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第51話:夜凪 湊の、壊れた世界の共有

 冬の夕暮れ、放課後の図書準備室。西日に焼かれた部屋の中、美月と春香に退路を塞がれた俺は、観念したように重い口を開いた。


「……話すよ。全部」


 俺は近くのパイプ椅子を引き寄せ、深く腰掛けた。二人は何も言わず、俺の正面に立った。美月は腕を組み、春香は握り拳を膝の上で震わせている。


「まず、天ヶ瀬との関係からだ。……あいつとあんな関係になったのは、約一年前の冬。俺がこの学校に転校して間もなくのことだ」


 俺は、今まで誰にも、姉貴にさえ詳細を語らなかったあの日の出来事を話し始めた。トラックに引かれそうになっていた猫を助けようとして、撥ねられたこと。右足が砕けるような音。意識が遠のくなか小さい命を守り切ったこと、そしてその光景をただ一人見つめていた聖女の瞳。


「陽葵は、見ていたんだ。俺が自分の身を省みずに、たかが一匹の猫のために壊れるのを。あいつはそんな俺の自己犠牲を『美しい』と言った。……俺は目の前で消えそうな命を守れるなら、自分の命を捧げることができる。多分それは上手く守られてこなかったから……だな…」


 春香が息を呑む音が聞こえた。美月の瞳がわずかに揺れる。俺は淡々と続けた。俺の父親のこと。理不尽な暴力と怒鳴り声で家庭を支配し、俺の心を、そして家族の平穏を完膚なきまでに叩き潰した支配者の存在。


「俺は、拒絶するのが怖いんだ。誰かに支配されることも、誰かを傷つけることも。……だから陽葵の『檻』は、俺にとってはある意味、都合のいい隠れ蓑だったのかもしれない。管理されていれば、自分では何も選ばなくて済むから」


 沈黙が部屋を支配する。美月は唇を噛み締め、春香は大きな瞳に涙を溜めていた。

「……そんな、こと。……夜凪くん、ずっと一人で……」

 春香の声が震えている。それを初めて突きつけられた彼女たちは、絶句していた。


 だが、本題はここからだ。俺は一度深く息を吸い込み、冷え切った肺を震わせた。


「……それは一昨日までの話だ。俺は昨日の帰り道、皇 志遠に捕まった」


 その名前を出した瞬間、美月の周囲の空気が一気に鋭くなった。俺は、皇から突きつけられた取引の内容を、一言一句漏らさず伝えた。姉貴の内定を取り消すこと。俺たちが住んでいるマンションを、皇グループ不動産の権力で強引に立ち退かせること。俺一人が陽葵から離れれば、家族には手を出さないという脅迫。


「……アイツは、本気だった。俺の親父と同じ、ある意味力を持つ側の傲慢だ。……俺一人の意地で、姉貴の人生を棒に振るわけにはいかなかった。唯一子供ながらに俺を守ってくれてたから。だから陽葵を傷つける言葉を言った。俺一人の犠牲でどうにかするにはこれしかなかった」


 一通り話し終えると、部屋には暖房の微かな作動音だけが響いていた。夕日は完全に落ち、部屋は深い群青色に沈んでいる。


「……バカ」

 美月の、絞り出すような声がした。

「……湊は、本当に……世界一のバカ。……何が『これしかない』よ。……何が『俺一人の犠牲』よ」


 彼女は一歩踏み出し、俺の胸ぐらを掴んだ。その瞳には、かつてないほどの激しい「怒り」と、それ以上に深い「共感」の涙が溢れていた。


「……そんなの、優しさって言わない。あんただけの犠牲じゃない。陽葵も犠牲になってるじゃない!………全部一人で背負って、綺麗に消えようとして……そんなの、ただの自己満足だよ!」


「美月の言う通りだよ、夜凪くん!」

 春香も俺の腕を掴み、泣きながら叫んだ。

「お姉さんのことも、家のことも……そんなの、皆で一緒に考えればよかったじゃん!なんで、天ヶ瀬さんをあんなに一人で泣かせたの!?夜凪くんなら、天ヶ瀬さんの気持ち、誰よりも分かってるはずでしょ!」


「……分かってるよ。分かってたさ。……でも、俺には力がなかった。あいつの親の力には勝てないって、そう思ったんだ」


「……なら、私たちが力を貸す」

 美月が俺の胸ぐらを離し、涙を乱暴に拭った。

「……皇グループがなんだ。……相川家を、舐めないで。……春香の実家だって、ネットワークなら負けてない。……何より」


 美月は扉を指差した。その先には、今も暗い部屋で泣き続けているであろう少女がいる。


「……あいつを、あんなクズに渡しちゃダメ。……陽葵を救い出せるのは、あんただけ。……あんたが壊したんだから、あんたが繋ぎ直しに行きなさい」


 二人の瞳には、迷いはなかった。俺が過去に縛られ、皇の暴力に屈して手放した聖女様への想い。それを、二人が無理やり俺の手に戻そうとしていた。


「……行くよ、夜凪くん。今から天ヶ瀬さんの家、突っ込もう!」

 春香が力強く俺の手を引く。


 冬の嵐が窓の外で唸り声を上げている。けれど、俺の冷え切っていた心臓は、二人の熱によって、再び熱い拍動を刻み始めていた。

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