第1話:聖女様の蔑みは、蜜の味
「……目障りよ。視界に入るだけで空気が汚れるわ。早く私の見えないところに『隔離』されてくださる?」
凛とした、鈴を転がすような声。だが、その言葉には刃のような冷たさが宿っていた。
学園の廊下。俺の目の前に立っているのは、天ヶ瀬 陽葵。 輝くような金髪に近い亜麻色の髪に、透き通るような白い肌。誰にでも微笑みを絶やさないその慈悲深さから、学園で『聖女』と崇められている少女だ。
そんな彼女が、俺――夜凪 湊にだけは、ゴミを見るような視線を向けてくる。
「すみません、天ヶ瀬さん。すぐにどきます」
俺は死んだ魚のような目のまま、感情を殺して謝罪した。生まれつきの目つきの悪さと、何を考えているか分からない暗い雰囲気。それが原因で、俺は学園中のカースト最底辺、いわゆる『歩く事故物件』として疎まれている。
「ふん。二度と私と同じ空気を吸っていると思わせないで」
陽葵はフイッと顔を背け、取り巻きたちを連れて去っていく。その後ろ姿を見ながら、周囲の連中がクスクスと笑い声を漏らす。
「おい見ろよ、聖女様にまでキレられてやんの。夜凪、お前マジで終わってるな」
「聖女様に無視されるとか、生きてる価値すらねーだろ」
俺はそれらの罵声を聞き流す。慣れているからではない。俺だけが、この「茶番」の裏側を知っているからだ。
去り際、俺とすれ違った瞬間。彼女の指が、俺の指先に一瞬だけ触れた。そして、彼女の潤んだ瞳が、ほんの一瞬だけ歓喜に震えながら俺を求めていたことを。
放課後。 西日が差し込む、旧校舎の図書準備室。俺が鍵を開けて中に入り、扉を閉めた瞬間――。
「……湊くんッ!!補充、補充させてぇぇぇ!!」
凄まじい勢いで、陽葵が俺の胸に飛び込んできた。廊下での冷徹な態度はどこへやら。彼女は俺の制服に顔を埋め、ハアハアと荒い息をつきながら俺を抱きしめる。
「……陽葵、離れろ。あと、さっきの目障りってのは言い過ぎじゃないか?」
「あああ!ごめんね、ごめんね湊くん!でも、あそこで冷たくすればするほど、後でこうして二人きりになった時の『背徳感』がすごいんだもん!さっきの君の、寂しそうで、でも何もかも諦めたような死んだ魚の目……最高にゾクゾクしたよぉ!」
陽葵は俺の腕の中で、蕩けたような表情で身悶える。
「さあ、早く!いつもの!膝枕して『バカか、お前は』って冷たく罵って!お願い、それがないと私、明日には枯れて死んじゃう!」
「……はぁ。バカか、お前は。早く座れよ」
俺が溜息をつきながらソファに腰を下ろすと、陽葵は「ひゃぅんっ!」と可愛らしい声を上げ、当然のように俺の膝に頭を乗せた。
「ふふ、これだよこれ……。湊君のこの、ちょっと硬い太もも……。ねえ、湊君。学園のみんなは君を怖がっているけど、私だけは知ってるんだよ?」
陽葵は俺の手を取り、自分の頬にすり寄せた。
「君が本当は、捨て猫に自分の弁当を分けちゃうくらい優しいこと。その死んだ魚のような目が、二人きりの時だけは私を愛おしそうに見てくれること。……全部、私だけのものだもんね?」
陽葵の瞳に、暗く深い独占欲の色が混じる。
「湊君を蔑んでいいのは、私だけ。湊君を愛していいのも、私だけ。……ねえ、一生、誰にも教えないでいようね。私たちの、この最高に不純で純粋な関係を」
俺の髪を弄ぶ彼女の指先は熱く震えていた。学園一の聖女様。その正体は、俺なしでは呼吸もままならない、重すぎる愛を抱えた一人の少女だった。




