雪の街、駅舎にて
ポポー、と汽笛が鳴り。
白い煙を吐きながら、汽車は駅から去って行く。
降り立った駅のホームから見渡した景色は、
そこらじゅうに雪が積もり白く沈黙している。
静かな駅だ。
ほう、と自ら吐いた息の白さに驚きながら、
マフラーをきゅっと巻き直し、ブリーフケースを持ち直すと、
政務官ソアロは駅舎へ向かった。
「ようこそ、雪の街へ」
野ざらしのホームと違い、駅舎は一歩入るとその暖かさに肩の力が抜ける思いがした。
駅舎の中はまるで大きな喫茶店のような作りになっており、その違いは大きな汽車の時刻表が貼ってあることと、駅へ来る人用と汽車から降りてきた人用のふたつの出入り口があることくらいだった。
カウンターの中では一人の若い女性がこちらへ挨拶してくれる。
ソアロはつい、
駅舎の暖かさとこれから待ち受ける仕事の憂鬱さに、
「どうもこんにちは。
ここは・・・飲食が出来るのですか」
と声を掛けていた。
「ええ、軽くだけ、ですけれど。
良ければ何かお飲み物を?」
「ああ、お願いします。
何か身体が温まるものを」
「かしこまりました。
甘いものはお好きですか?
クリームとか」
「ええ、今無性に甘い物が飲みたい気分です」
「ではココアをお入れしましょう。
どうぞ、ストーブの近くへお掛けになって」
そう言って女性は席へ案内してくれ、
滑らかなビロードの膝掛けを渡してくれた。
駅舎内にはソアロひとりきりだ。
女性が静かにココアを錬る音だけが響いている。
「この街へは初めてですか?」
唐突に話しかけられ、ソアロはまばたきをした。
「え、ええ。仕事なんです」
「そうですか、どちらから?」
「王都から」
「それでは驚かれたでしょう、この街の寒さには」
手際よくクリームをたっぷり乗せ、
女性はソアロにココアを出してくれた。
ソアロはすぐに口を付け、その優しい甘さにほ、と息をついた。
「ええ、同僚のアドバイスをちゃんと聞いて、
防寒具を揃えておいて良かったです」
「この街は一年の半分以上が雪と共に在りますから。
革靴でいらっしゃるなら、滑るので気をつけて」
「ええ、そう言われて、革靴の底に粗い麻を貼ったんです」
「じゃあ少し安心ですね。
滞在は長いのですか?」
「いいえ、明日には発ちます。
・・・あまり、気が進む仕事ではないので」
「そうですか。
この街を少しでも好きになってくれたらいいけれど」
「ありがとう、少なくともこの駅舎と、
あなたのココアはとても好きになれそうだ」
「良かったわ、私はミンネ。
ゆっくりなさって行ってね」
では、私はカウンターの中で作業をしているから。
ミンネはそう言って、ソアロに一人の時間を提供してくれた。
甘いココアを飲みながら、ソアロはこれから自分が為さねばならない仕事を思い、沈んだ気持ちになる。
自分はこれから、生け贄を迎えに行くのだ。
ぎゅっと目を閉じ、ココアを最後の一口まで大事に飲み込んだ。
ミンネにお代を支払い、白く静かな街へ踏み出す。
口の中に残る甘さが、ソアロを寒さから守った。
ーーーーー
「いらっしゃい、昨日ぶりね」
「ああ、昨日ぶり」
ソアロは昨日出て行った側の出入り口から駅舎へ入った。
「汽車まではまた数刻あるわよ。
お飲み物でも?」
「ああ、頼むよ。
昨日と同じものが良いな」
「かしこまりました。
今日はクッキーがあるから、お付けするわね」
「ありがとう」
昨日と同じ席に掛け、ストーブに手をかざして暖まる。
「お仕事は上手くいった?」
ミンネが気遣わしげに言う。
ソアロは首を横に振った。
「いいや。すげなく断られた。
・・・まあ、当然のことだ」
「当然のことなの?」
「ああ。ずいぶん無理難題を押しつけたから」
「無理難題を押しつけないといけないというのも、
大変なのねえ」
目の前に置かれたココアとシンプルなクッキーを眺め、
ソアロは自嘲しながら呟いた。
「ああ。きっと近々、またこの街に来ることになる」
「断られても諦める訳にはいかないってこと?」
「そうなんだ。
どうしても、飲んで貰わないと行けない」
「大変なのね」
「いや、俺の役割なぞそう大変ではない」
ココアを口に飲みながら、ソアロは考える。
そうだ、俺など何も大変ではない。
『生け贄』である彼女に比べれば。
白い煙を吐き到着した汽車に乗り、ソアロは王都へ戻った。
