!!細っ!!なんでピンキーリングが薬指に入るのよ!」
陽葵が狂った様に、俺の指を撫でまわす。
「いや一回納得してたじゃねぇか。俺の指なんて散々みてきただろ」
「…この指…この指で私を……」
「落ち着け」
春香が笑いながらシャンメリーのコップを掲げた。
「じゃあ、改めて!陽葵ちゃんの帰還をお祝いして……メリークリスマス!乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
紙コップがぶつかり合う。昨日の涙が嘘のように、準備室は笑い声と食べ物の匂いで満たされた。
陽葵は俺の隣にぴったりと密着し、「湊くん、このチキンは私が厳選して一本ずつ丁寧に除菌――いえ、検品したものですわ。さあ、あーんしてください」と、フォークを突きつけてくる。
「自分で食えるから!」
「ダメですわ!管理者の許可なく咀嚼することは許しませんわよ!」
そんなやり取りを眺めながら、美月が不意にスマホを取り出した。
「……湊、陽葵。こっち向いて。……証拠、撮る」
「証拠ってなんだよ」
美月のカメラが、幸せそうに頬を膨らませる陽葵と、彼女に翻弄される俺、そして背後でピースサインを作る春香を切り取る。フラッシュの光。
一年前に始まった、歪で、狂っていて、けれど誰よりも切実だった俺たちの関係。父親に壊され、家族を守るために自分を殺し、感情を失いかけていた俺。そんな俺を「檻」という名の、誰にも壊せない壁の中に閉じ込めてくれた聖女。
俺はふと、窓の外を眺めた。まだ冷たい風が吹いている。外の世界は相変わらず厳しく、これからも理不尽なことが起きるかもしれない。けれど、俺の手を離さないこの少女がいる限り、俺はもう自分を見失うことはないだろう。
「湊くん?どこを見ていらっしゃいますの?視線の管理も私の仕事ですわよ」
陽葵が俺の服の袖をグイと引っ張る。その瞳には、かつてのような暗い執着だけではない、柔らかな信頼の光が宿っていた。
「……いや、なんでもない。これからもよろしくな」
「当然ですわ。……死が二人を分かつまで、いえ、死してなお、あなたの魂の衛生管理は私が担当いたしますから。覚悟してください」
「……それは流石に、重すぎるだろ」
俺が苦笑いすると、春香と美月がまた笑い声を上げた。
「ちょっとトイレー!」
「……あ、私も」
美月と春香が席を立ち出て行った。
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「……春香。あんたはこれで良かったの?……好きだったんじゃないの?」
「…………うーん。最初は……そうだったの…かも。けど、どうだろ。救いたい、って方が強かったかな」
「…わかる。湊は捨て猫みたいだよね」
「あはは!そうそう!」
美月は見抜いていた。この春香の言葉に真実は僅かしか含まれていないことに。
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一方、残された俺と陽葵。陽葵が、俺の膝に倒れこむ。以前より、照れくさそうに、頬を赤らめて言う。
「……ねぇ湊くん。私はあなたが大切。だからこれからも皆の前では蔑み続けて、あなたを取られない様にする」
「……分かったよ」
「なぁ陽葵。お前にあと一つ言ってなかったことがある」
「なに?」
陽葵の肩が、びくりと跳ねる。俺の膝に顔を埋めたまま、彼女は僅かに顔を上げた。その瞳には、何か重大な宣告を待つような、不安と期待が混ざり合った「ざわざわ」とした揺らぎが見えた。
俺は真っ直ぐに彼女を見つめ、昨日の嵐を越えたからこそ言える、偽りのない本心を告げた。
「俺もお前が好きだ」
その瞬間、時が止まった。
陽葵の大きな瞳が、これ以上ないほど見開かれる。
「……っ!?」
彼女の顔が、耳の付け根まで一気に、林檎よりも鮮やかな赤に染まった。それは、今まで彼女が「管理」や「執着」で隠してきた、ただの恋する18歳の少女としての、あまりに無防備な赤色だった。
「な、ななな、何を、何を……不潔なっ!不意打ちにそのようなことを、管理者の許可なく……!」
陽葵は顔を両手で隠しながら、まるで熱湯を浴びせられたかのようにジタバタと身悶えした。あんなに堂々としていた「聖女」の威厳はどこへやら、今の彼女はただのパニック状態だ。
彼女は真っ赤な顔のまま、涙目で俺を睨みつけた。けれど、その瞳は喜びを隠しきれず、キラキラと眩しく輝いている。
「……ばかっ!湊くんの、ばか!大バカですわ!!」
そう叫んで、彼女は再び俺の胸に顔を埋めた。心臓の音が、厚い制服越しでも伝わってくるほど激しく打っている。
「……好きと言えば、私が許すとでも思いましたの?……ええ、許しますわよ!許すに決まっていますわ!ああもう、一生放してあげませんから!好きすぎて死にますわ!!」
陽葵は俺のシャツをぎゅっと掴み、顔を隠したまま、くぐもった声で叫び続けた。その「ばか」という言葉の響きは、これまでのどんな賛辞よりも甘く、俺の心に深く深く染み渡っていった。
廊下から聞こえてくる、美月と春香の戻ってくる足音。 俺は陽葵の頭を、そっと撫でた。
世界で一番狭くて、世界で一番温かい檻の中で。俺たちの新しい物語は、まだ始まったばかりだ。
美月と春香が扉を開く直前に俺は閃いた。
「あ、新作小説のタイトル……」
『俺を蔑む聖女様が、放課後に俺の膝枕で「好きすぎて死ぬ」と悶えている件。』
「……よし、これにしよう」
「な、なにか言いました!?」
俺たちの青春は、これからもきっと、こんな風に続いていく。
(第一章 完)




