第37話:聖女様は、ライバルの存在が怖い
◇◆◇◆◇
別の日、放課後—。
西日に照らされたグラウンドには、体育祭の練習を終えた生徒たちがまばらに残っていた。二人三脚のチームメンバー(俺、陽葵、美月、春香、松田、高山+α)も、連日の猛特訓で疲労の色を隠せない。特に俺は少し前の怪我の名残から両足の感覚が麻痺し始めていた。
「……湊。顔色悪いけど大丈夫?お疲れ様。……これ、飲む?飲みかけだけど」
ベンチに座り込んでいた俺の前に、美月がスポーツ飲料のペットボトルを差し出してきた。
「あ、ああ…いいのか?助かる……」
受け取ろうとした俺の手が、不意に美月の指先に触れる。彼女の指は、練習後の熱を帯びていて、いつもより少しだけ柔らかかった。
「……ふふ。湊、顔、赤い。……日焼け?それとも、私と手が触れたから?」
美月が身を乗り出し、至近距離で俺の顔を覗き込む。微かに、彼女の髪から練習後の汗とは違う、凛としたシャンプーの香りが漂った。
「お……おい。お前最近どうし――」
その瞬間――。
「ひっ、非公式な粘膜接触の予兆を確認しましたわぁぁぁ!!」
バックネットの裏から、バードウォッチング用の双眼鏡を手にした陽葵がマッハの速度で突進してきた。その後ろには、大きな水筒を抱えた春香も続いている。
「相川さん!今すぐそのペットボトルをこちらへ渡しなさい!それはすでに『劇物』に指定されました!夜凪くん、喉を焼く前に私が用意した、天ヶ瀬家秘伝の『聖水(超純水)』を飲み干すのですわ!」
「ちょっと天ヶ瀬さん、それただの水でしょ!夜凪、こっちの特製レモンのはちみつ漬け食べて!クエン酸が疲れに効くんだから!」
二人は美月をどかしながら俺の口に飲み物と食べ物をねじ込もうとするが、美月はそれをヒラリとかわし、俺を引っ張り、二人を制するように俺の前に出た。
「……天ヶ瀬さん、遅い。……湊はもう、私のと共有した」
「「……ッッ!!?」」
「はぁ!?そ…それって……!つまり、か、か……間接キ……」
戦慄する陽葵に被せるように、美月は淡々と、しかし決定的な一言を放つ。
「そのつまりだね」
陽葵と春香の背後に、巨大な爆発のエフェクトが見えた気がした。
「な……!あ…あああ相川さん、あなたという人は……!私でさえ、まだ夜凪くんと同じ飲料を共有するなどどいう段階には至っていませんのに!あなた最近どういう感情でその行動をしているの?」
「そうだよ美月!夜凪、騙されないで!」
「別に。勝ちたいだけ…。体育祭」
美月が、濡れた瞳でじっと俺を見つめる。その瞳の奥には、恋愛などという甘ったるい感情は微塵もなく、明らかに二人を煽り倒すことを楽しんでいる、サディスティックな愉悦の光が宿っていた。
「…湊。髪、拭いて。汗でぺたぺたする」
「相川さん!!いい加減にしなさいよ!」
俺の前に両手を広げた陽葵が立つ。
「(……こいつ、わざと挑発して遊んでるな)」
俺はため息をつきながら、自分のバッグからタオルを取り出した。
「……わかったよ。風邪引かれたら、俺が一人で走る羽目になるからな」
「ちょ……夜凪くん…!?だめよ!そんなことをしては!!あなたのタオルが灰になるわ!」
陽葵の静止を振り払い、俺が美月の頭にタオルを被せ、ワシワシと拭き始めた瞬間、陽葵の理性が音を立てて崩壊した。
「……だあああ!夜凪くんの手が、第二の外来種の頭を……!浄化!今すぐ浄化が必要ですわ!相川さん、髪を全部燃やしなさい!!夜凪くん、指紋全部そぎ落としなさい!」
「夜凪!私も!私も髪濡れてるから!ほら!」
春香も頭を差し出してくるが、陽葵は「あ、こら!どさくさに紛れて!順番というものがありますわ!」と春香を牽制し始めた。
夕暮れのグラウンド。美月の頭を拭きながら、俺を巡って二人は火花を散らす。
その光景を、遠くで見ていた松田と高山が呟いた。
「……高山。俺たち、もう二人三脚の練習より、要人警護の訓練をした方がいい気がしないか?」
「同感だ、松田。……夜凪がいつ刺されてもおかしくねぇ。あいつ、日本で一番命を狙われてる高校生だろ」
体育祭まであとわずか。クラスの不協和音は消えたが、俺を取り巻く三極集中の気圧は、もはや台風並みの猛烈な勢力に達していた。




