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第48話:聖女様には、婚約者がいる

◇◆◇◆◇


 12月。今年のカレンダーが最後の一枚になり、街が浮き足立ったクリスマスムードに包まれ始めた頃。聖鳳高等学校の校門前には、その場の空気を切り裂くような異様な光景が広がっていた。


 漆黒の輝きを放つ、一台の最高級外車。登校してくる生徒たちが足を止め、遠巻きにその車を眺めている。そんな喧騒をすり抜け、俺は、寒さに首をすくめて校門をくぐり歩き進めた。


「――待ちたまえ。君が、噂の『寄生虫』か」


 背後から投げかけられたのは、冷徹で、他人を土足で踏みつけるような傲慢な声だった。振り返ると、車の後部座席から降り立った一人の男が立っていた。仕立ての良い特注のスーツを纏い、髪を隙なく整えたその男は、俺を値踏みするように一瞥し、形の良い唇を不快そうに歪めた。


「夜凪 湊。天ヶ瀬家の温情に縋り、陽葵の慈悲を汚している不浄な存在。……なるほど、見るからに卑屈な面構えだ。なぜ陽葵がこれほどまでに君という『汚物』に執着するのか、理解に苦しむよ」


「……誰だ、あんた」

 俺の問いに、男は名乗る価値すらないと言いたげに鼻で笑った。


「特別に名前を教えてやろう。すめらぎ 志遠しおん。陽葵の正式な婚約者候補であり、将来、彼女とともに皇グループの看板を背負う立場にある者だ」


 俺は驚き、目を丸めた。婚約者候補。その単語が耳に入った瞬間、周囲の生徒たちから地鳴りのようなざわめきが上がった。


「聖女様に婚約者が……!?」

「皇って、あの不動産王の……」

「かっこいい…!聖女様とお似合い!」


「陽葵からは、涙ながらに相談を受けているよ。数ヶ月前……君が彼女の静止を振り切り、別の女たちと『亡命』した一件をね」

「…な……!」


 俺の心臓がどくりと跳ねた。それは恐らく「資料集め」の件を言ってるのだろう。土嚢要塞を突破して春香と美月と共に資料集めに向かった、あの強行突破。陽葵は、あの件をこの男に相談していたのか。


「陽葵は心が清らかすぎるゆえに、君のようなゴミに嫌われることを恐れて心を痛めていた。……だが安心したまえ。私がここに来たからには、陽葵がこれ以上、君のような下等な存在に怯える必要はなくなる」


 皇は俺の胸元を指先で軽く叩いた。

「身の程を知れ。君が陽葵と同じ空気を吸っていること自体、彼女の価値を下げているのだよ。近々、君にはこの学校から消えてもらう。それが陽葵のためであり、私の義務だ」


 その言葉、その眼差し。俺の脳裏に、かつて家で怒鳴り声を上げていた父親の姿が重なった。何をしたでもない自分に一方的に言葉をぶつけ、相手を屈服させることでしか自尊心を満たせない、救いようのない傲慢。嫌いだ。こういう存在が憎くて仕方がない。


 俺が押し黙っていると、皇は勝利を確信したように背を向けた。だが、その瞬間――。


「――よくもまあ、朝からそれほどまでに不快な言葉をつらつらと並べ立てられますわね。偽りも多いですし。感心いたしますわ、皇さん」


 校門の方から、氷点下よりも冷たい声が響いた。天ヶ瀬 陽葵だ。その後ろには、いつも通りの無機質な表情の美月と、顔を真っ赤にして怒りを露わにしている春香が控えている。


「やぁ陽葵。おはよう。関心してくれるんだな。ちょうど君を迎えに来たところだ。この不浄な男を排除する手続きも――」


「黙りなさい」


 陽葵の一喝に、皇が言葉を詰まらせた。未だかつてない怒りをあらわにする陽葵は俺の前に進み出ると、皇を遮るようにして俺を守る位置に立った。その両手は強く握られて、小刻みに震えている。


「皇さん。あなたにあの時お話ししたのは、あくまで私の『プライベートな悩み』ですわ。それを勝手に解釈し、湊くんに危害を加えるなど……。あなたは自分が今、どれほどの行為をしたか、理解していらっしゃいますの?」


「陽葵?どうしたんだ、何を言っている。私は君のために、このゴミを――」


「ゴミ? ……面白いことを言いますわね」

 陽葵の背中から、黒煙のような渦が立ち昇る。

「この方は、私が責任を持って管理している、私だけの――いえ、我がクラスの貴重な観察対象ですのよ。それを部外者のあなたが、汚らわしい指先で蔑むなど……。万死、いえ、億死に値しますわ!!」


 皇はなぜか怒っている陽葵に驚きを隠せず口を多き開いたまま、言葉が出なかった。


「……陽葵。言い過ぎ。……でも、同意」

 美月が横から一歩踏み出した。彼女は皇を、ただの障害物として冷たく見据える。


「……皇さん。あなたの発言、今の湊には……一番、毒。……そして、私たちの気分も、最悪。……二度と、湊に近づかないで」


「ちょっとあんた!夜凪くんのこと何も知らないくせに、変なこと言わないでよ!」

 春香も我慢の限界といった様子で叫んだ。

「夜凪くんは、あんたなんかよりずっと、人を大切にする優しい人なんだから!私たちの夜凪 湊をバカにするのは、この辻岡春香が許さないよ!」


 三人の少女がそれぞれの理由で、一人の男――俺のために立ち上がっていた。皇は予想だにしない反撃に、顔を引き攣らせる。特に、自分が正義だと信じて疑わなかった、陽葵からの拒絶。


「な、なんだ横の君たちは。君らに用はない。……陽葵。君は、毒されているのか?君の理想とする聖女の姿が、こんなゴミ一つのために――」


「皇さん、最終通告ですわ」

 陽葵が指先を皇の鼻先に突きつけた。

「今すぐその汚らわしい鉄の塊とともに、私の視界から消えなさい。さもなくば――天ヶ瀬の全権をもって、あなたの家を文字通り抹消して差し上げますわ」


 皇は後退りしながら慌てて後部座席に乗り込んだ。


 だが、曇りガラスの向こうで不敵な笑みを浮かべていたことを、俺だけは見逃さなかった。


 12月の寒空の下。自称・婚約者候補の来襲は、最悪な形で三人の逆鱗に触れた。        

 かつての俺なら、皇の言葉にただ俯いて嵐が過ぎるのを待っていただろう。けれど、目の前で俺のために怒る彼女たちの背中を見て、俺の心の中にあった「怒りたくない」という意地が、少しずつ形を変えていくのを感じていた。


 陽葵は俺の腕を強引に掴むと、耳元で吐息が混じるほど近く、けれど震える声で囁いた。

「……湊くん、ごめんなさい。嫌な気持ちにさせましたわね。彼はあとで姿かたち無くなるまで煮込んでおきます。……あんな男にあなたの価値を測らせるなんて、私の管理ミスですわ」

 陽葵の瞳に宿ったのは、皇への怒りで、より深くなった底なしの執着だった。


「…湊。なんで…。なんで、何も言い返さない」

 普段は滅多に感情を表に出さない美月が震える声で問いかける。


「そうだよ!!!あんなのぼこぼこにしてやればいいんだ!力こそパワー!」

 いわゆる脳筋タイプの春香は当然のごとく感情を前面に押し出す。


「…悪かった、皆。代わりに色々言わせてしまった」

 そう告げ、校舎へ向かって歩き出すと、雪が舞い始めた。

 

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