第54話:真実を握る者が一番強い
大理石の階段を、俺は一段飛ばしで駆け上がる。視線の先には、蒼白な顔で立ち尽くす陽葵しか見えていなかった。
「待て!行かせるか……っ!」
背後で、理性を失った皇の叫びが響く。彼は逃げ場のない絶望から逃れるように、階段を駆け上がろうとする俺の背中に手を伸ばした。
「……させない。湊の邪魔は、させない」
その行く手を遮ったのは、美月だった。彼女は華奢な体で皇の進路に割り込み、その腕を力強く掴む。表情はいつものように無機質だが、その瞳には湊を守るという鉄の意志が宿っていた。
「どけ、この女……っ!」
皇は、もはやなりふり構わぬ形相で美月を突き飛ばした。力の差は歴然だった。美月の体は宙を舞い、硬い大理石の床へと叩きつけられる。鈍い音がホールに響き、美月の手からデバイスとジャミング装置が滑り落ちた。
「美月!!」
悲鳴を上げたのは春香だった。彼女は倒れた美月の元へ駆け寄り、その肩を抱く。美月は痛みに顔を歪めながらも、視線は皇を離さない。その光景を目にした瞬間、春香の心の中で、何かが音を立てて弾けた。
「……よくも、よくも美月を……ッ!」
春香は美月の手からこぼれ落ちたデバイスをひったくるように掴んだ。彼女の瞳には、かつてないほどの激しい怒りが燃え盛っている。
「皇 志遠……!あんた、今この瞬間、一番やっちゃいけないことをしたよ。……夜凪くんの心を壊して、美月を傷つけて……あんたみたいな奴、もう手加減なんてしてあげない!」
「何をするつもりだ……やめろ!それを返せ!」
皇が春香に掴みかかろうとした、その時。春香の指先が、デバイスの送信予約解除――すなわち「即時公開」のボタンを迷いなく叩いた。
「送信、完了!……おじいちゃんのネットワーク、舐めないでよね。これ、うちの系列のSNSアカウント全部で一斉拡散されるから。あんたの家の恥部、一秒ごとに世界中に広まっていくよ!」
「な……っ!?お、おい……待て、止めろ!!」
皇が絶叫しながら春香に詰め寄ろうとした。しかし、その動きは背後から響いた冷徹な声によって止められた。
「……そこまでです、皇様」
ホールの巨大な扉が左右に開き、数名の中年男性と、先ほどの門番たちが現れた。彼らの手にはタブレットが握られ、その画面には今まさに春香が放った「皇グループの不祥事」がニュースサイトの速報として流れていた。
「天ヶ瀬家は、清廉なる聖女を戴く家柄。……これほどまでに汚れた疑惑を持つ方との縁など、到底認められません。……そして、お客様に対するその暴力。もはや『ご子息』としての礼遇は不要と判断いたしました」
門番たちの目が、それまでの恭しいものから、外敵を排除する猛獣のそれへと変わる。
「立ち去れ。二度と、天ヶ瀬の敷地を跨ぐことは許さん」
「馬鹿な……!私だぞ、皇 志遠だぞ!?叔父上、理事長……!」
皇が縋るように叫ぶが、誰も彼に手を差し伸べる者はいなかった。情報の拡散は止まらない。不動産王の御曹司という金メッキが剥がれ落ちた男は、門番たちによって引きずられるようにして、冷たいみぞれが降る外の世界へと放り出された。
静寂が戻ったホールで、春香は深くため息をつき、デバイスを美月に返した。
「美月、大丈夫?無理させてごめんね……」
「……平気。…こちらこそありがとう……。あのボタン、押すの……勇気がいったでしょ」
「ううん、あんな奴の自業自得だよ。……それより」
二人は同時に、階段を見上げた。そこには、ようやく手が届く距離まで辿り着いた、湊と陽葵の姿があった。
「……あとは、湊次第」
「そうだね。……行け、夜凪くん!」
二人の親友の願いを背負い、俺は最後の一段を踏み越えた。目の前には、震える手で唇を噛み締め、泣き出しそうな顔で俺を見つめる陽葵がいた。