ミンネはその長い長い汽車を、駅舎の中から見送った。
ーーーーー
「ココアをくれるかな」
「あら、本当にまた来てくれたのね」
それから一月後。
ソアロは再度雪の街へ訪れていた。
変わらずミンネが迎えてくれる。
「相変わらず、この街で降りる人は少ないことだ」
「その通りよ、特にこれから更に雪が深くなるもの」
「そうなのか」
「ええ」
出されたココアを飲みながら、ソアロは呟いた。
「こないだの仕事の続きをしに来たんだ」
「そうなのね」
「状況は良くない。
何とかこちらの要望を飲んでもらわないといけない」
「・・・頑張ってね」
「ああ。ありがとう」
ーーーーーー
「いらっしゃい、どうだった?」
「駄目だった。
こちらは出来る限りの見返りを用意した。
それでも駄目だった」
「・・・そうなのね」
「分かってはいるんだ。
何を差し出されても、受け入れられない要望だってのは」
ソアロは悔しさのあまり手袋がギリ、と音を立てるほど拳を握り混んだ。
「もうじき汽車が来るな。また来る。
次は違う飲み物も試してみたいな」
「ええ、お待ちしているわ」
ーーーーー
「やあ、ミンネ」
「いらっしゃい」
今度は一月開けずにソアロは駅舎を訪れた。
「この間の通り、なにか違う飲み物はあるかい」
「それでは、スパイスたっぷりのチャイはいかが?
暖まるわよ」
「いいね、頼むよ」
コトコトとスパイスを煮出す音がする。
「今度こそ、何とかしないといけない。
もう時間がないんだ」
「そうなのね」
チャイが出来るまでの間、ソアロは王都で準備した物事を頭の中で反復していた。
「どうぞ」
差し出されたチャイのカップを受け取るとき、
ミンネの白く温かい手がソアロの固く冷えた手に触れる。
ソアロはその温度の差にどきりとした。
「手が冷えているわ、
どうぞ飲んでちょうだい」
ミンネは優しくそう言うと、ソアロの膝掛けを一枚増やしてくれた。
「おかわりもあるから言ってね」
ソアロはその言葉に甘えたくなってしまった。
自分はこれから、残酷な仕打ちをしに行くというのに。
ここでずっと、ミンネと幸せな時間が過ごせたらと、
脳天気な望みを持ってしまう自分に絶望した。
ーーーー
「駄目だったのね」
「いいや・・・飲んで貰えたよ」
「そうなのね、良かったじゃない」
あまりに悲壮な顔をして駅舎へ現れたソアロへ、ミンネはそっとチャイを差し出した。
「良かったのか・・・分からない」
「必要なお仕事だったのでしょう?」
「ああ、そう信じている」
「では良かったじゃないの」
「そうだろうか」
チャイを一口飲み、ソアロはふと、
この優しい女に自分を肯定して欲しくなった。
「君は・・・軽蔑するだろうか。
戦を止めるために、ひとりの女性を生け贄にすることを」
「戦を?」
ソアロは滑るように語りだした。
「ああ。
今王国は戦の危機に瀕している。
南の国の王が妙な占いに凝っていてな。
我が国のとある女を奪うべきだと出たらしい」
「女性?どういうこと?」
「貴重な価値を持つ女性がこの国にいると、
占いで出たそうなんだ。
その女性は南の国では珍しい氷を生み出すことが出来ると」
「そんなの・・・」
「まがい物さ。
生身の人間にはそんなこと出来やしない」
「説明はしたの?南の国の王には」
「何度もしたさ。
そんな能力を持つ人間は存在しないとね。
だが占いに傾倒する王は聞く耳を持たない。
我が国が秘匿していると怒りを募らせた。
大人しく引き渡さねば戦を起こすと言ってきた」
「で、どうなったの?」
「我々はそんな能力者は把握していないから、
その占いとやらで、
もっと具体的にどこの誰だか示してみろと言った。
そしたら出てきたのがこの街の領主の娘ときた」
「・・・!」
「その娘を差し出すか、戦をするか。
我が国は選択を迫られたんだ」
「それで・・・」
「国はその娘を差し出すことを決めた」
「でも、氷を作る能力はないじゃない!」
「ああ、だから引き渡したらきっと、
能力がないことを理由に無事ではすまないだろう。
だが我らはそのような人間はいないことを説明し、
彼らはそれを無視して娘を指名した。
我が国が咎められるいわれはない」
ミンネは黙り込んでしまう。
ソアロは後悔し始めていた。
軽蔑されただろうか。
