第2話:聖女様は指先で愛を囁く
翌日の昼休み。俺、夜凪 湊は一人静かに階段の踊り場でパンを食べていた。ここなら、俺を「事故物件」扱いするクラスメートたちも来ない。
……はずだったのだが。
「……あら。こんなところにいたのね、夜凪君」
不意に頭上から降りてきたのは、凛とした、そして冷ややかな声。天ヶ瀬 陽葵だった。後ろには、取り巻きの女子たちが両サイドに二人、彼女を守る騎士のように控えている。
「天ヶ瀬さん、何か用?」
俺は死んだ魚の目のまま、小さく溜息をついて言った。陽葵は俺を見下ろし、ゴミを見るような目で言い放つ。
「学園の美観を損なうから、そんな暗いところで食事をしないでくれる? 非常に不愉快だわ」
「……悪かった。すぐに移動する」
取り巻きたちが「陽葵様、はっきり言ってやらないと分からないんですよ、こういう暗い奴は」とクスクス笑う。陽葵はふんと鼻で笑うと、俺の横を通り過ぎようとした。
――その、一瞬だった。
すれ違いざま、陽葵が自分の背中側で指を小さくパチンと鳴らした。それが合図だった。彼女は取り巻きにバレない絶妙な角度で、自分の左手を後ろへ回し、俺のシャツの裾をギュッと、力強く掴んだのだ。
「……っ」
俺の足が止まる。 陽葵は前を向いたまま、冷酷な声で取り巻きに告げる。
「先に行っていて。私はこの……『不衛生なゴミ』を少し教育してから行くわ」
「えっ、でも陽葵様、こんな奴に構うなんて時間がもったいないですよ?」
「……私の言うことが聞けないの?」
陽葵の温度が、一気に氷点下まで下がる。その威圧感に、取り巻きたちは「も、申し訳ありません!」と脱兎のごとく逃げていった。
階段の踊り場に、俺と陽葵の二人だけが残される。すると、彼女の「聖女の仮面」が文字通り剥がれ落ちた。
「み、湊くん……! さっきの『不愉快だわ』ってセリフ、どうだった!?ちゃんと冷たく聞こえたかな!?嫌いになってないよね!?嫌いになったら私、今すぐここから飛び降りるからね!?」
「……極端なんだよ。あと、シャツが伸びるから離せ」
陽葵は俺に抱きつき、その白く細い腕で俺の腰を締め上げる。まるで蛇が獲物を締め付けてる時のようだ。凄まじい力だ、これが愛の重さか。
「だって! 昼休みになった瞬間湊くんが教室から出て行っちゃうから…!私、寂しくて、もう10分近く呼吸をしてないわ」
「え、病院行け」
「病名はもうわかってるわ!湊くん欠乏症よ!湊くんが足りないと、私の全細胞がストライキを起こすんだから!」
陽葵は俺の胸に顔を埋め、深く息を吸い込む。さっきまでクラス全員をひれ伏させていた聖女様とはとても思えない。
「ねえ、湊くん。放課後まで待てないよ。……この後の体育、合同クラスでしょ?」
陽葵が、悪戯っぽく、そして独占欲に満ちた目で俺を見上げた。
「私の目の前で、他の女子と一言でも話したら……。分かってるよね?」
「……何もしてなくても、俺に話しかける奴なんていないだろ」
「そう。それでいいの。湊くんの隣にいていいのは、世界で私一人だけでいいんだから」
彼女は俺の頬に自分の頬をスリスリと寄せた後、名残惜しそうに離れた。そしてまた聖女に戻り、優雅に階段を降りていく。
だが、その直後俺のスマホが震えた。
【陽葵】:『体育の時間、ずっと湊くんのこと見てるから。……瞬きもしないで、ずっとね』
「(……怖。愛が深すぎて、時々本気で怖いんだが)」
その後の体育。宣言通り、俺は陽葵からの「呪いのテーザー銃
のような熱視線」を感じ続け、サッカーの試合で一度もボールに触れることができなかった。そのせいで男子たちから非難を浴びたのは言うまでもない。後半は試合にすら出させてもらえなかった。
そして放課後。いつもの準備室で、陽葵は俺をソファに押し倒すなり、耳元でこう囁いた。
「さあ……お仕置きの時間だよ、湊くん。私を放っておいた罪、体で償ってもらうからね?」




