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第30話:聖女様は、ミミックになる

◇◆◇◆◇


 放課後。校門を出る俺の足取りは、いつになく重かった。ポケットの中のスマホは今も尚、陽葵からの怨念LINEを受信し続け、ブブブ……と微かな、しかし絶え間ない振動を繰り返している。その未読件数はついに五桁を突破し、通知画面はもはや呪いのビデオのような様相を呈していた。


「……夜凪ー、元気ないね?あ、お弁当、口に合わなかった?」

 隣を歩く春香が、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「いや、美味かったよ。ただ……ちょっと、今後の更生を想像したら、俺の中の全臓器がストライキを起こしそうでな」


「もう、天ヶ瀬さんなら大丈夫だって!あ、そうだ。駅前のカフェで、新作の長編の方の続きの話聞かせてよ。私、昨日の短編のラスト、すっごく好きだったんだ!」


 春香が俺の腕を軽く引き、いつもの明るい笑顔を向ける。その背後で、美月が「……私はパス。今日は除霊の準備が必要そうだし。しらんけど」と、意味深で不吉な言葉を残し、一人足早に別の道へと消えていった。


「(……除霊ってなんだよ。不吉なこと言うな)」


 だが、その不吉な予感は、学園の敷地を出てすぐの交差点で、目に見える形となって現れた。


「……あれ、なにかな?」

 春香が指差した先。歩道の真ん中に、不自然なほど大きなダンボール製の自販機が設置されていた。手書きで『聖女の恵み水(0円)』と書かれたその物体は、明らかに周囲の景色から浮いている。しかも、自販機の取り出し口からは、なぜかトングが一本、ニョキリと突き出していた。


「……夜凪。あれ、もしかして」

「……ああ。見なかったことにしよう」


 俺たちがその横を通り過ぎようとした、その時だった。

「待ちなさいッ!!」


 バリバリッ!という破壊音と共に、自販機が内側から弾け飛んだ。中から現れたのは、ベージュのトレンチコートに身を包み、大きなサングラスを付けた陽葵だった。彼女は片手にトング、もう片手にガスバーナーを構え、全身から黒いオーラを放っている。


「ミミックか、お前は。お母様はどうした」

「甘いですわ、夜凪くん!私はあの日以来、二階の窓の下に『脱出用の巨大クッション』を常設していますのよ!お母様がお茶を淹れに席を立った三十秒……その隙に、私は重力を味方につけてここへ参上しましたわ!」


 陽葵は、サングラスをクイッと上げると、俺の隣にいる春香を指差した。

「……そして、外来種!あなたのあーん(捏造)、すべてこの耳に、そして私の心のアルバムに永久保存されましたわ。……夜凪くんに、どこの馬の骨とも知れない手作り弁当を食べさせるなんて……!さぁ夜凪くん、胃袋を吐き出しなさい。その胃壁、今すぐこの洗浄液で真っ白に漂白して差し上げますわよ!」


「無茶言うな。あと『あーん』なんてしてない」

「嘘おっしゃい!相川さんの実況では、貴方は顔を赤らめて咀嚼していたと……!」

「それが嘘だろ。なんで信じてるんだよ」


「…ッ!相川さん、嘘をつきましたのね……!ま、まぁ!嘘か真実かなど、どうでもいいのです!あなたが彼をあーんしようと考え、その邪な波動を空気に放ったことが、万死に値する罪なんですのよ!」

「だから別にそーいうんじゃないってばー」


 春香は説明を続けようとするが、陽葵がカチカチとトングを鳴らしながら、一歩ずつ詰め寄ってくる。


 その時、俺のスマホが再び振動した。今度は美月からのメッセージだ。


【あいかわみつき】:『……夜凪、後ろ。その自販機の残骸の中にGPS連動型の捕獲網が仕込まれてる。踏まないように。しらんけど』


「(……美月、お前はどこで何を見てるんだよ!)」


 俺は咄嗟に春香の肩を掴み、後ろに下げた。

「陽葵、落ち着け。……相川の嘘に踊らされるな。俺は普通に一人で弁当を食っただけだ」

「……本当?本当に、その唇は無垢のままなんですのね……?」


 陽葵の勢いが一瞬削がれる。その隙を突いて、俺は言った。

「……ああ。だから、そんな怪しい装備を片付けて、さっさと家に戻れ。……これ以上騒ぐと、また自宅謹慎が伸びるぞ」


 陽葵は「うっ……」と言葉を詰まらせ、手を震わせながら俺を凝視した。独占欲と、冷静な自分と、そして俺に反省しろと言われたもどかしさが、彼女の中で激しく葛藤している。


「…………わかりましたわ。……今日は、引き下がって差し上げます。……ですが、夜凪くん」

 陽葵はサングラスを外し、その潤んだ、けれど確かな狂気を宿した瞳で俺を射抜いた。


「……今夜、あなたの家の換気扇の隙間から、私の愛を込めた『除菌アロマガス』を流し込んでおきますわ。……それを吸って、明日まで私のことだけを考えながら、清潔な夢を見なさい。……おやすみなさい」


 陽葵はそう言い残すと、驚異的な脚力で住宅街の角へと残像を残して消えていった。


「……ねえ、夜凪。天ヶ瀬さん、最後にさらっと怖いこと言わなかった?」

「……ああ。帰ったら、換気扇をコンクリートで埋める」


 俺は深くため息をつき、空を見上げた。聖女の不在。それは平穏などではなく、より広範囲に拡散された狂愛の始まりに過ぎなかった。

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