この難局を押しつけられたソアロの暗く重く沈んだ心を何度も暖めてくれた、この優しい女性に。
「国がそう決めたのなら、
あなたはそれを遂行するしかなかったのよね」
ミンネは柔らかく笑い、ソアロの強く奥歯を噛んで強ばった頬を撫でた。
「ああ。
だが、遂行するために、俺は悪どいことをした」
ソアロは懺悔する。
「領主を脅したんだ。
最初は見返りをたっぷり持って行ったが、
娘は渡してもらえなかったから。
娘を渡さないと汽車を止めると脅した。
寒い街に食糧が届かなくてもいいのかと。
・・・最低だ」
ミンネは黙って聞いている。
ストーブの中の薪が燃えて崩れる音が駅舎に響く。
しばらくあって、ミンネは問いかけた。
「あなたはそこまでして、
何を守りたかったのかしら」
ソアロは答えた。
「国だ。・・・いや、自分の生活だ。
戦が起きたなら、誰しも今の生活は守れない」
「・・・そうよね。それは仕方がないわ」
「結局は自分のエゴのためかもしれない。
俺はこの罪を一生背負って生きていくんだろう」
頭を抱えてカウンターに沈んだソアロの背を、
ミンネは優しく撫でた。
「あなたの選択は間違っていないわ。
・・・もうこの街には来ないのかしら」
「・・・いや、あと一度来る。
領主の娘の支度ができ次第、迎えに来るんだ」
「そう。もうじきこの街は深い雪に閉ざされる。
急いだ方がいいわね」
「ああ。そのときにはまた、何か飲み物をくれるかい」
「ええ、待っているわ」
ーーーーーー
娘を迎えに、ソアロはまた雪の街の駅のホームに降り立った。
雪はさらに深く、歩く度に靴が雪に沈んだ。
駅舎の中は変わらず温かかったが、ミンネの姿は無かった。
駅舎を素通りして領主の屋敷にやってきたソアロは、姿を見せた領主に深く頭を下げた。
「領主殿、心からお詫び申し上げる」
領主はその両手を肩に置き、
「貴殿の苦労は分かっているつもりだ。
国を頼む」
「心得ました。
ご息女の安全確保にも全力で努めます」
領主は首を横に振る。
「貴殿も分かっているだろう。
南の国の王の気性は尋常のものではない。
恐らく娘の命はないだろう。
娘は超能力者ではないからな」
ソアロは否定できなかった。
南の国の王の占いへの傾倒はさらに増し、近頃では周辺国に手当たり次第に戦をちらつかせている。
それだけ荒い気性の者の元へ期待外れの女を送れば、無事で済むはずがなかった。
だが我が国の主張の正統性を証明することはできる。それを以て当面の戦を退けることはできるはずだ。
「娘の命を・・・有効に使ってくれ」
領主は大切な娘を差し出すことを渋った。
どんな好条件を積まれても頷かなかった。
それを、領民を盾に脅して頷かせたのは自分だ。
ソアロはここで泣くわけにはいかなかった。
「心得ました。
ご息女は今どちらに」
「先に駅舎へ行っているよ。
荷も積まねばならないからね」
「それでは私も駅舎へ向かいます」
「ああ」
ソアロは踵を返して駅舎へ向かった。
重く苦しい足取りも、ミンネに会えると思うと軽くなる。
ああ、俺はこんなにも罪深い。
ーーーー
辿り着いた駅舎では、ミンネが待っていた。
「やあミンネ」
「こんにちは」
ミンネはにこりと笑い、
「ごめんなさいね、今日はこれしかお出しできないの」
そう言って、一杯の珈琲を差し出した。
「いいや、いいんだ。ありがとう」
いつもの席に座り、珈琲の苦みを口いっぱいに感じる。
それを飲み込んだとき、ソアロは自分の犯した罪を、
一生背負っていく罪を改めて突きつけられた。
たまらずソアロはミンネに救いを求める。
「雪が解けるころに、また来よう。
今度は何が飲めるか楽しみだ」
だがミンネは、寂しく笑った。
「きっとそれは叶わないわ。
私がここに来るのも、今日が最後」
ソアロは瞠目した。
「なぜ」
「だって、私はこの街を出るのだもの」
あなたと一緒に。
「先に行っているわね、汽車はもうすぐよ」
そう言ってカウンターから出たミンネの手には、
大きな旅行鞄と、
雪の街の領主の紋が入った厚手のローブが携えられていた。
ソアロはすべてを悟った。
珈琲は苦く、汽車の定刻頃には冷めてしまった。
ソアロは泣いた。
嗚咽はカウンターを濡らし、己の非力に崩れ落ちた。
白い煙を吐いて、王都行きの汽車が来る。
ひとりの生け贄を迎えに、汽車が来るのだ。




