第32話:聖女様の再降臨と争奪戦
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数日後の朝。校門をくぐる俺の視界に映るのはここ数日で大きく変化した、この光景だ。
「……あ、夜凪くんだ!」
「おはよう、夜凪ー」
「…お、おう」
なぜかクラスメイトたちが、いつもより親しげに俺に声をかけてくる。
松田の失墜とその後の美月の暗躍により、俺の「歩く事故物件」という不名誉な肩書きは、いつの間にか「人気女子グループに囲まれている謎の作家志望」という、それはそれで面倒な立ち位置に上書きされていた。
「(……美月のやつ…一体何を言いふらしたんだ…)」
だが、そんな緩い空気を切り裂くように、校舎の入り口から凄まじい冷気が噴出した。
「…えらいモテはるんどすなぁ」
「なんで急に京都弁なんだよ」
そこに立っていたのは謹慎が明け、一週間ぶりに制服に身を包んだ天ヶ瀬 陽葵だった。いつも通り、慈愛に満ちた外面上の微笑み。だが、その背後に漂う黒いオーラは、ついこの間、雨樋に吊り下がっていた時よりも凝縮されている。
「……おはようございます、夜凪くん」
「……陽葵。今日から復帰か」
「ええ。深夜にあなたのお家にお伺いした後、お母様から『精神修養』という名の監禁……。いえ、説教を十時間ほど受けましたが、あなたのお顔を思い出すことで乗り越えて参りましたわ」
彼女は俺の横に並ぶと、当然のように俺の左腕を自身の細い指で万力のようにガシッとホールドした。
「湊くん。今日からまた、私の管理が始まります。……もう、どこかの野良猫に勝手な餌付けはさせませんから」
「餌付けって……」
そこへ、朝から元気な春香が駆け寄ってきた。
「あ、夜凪!おはよー!……って、もう捕まってるし!」
彼女の手には、何やらクラス名簿と競技一覧が書かれたプリントが握られている。
「来ましたわね」
陽葵は俺の腕をホールドしつつ、グルルと肉食動物特有の威嚇を繰り出した。
「ちょうどよかった!夜凪、天ヶ瀬さん。二人にお願いがあるんだ!」
「……お断りします」
陽葵が即答する。
「まだ内容も聞いていないでしょ!」
「夜凪くんの貴重な時間を奪う提案など、この世に有益なものなど一つもありませんわ!」
「まあまあ!……来月の体育祭のみんなの種目決めなんだけど、夜凪を『二人三脚』のメンバーに推薦したいんだ!もちろん、パートナーは私で!」
その瞬間、陽葵の表情から一切の感情が消え、能面のような静けさが訪れた
「……二人三脚……パートナー……私……?」
陽葵の口から漏れる呟きが、徐々に低く、呪詛のような響きを帯びていく。
「……笑わせないで。……夜凪くんの脚。……それは、私と歩調を合わせるために、この世に二本存在しているのです。……それを、どこの誰とも知れない女の脚と結びつける?……それはもう、実質的な不貞。……いいえ、肉体の越境、領空侵犯ですわ!!」
「…な…!に、肉体だなんて…ッ!大げさだってば!夜凪はいつも一人でいるし、こういう行事に参加した方がクラスにも馴染めるし、小説のネタにもなると思ってさ!」
「まぁ。確かに前に誘ってくれた時にも、小説のために積極的に参加するのは、一ついい案かなとは思ってたが」
その言葉に春香はパァッと顔を輝かせ、真っ直ぐに俺を見る。
「じゃあ一緒にやろう?私も一生懸命練習するから!」
「(……やっぱ体育祭の喧騒は一度脳に描写しておく必要があるかもしれないな)」
俺が少し考え込む素振りを見せると、陽葵の独占欲がリミッターを振り切った。
「……わかりましたわ。……そこまで言うのなら、受けて立ちましょう。……ただし!夜凪くんのパートナーは、私です!」
「えっ?天ヶ瀬さんは理事長の関係者として、本部で応援とか来賓の対応をするんじゃ……」
「来賓など、シュレッダーにかけておきなさい!私は一人の『夜凪くん専属・制御装置』として、この競技に参加しますわ!前にも言いましたが、他の女の子たちに一生懸命な姿を晒させるわけがないでしょう!不潔なあなたの汗一滴たりとも見せませんわ!」
陽葵は、どこからともなく取り出した紅白のハチマキを、なぜか自分の手首と俺の手首に縛り付けた。
「……いいですか、夜凪くん。体育祭当日は、競技中だけではなく常にこのような状態になってもらいます。特注のグラスファイバーテープを用意し、このようにあなたと物理的に同化して一人の人間として、キメラとして勝利を目指します。辻岡さんには一歩たりとも付け入る隙を与えないませんわ!」
「……それ、失格になるよ。しらんけど」
いつの間にか後ろに立っていた美月がいつもの真顔でスマホをいじりながら突っ込みを入れた。
「……ッ!相川さん!この間はよくも……!私、最近あなたが怖いわ……!」
「……何で?あ、そういや体育祭の二人三脚、三人一組の変則ルールもあるみたいだよ。夜凪を真ん中にして、両サイドを二人が固めるってのも面白そうだね。しらんけど」
「「…………!!」」
春香と陽葵の視線が、俺を奪い合うように激突した。
「「それだけは嫌!」」
二人はハモった。
体育祭。それは、今の俺にとって爽やかな青春の1ページなどではなく、左右の脚がどっちに奪われるか、残酷な処刑場の呼び名だった。




