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第45話:もう一つの真実


                ****


 俺は少しウトウトしていた。目の前には美月がいて、俺の顔を覗き込むように聞いてきた。

「…眠たそうだね」


「ここ最近お前らのおかげで、運動ばかりしてたからな。疲れてるのかも」


 そういうとまた俺は重い瞼を再度閉じた。


 美月はそんな俺の無防備な寝顔を見て、ふと、記憶の蓋を開ける。



               ****


 ()()()()()()()()


 公園の周回コースを、一定のペースで走る二つの影。ランニングウェアに身を包んだ辻岡 春香と、その後ろを淡々と追う相川 美月だった。


『……はぁ、はぁ……。美月、意外と体力あるよね』

『……これでもバスケ部員だから……。ま、春香に誘われて入っただけだけど。無心で脚を動かすのは、嫌いじゃない。しらんけど』


 二人が足を止めたのは、公園の裏手の茂みが不自然に揺れているのを見つけたからだった。そこには、クラスで「不浄」と忌み嫌われている夜凪 湊が、一匹の猫を愛おしそうに撫で回す姿があった。


『え……夜凪くん?』

『え、うそ、ほんと?』


 春香が頷き息を呑む。彼女たちが知っている湊は、いつも俯いて、何を考えているか分からない影の薄い男子だった。しかし、今目の前にいる彼は、見たこともないほど柔らかな微笑みを浮かべ、小さな命と対話している。


 二人は無言でその光景を網膜に焼き付けていた。彼女たちの中で、夜凪 湊という「パズル」の欠けていたピースが、カチリと音を立てて嵌まった瞬間だった。


『『(……ああ。だから、この人は一人でいられるんだ)』』


 誰に褒められるわけでもなく、むしろ蔑まれる日々のなかで、たった一つの命を慈しむ。そのあまりにも孤高で、あまりにも純粋な精神の形。


 その時、二人の胸に灯った感情は、陽葵の「独占欲」とはまた別の色をしていた。春香にとっては、凍った心を溶かすような、眩しい太陽のような「光」。美月にとっては、それを暴きたいと思う「共鳴」。


 夕闇のなか、湊はまだ気づかない。自分が救った一匹の猫を通じて、三人の少女たちの運命が、すでに自分という中心点に向かって収束し始めていることに。



 新年最初の登校日、そんなおめでたい日の朝から言い合う…というよりは一方的に言う陽葵の姿を見た。

 だが、その光景を今までとは全く違う瞳で見つめている二人がいた。


『……ねぇ、美月。天ヶ瀬さん、やっぱり変だよ』

 春香が、隣の美月にだけ聞こえる小さな声で呟いた。


 スマホを触る美月は顔をあげると、そこには握りしめられた手が小刻みに震えている春香の姿があった。そして、何より――あの大晦日の夜に見た、湊の聖域のような優しさを、彼女たちは知ってしまった。


『……守りに、行かなくちゃ。あんな風に言われる理由、夜凪くんにはないのに』


 春香が腰を浮かせ、湊の元へ駆け寄ろうとする。あの日、茂みの奥で猫を撫でていた彼の本当の姿を認めてあげたい。もう、彼を一人にしたくない。


 しかし、その腕を美月の細い指先が制した。


『……待って。……今は、ダメ』

『どうして!?美月だってあの日、一緒に見たじゃない!』


『……見たからこそ、わかる。……今の天ヶ瀬さんは、不安定。普通じゃないでしょ。……私たちの知っている『聖女様』じゃない』


 美月の無機質な目は、陽葵の表情を冷徹に分析していた。陽葵の言葉は湊を拒絶しているようでいて、その実、必死に彼に執着し、彼を自分だけの世界に縛り付けようとする悲鳴に近い。この時、美月は既に暴いていた。


『……今行っても、あなたが新しい攻撃対象になるだけ。……それに、夜凪は望んでない。……彼は、あの蔑みのなかで、独りでいることを選んでいる。しらんけど』


『そんなの……悲しすぎるよ。異常だよ。皆もなんで…』

 春香は唇を噛み、再び椅子に腰を下ろした。

『皆はあの事実を知らない……。だから()じゃない。少なくとも今ではない。しらんけど』


 教室の中央で、陽葵は執拗に湊をなじり続けている。ただ、大晦日の夜、湊の秘密を目撃してしまった第三者の視線に、彼女はまだ気づいていない。



 その日の放課後に、図書準備室へ向かう陽葵と湊の後を一人でつけた。

 それは…

 ――相川 美月。


 扉の隙間から漏れ聞こえた湊の「本音」。彼の深い悲しみと、それを包み込もうとする陽葵の「狂気」。


 美月の心に、激しい衝動が突き抜ける。

『(……それは、間違ってる)』


 蔑むことでしか守れないなんて。隠すことでしか愛せないなんて。

『(……夜凪……本当にそれでいいのかな……)』


 冬の廊下で美月は外を見る。

『春香には…一旦黙っておこう……』



 冷たい廊下を歩きだし、息を深く吐き、天井を見上げる。さっきの湊の言葉が脳内で反芻する。



『………変えてあげなきゃ……』



 約一年前の冬。聖女の狂気が完成し、同時にそれを守ろうとする太陽と、それを観察する月が動き出した。聖鳳高校の現3年A組の日常が、本当の意味で歪み始めたのは、この新年最初の登校日からだったのかもしれない。

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