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第27話:聖女様は、防水の神域を創り出す

「ねえ、夜凪。次はイルカショーだって!あそこ、すごく迫力あるんだよ」


 春香が俺の右腕を離さぬまま、弾んだ声で掲示板を指差した。その隣では、陽葵が俺の左腕をがっしりとホールドし、トングを捨てろという俺の命令を「これがないと呼吸が止まります」という生命維持理論で拒絶し続けている。


「……イルカ。……いいわね。知能の高い生物に、その無駄に高い生命力を見せつけてやりなさい、外来種さん」

「いい加減、外来種って呼ぶのやめてよ天ヶ瀬さん!」

「あら、あなた以前に私が外来種って言ったら『かっこいい!』って仰ってたじゃない」

「後から美月に意味を聞いたんだよ!」

「知らなかったのね…」


 俺の両サイドで火花を散らす二人を連れ、俺たちは屋外のスタジアムへと移動した。美月は最後尾で、コーヒーをぐびぐびと飲みながら「カオスカオス。動画の容量足りるかな」と呟いてスマホを回している。俺はやはりこいつが一番怖い。


 スタジアムに入ると、前方の数列がオレンジ色に色分けされていた。『このエリアは水がかかります』という、お決まりのアナウンスが流れている。


「……あ、ここだ!ここ、すごく水がかかって楽しいんだよ。夜凪、座ろう!」

 春香が迷わずその最前列へと俺を引きずり込んだ。だが、その瞬間、俺の左側から、心臓が止まるかと思うほどの冷気が立ち昇る。


「ちょっと待った!」

 陽葵が矢を飛ばす勢いで声を出す。

「今度は何?」

 疲れ気味の春香に対して陽葵は矢を放ち続ける。


「…………水……?夜凪くんが、濡れる……?」

 彼女は懐……というか、もはやどこに隠していたのか分からないレベルの巨大な巻物のようなものを取り出した。


「(……おい、なんだそれは)」

「これは特注のS(エス)K(ケー)BⅢ(ビースリー)聖女様専用(S)完全(K)・防水・防壁・(BⅢ)ビニールシート』ですわ。……させません。イルカなどという海獣の体液を、夜凪くんの神聖な肌に一滴たりとも触れさせませんわ!」


 陽葵は座るなり、ガサガサと巨大なビニールを展開し始めた。それは俺、陽葵、そしてなぜか隣にいる春香までをも一気に包み込もうとする広さだった。周りの観客は「これから手品でも始まるのか?」という顔で見ているが、美月だけはニヤニヤとシャッターを切っている。


「ちょ、天ヶ瀬さん!?これじゃショーが見えないよ!」

「おい、陽葵!いい加減にしろ!何も見えない!」

「見なくてよろしい!あなたたちはそのまま、この中で蒸れて光合成でもしていなさい!」


 ショーが始まった。イルカたちが華麗にジャンプし、巨大な尾びれでわざと観客席に大量の水を叩きつける。周囲からは「きゃあああ!」「冷たーい!」という悲鳴と歓声が上がるが、俺たちの視界だけは、陽葵が必死に押さえているビニールシートによって、ただガサガサという不快な音に包まれる暗闇と化していた。


「……水族館に来て、工業用ビニールの裏側しか見てないんだが、俺」

「……湊くん。……大丈夫。イワシとタコは見たでしょ。それで充分よ」

「寿司屋でも見れるわ」

「いずれにせよ……私が守りますわ。……外の汚い水からも、隣の泥棒猫からも……」


 ビニールの中で、陽葵の顔が至近距離に迫る。湿気と熱気。そして陽葵の、どこか甘くて重い香りが鼻を突く。彼女は俺の裾を掴んだまま、暗闇の中で瞳を潤ませて身悶えながら囁くように言った。


「……ねえ、湊くん。このまま、二人で海に溶けてしまえたら……。そう思いませんか?そうすれば、更生なんて面倒なことは抜きにして、私があなたを永遠に……」

「(重い、重すぎる……。水圧より重いぞ、この愛)」


 その時。バシャアァァァァァァァッ!!


 最大級の飛沫がビニールシートを直撃した。重みに耐えかねたのか、あるいは陽葵の握力が限界を迎えたのか。


「あ」

 陽葵が声を上げた瞬間、大量の水を含んだビニールが崩落した。

「ひゃあぁっ!冷たっ!」

「…………っ!?」


 頭からバケツをひっくり返したような水を被った三人。ずぶ濡れになった春香は、顔に張り付いた前髪をかき上げながら――けれどその瞳には、今まで見たこともないほど強く、鋭い光を宿して陽葵を睨みつけた。


「……もう、決めた」

 周囲の歓声にかき消されるような、けれど陽葵の耳には雷鳴のように届く声で、春香は言った。


「……何がですの、水浸しの外来種さん」

「私、本気で天ヶ瀬さんから夜凪を奪うよ。……今の、暗闇の中で夜凪を独り占めしようとしてる天ヶ瀬さんを見て、分かっちゃった。……私、夜凪の隣が、誰よりも似合うようになりたい」


「……ふん。面白い冗談ですわね。……私の檻を壊せると思っているのなら、どうぞやってごらんなさい」


 陽葵は濡れたままトングを構え直し、邪悪なまでの笑みを浮かべた。

 スタジアムは大歓声に包まれてるため、会話は俺には聞こえなかったが、二人が険悪になってるのは手に取るように伝わってきた。

「(……最悪だ。新作の取材で来たのに…)」


 後ろで美月が「……あーあ。これはもう、全面戦争だね。今のシーン、スローで見返そ」と冷たく言い放つのが聞こえた。

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